バブル崩壊前の1989年を彷彿させる株価と物価と日銀と
6月5日の東京株式市場で日経平均株価が大幅に続伸し、上げ幅は一時500円を超え、32000円台を付け、1990年7月以来約33年ぶりの高値を付けてきた。
日経平均株価の史上最高値は、1989年12月29日のザラ場中に付けた38957円44銭。 引け値としては、この日の引け値の38915円87銭が最高値となる。ここから株価は下落し、いわゆるバブル崩壊となって失われた30年が始まることとなる。
そのバブルが膨れ上がりつつあった際を確認してみたい。
このバブルの原因が何であったのか。それはいろいろと分析がなされているが、ひとつの見方として1985年にニューヨークのプラザ・ホテルで開かれた先進5か国蔵相・中央銀行総裁会議、いわゆるプラザ合意がひとつのきっかけとされた。
この合意を受け、急速な円高が進行し、日本では円高不況の発生が懸念されたことや、海外からの利下げ要請もあったことで、低金利政策が実施され、1986年1月から1987年2月にかけて5回にわたり5.0%から2.5%にまで公定歩合が引き下げられた。その2.5%という公定歩合の水準は2年以上も維持された。
「基準割引率および基準貸付利率(従来「公定歩合」として掲載されていたもの)の推移公表データ一覧」(日本銀行のサイトより)
https://www.boj.or.jp/statistics/boj/other/discount/discount.htm
当時とすれば、超低金利政策が長きにわたり継続したことが、バブルの温床を形成したとされている。日経平均株価は1986年あたりから上昇基調を強めてきた。
今回、日経平均は32000円台に乗せてきたが、日本ではじめて日経平均が32000円台を付けたのが、1989年2月8日かと思われる。4月には33000円台、5月に34000円台に乗せてきたが、ここでいったんブレーキが掛かった。
「日経新聞のサイトのデータベースより」
https://indexes.nikkei.co.jp/nkave/archives/data
1989年5月31日に日本銀行は当時の政策金利である公定歩合を2.50%から3.25%に引き上げたのである。日銀は株価が大きく上昇しているにもかかわらず、低金利政策を続けた結果の株高にやっと危機感を持ったということであろう。
日銀は1989年5月からわずか1年3か月の間に5回の利上げに踏み切り、2.5%の公定歩合は6.0%まで引き上げられたが、時すでに遅しとなり、1989年12月末で日経平均株価はピークアウトし、その結果、バブルが崩壊し、30年もの間、日本経済に多大な影響を与えることとなった。
そして再び、日経平均は33年ぶりに32000円台を回復した。現在の日銀はいったい何をしているのであろうか。政策金利は短期金利をマイナス、さらに長期金利もコントロール下におき、大量の国債を購入し続けている。低金利政策どころか、非常時対応の強烈な金融緩和策を10年もの間、続けているのである。
これが結果として何をもたらすのか。前回のバブル崩壊どころではない事態が起きる可能性がある。
そういえば1989年の全国消費者物価指数(除く生鮮)をみると5月から前年同月比で3%近辺で推移していた。
「生鮮食品及びエネルギーを除く総合・前年同月比の推移」(総務省のサイトより)
https://www.stat.go.jp/data/cpi/sokuhou/tsuki/pdf/zenkoku.pdf
2023年4月の全国消費者物価指数(除く生鮮)は前年同月比3.4%の上昇となっており、当時よりも物価は上がっている、当時といろいろと環境は異なる面はあるとはいえ、酷似していることもたしかである。