農業スタートアップInfarmが日本から撤退したわけ~プロダクトマーケットフィットの欠如~
ベルリン発祥、都市型垂直農法を手がけるInfarm(インファーム)は2023年2月に日本市場からの撤退を発表した。「農業はついにここまできた」とまで言われた農業ベンチャー界の風雲児インファームに何が起きたのか。今回は、元インファーム日本法人代表(現在も投資家の一人) 平石郁生さんに、インファーム日本市場参入から撤退までの軌跡を余すことなく語ってもらった。
岩佐)ベルリン発祥の垂直農法(バーティカルファーミング)のスタートアップであるInfarm(インファーム)。そのデジタル技術を駆使した革新的な農法から世界中で飛躍的な進化を遂げるかに思った矢先、日本撤退を発表しましたよね。今回、インファームが日本市場撤退に至ったそもそもの要因は何だったのでしょうか。
平石)平たく言うと、日本市場の需要、日本人が日常的に食べる品種を提供できていなかったということですね。スタートアップ用語でいうところの「PMF(プロダクト・マーケット・フィット)が不十分だった」ということです。
岩佐)それは結構、根本的な話ですね。 その中にはコストサイドの要因、マーケットのサイズやニーズなどの要因等、諸々あると思いますが、具体的にはどの辺りが足りなかったのですか?
平石) どのあたりが足りてなかったというよりも、上述のとおり、ハーブ類という、日本人が日常的に食べる品種ではないものを中心に展開していたということです。もうひとつの論点は、苗の育成や店内のファーミングユニットだけでは供給が足りない分を生産する「Infarm Plant HUB(以下、HUB)」という施設を運用しながら事業をしていたのですが、 そのキャパシティはそれ程大きくなく、生産効率、生産量ともに充分な体制ではなかったということです。
というのは、当時のインファームは、まだシリーズBの段階で、ユニコーンにもなっていませんでしたし、いきなり何十億もの投資をする財務体力は無かったのと、日本市場の特徴や事業が立ち上がるまでにどのぐらいの時間が必要か?等、その見極めができませんでした。ですので、まずは必要最低限の設備投資で日本市場に参入したということです。
岩佐)なるほど・・・。まだ本格的な事業投資には至っていなかったということですね。でも、そのような段階、つまり、まだ日本市場の可能性や成功要因、また、どのような制約要因があるかの見極めができていない段階で日本市場に参入したことには、どのような背景があったのでしょうか?
平石)そこには戦略があって、まずは市場参入し、ポジションを作り、スケールさせていくための基盤造りであり、そこで創った顧客基盤をもとに、インファームグローイングセンター(高さ約10メートルの大型自動栽培ユニットを稼働させる施設。Infarm Growing Center。以下、IGC)を立ち上げることで、規模の経済で収益をあげていく計画でした。
というのは、インファームのモデルは他のLED/水耕栽培の事業者とは異なるのと、ソフトウエアのビジネスではないので、実際に生産設備を作り、運営してみないことには、市場性の判断ができないからです。
あの段階で日本市場に参入したこと自体は強ち間違いではなかったと思いますが、IGCを立ち上げるには、法規制の問題や、IGCの条件に合致する土地や建物がどのくらい存在するのか、また必要な人材の雇用には、どの程度の時間や条件が必要なのか?等、確認しなければいけない問題が多々ありました。事実として、IGCの条件として、一定以上の天井高が必要なのですが、我々の条件を満たす物件を見つけるのは至難の技でした。
もうひとつ、大変だったのは、人材の採用です。というのは、インファームのモデルは独特なので、僕自身、どのような人材が求められるのか? 本国からもらったJob Descriptionを見ただけでは判断できませんでした。また、一定以上のポジションは「英語力」が必須でしたので、それも外資にとってはハンディキャップでした。
それから、先程申し上げたとおり、日本市場にあった「品種」の導入、オペレーション体制の見直し、営業戦略の構築、そして、ブランディング等、やらなければいけないことがたくさんありました。
岩佐)なるほど。欧米では数年先に進んでおり、IGCを展開していたのだと思いますが、日本に関しては、まだまだテストマーケティング的なフェーズだったということですね? ちなみに、価格の面はどんな感じだったんですか?
平石)日本市場ではイタリアンバジル・ パクチー ・イタリアンパセリ・ワサビルッコラなど20種類ほど展開していて、普通の市場価格と同じくらいの一束200円前後の価格を設定していました。
価格の話から少し逸れるかもしれませんが、インファーム日本法人を経営して、僕が学んだことがあります。
生産しているものは「野菜」なので、そこに着目すれば「農業(AgriTech)」ですが、収益構造やコスト構造は「完全に製造業」です。
HUBにしても、IGCにしても、いわゆる「生産設備」を建てる、つまり「設備投資」をして、自動化とスケールメリットで収益を上げる事業構造です。つまり、大きな投資を必要とし、スケールメリットでしか事業は成り立たない、ということです。理屈では理解していましたが、実際に経営してみて、そのことを嫌というほど実感しました。
岩佐)そうだったんですね。独自のモデルで参考事例はない。いきなり大規模な生産施設を造ることはできない。HUBという施設ではマニュアルでコストが掛かっていたのでしょうけど、販売価格は市場に合わせる必要がある。そのような事業を手掛けていくのは、結構なチャレンジでしたよね。
平石) そうです。僕も実際に自分がやるとなった時に、当たり前ですが、事業計画を作りました。インファームのファーミングユニットは、スーパーマーケットやレストランの店内にも設置できる超コンパクトなものですが、その導入をベースとするモデルでは、何店舗に入れて、何年でどうやって黒字化するんだ...という気の遠くなる計画になりました(笑)。
実は、店舗に入れるファーミングユニットの設備投資の回収や日々の販売数量に関しては、それほど、大きな問題ではありませんでしたが、週2回、我々のスタッフが「収穫と苗の補充」に伺う必要があり、そのオペレーションコストの方が問題でした。
岩佐)人にかかるコストは難しい。人が植え込みに行ったり、収穫しに行っていたのでは到底コストが合わないですよね。今お聞きして分かったのは、一つはコストの問題。一方、マーケットも気になるところ。平石さんから見てインファームがターゲットとする葉物野菜のマーケットサイズというのは、日本だとどれくらいになるのでしょう?
平石) 葉物野菜という観点においては、僕らは、正確な市場規模を算出していませんでした。但し、ハーブ類(フレッシュハーブのみ。乾燥ハーブは除く)についてのマーケットサイズはもちろん分析しており、保守的に見て、小売ベースで、60億円から80億円くらいだろうと見ていました。
岩佐) 60億円から80億円ですか。ニッチといえばニッチですよね。ヨーロッパにおいてはどうでしょう?
平石)国によって異なりますが、グロスのマーケット規模が軽く日本の10倍はあります。例えば、ドイツ、フランス、イギリスなどのハーブマーケットは、1か国で1,000億円ほどの規模があると聞いています。ひょっとしたら、業務用も含まれているかもしれません。いずれにしても、日本とは全然違いますよね。ヨーロッパの人は毎日のようにハーブを食べますからね。日本でハーブを食べるとしたら、例えばジェノベーゼパスタ、あとはカルパッチョにハーブをまぶすとか、せいぜいそんなものでしょう。一方、ヨーロッパだと、パスタを食べるとなると何かしらの ハーブを使うし、魚の臭い消しにも使ったりします。そういうものを含めると、結構な頻度で日常的にハーブ類が使われていることになります。
岩佐)なるほど。それくらいのマーケットサイズがあれば、何となくそこに張ってみようという起業家と投資家の雰囲気は分かる気がするなあ。
平石)はい。だからヨーロッパではマーケットの規模自体はあったんだと思います。一方で日本はそのマーケットがあまりにも小さすぎた、ということです。
岩佐)そもそも日本における需要の規模が小さかったのですね。たしかに、日本人がハーブを日常的に使う場面があまりイメージできない。でも、ローンチした数ある種類の商品の中で、日本人にも受けが良い商品はあったのではないでしょうか?
平石)もちろんありました。ですが、まさしくそこにインファームが挫折した要因の一つである「選択と集中の欠如」という大きな問題がありました。インファームでは、75種類以上の品種が生産可能で、常時、数十種類の商品を展開していました。ですが、何事も「パレートの法則」じゃないですか?それだけの商品を作り出すために「R&D」投資をしても、それぞれ少しずつしか売れない。結局、イタリアンバジルとパクチー等、日本でも馴染みのある品種は売れました。でも、それ以外はあまり売れませんでした。つまり、商品戦略に関しても、もっと「選択と集中」を徹底しないといけなかったわけです。
インファームの事業戦略にも同じことが言えると思います。これは僕の見方ですが、一気に欧州、北米、日本と、計11ヵ国まで事業を拡げたことは、楽観的過ぎたというか、各市場の分析をもっと入念にすべきだったと思います。インファームに限らず、何事も新しいことをしようとすると必ず、想定外の問題が発生しますよね? それをひとつずつクリアしてから、次の市場なりチャプターに進むべきだったように思います。要するに、経営戦略の基本である「選択と集中」が必要だったということです。
先程も申し上げましたが、インファームが栽培しているのは「野菜」ですが、事業の構造はいわゆる「製造業・装置産業」なので、スケールさせて軌道に載せるには、数十億円の資金が必要です。せっかく何百億円という資金を調達しても、それぞれのエリアに必要充分な資金が投資されなければ、中途半端になってしまいます。当然ですが、資金だけではなく、進出したエリア毎にオペレーションチームを組成する必要がありますし、ひとつの市場だけでも、やならければならないことは数え切れないほどあります。
岩佐)商品に関する「選択と集中」、事業拡大に関する「選択と集中」。インファームの挫折は深くて、マーケティングの学びでもあるし、事業開発の学びでもありますね。
平石)そう。「選択と集中」には、個人的にはもうひとつあって、僕がずっと思っていたのは、インファームのファーミングユニットは、紀ノ国屋、サミットなど8店舗に入れてもらっていましたが、そのようにある程度、店舗数を増やしていくのが良かったのか、ということ。それとも、どこかインパクトがある1店舗に限定し、ここに来れば全ての品種を育てていて、育苗から収穫まで全ての工程を知ることができ、尚且つ、その場でイチゴ狩りのように収穫し、サラダにしたりパスタにしたり食べることができる。そして気に入ったら、 ジェノベーゼパスタソースなどの加工食品を買って帰ることができる。ここに来れば、 インファームの全ての体験ができる、というようなフラッグシップショップを1店舗だけ作り、あとは、IGCで大量生産したものをスーパーにデリバリーして普通に販売する、というようなモデルにしていたら、ひょっとしたらうまくいったかもしれません。だってそうすれば、一軒一軒ユニットを入れて、収穫や苗の補充をする必要がない。フラッグシップのお店を作るのにも投資は必要ですが、トータルで見たらその方が投資は少なく抑えられたかもしれません。もちろん、理念として「フードマイレージを削減する」ということには拘る必要がありますが、経済的に成り立たなければ、そもそも事業自体がサステイナブルではなくなってしまいます。
岩佐)うわ、そんな体験型店舗があったらおもしろい!GRAの農場でもイチゴのシーズンにはイチゴ狩りをしにお客さんがたくさん来ますが、やっぱり手に取りながら食べる体験をすることで、その食に対する興味や魅力は一段と増しますよね。
平石)まさにそうですね。その観点で言えば、コロナによる打撃も僕たちにとって痛いものでした。僕たちは2020年2月に会社を作りましたが、最初の半年間はコロナで足踏みをしてしまい、ローンチできませんでした。でも、ようやく、2021年の1月に 紀ノ国屋青山店でローンチして、その後、サミットなどに展開していきましたが、当時はコロナ真っ只中。僕たちにできたのは店舗内にファーミングユニットを置いて、それに興味を示してくれたお客さんが手に取って買ってくれるのを待つだけでした。これは非常に苦しい状況でした。
例えば、ハーブ類を日常的に食べていない人にとっては、店内で野菜を育てるという斬新な取り組みに興味を持ってくれたとしても、「美味しいの? 農薬を使ってないの?それはいいね。」と実感していただくには「試食」が必要ですよね? でも、コロナになってしまったので、お店で一切試食ができなかった。それは正直、とっても痛かったです。もし、コロナがなかったら、僕らのファーミングユニットの前でちょっとした料理を作って試食する、みたいなことができていて、そうすれば相当変わっていたかもしれません。
岩佐)うーん、コロナによってまさにウィンドウショッピングをするだけのような、何の体験もない見るだけの装置になってしまった、ということですよね。色々お聞きすると、インファームがどうやったら成功していたのかを考えるのは非常に面白いけれど、かなり難しい事業であったということが想像されますね。平石さん、よくこの事業を引き受けましたね…。
平石)はい、引き受けざるを得ない感じだったんです(笑)。
インファームが今日に至る軌跡を語ってくれた平石さんの話は珠玉であり、経営者としての学びしかない。ここからは、この混沌とした世の中でスタートアップを取り巻く環境について、もっと深掘りしていきたい。
シリーズ:農業スタートアップInfarmが日本から撤退したわけ
関連リンク
ドリームビジョン: https://dreamvision.co.jp/
平石ブログ「起業家はコトラーを読まない。」: https://ikuoch.com/blog/