知的障害者事件の第一人者とも言われた副島洋明弁護士の死を悼む
障害者に関わる数々の大事件の弁護を手掛けてきた副島洋明弁護士(68歳)が10月9日に亡くなった。この10年くらい私も親しくおつきあいしてきたし、障害者に関わる問題についての副島さんの活躍はまだこれからと思っていたので残念でならない。
この追悼文を書くためにネットで検索したらほとんど大した情報が出てこないことに驚いたので、機会あればぜひ『創』次号ででも追悼記事を書きたいと思うが、副島さんがこの10年ほど弁護人として関わった事件といえば1999年の池袋無差別通り魔事件、2001年の浅草レッサーパンダ事件、2004年宇都宮の知的障害者冤罪事件、2008年東金事件など数えきれないほどだ。
特に宇都宮の知的障害者の事件は副島さんの活躍なくして冤罪を晴らすことはありえなかった。当時、下野新聞で副島さんと二人三脚でこの事件の報道にあたり、後に朝日新聞に移って大阪地検特捜部のフロッピー改ざんをスクープしたのが板橋記者だ。
『創』はこの宇都宮事件も東金事件も副島さんのインタビュー記事を連続して掲載したばかりか、私は副島さんが定期的に開いていた勉強会にもたびたび参加してきた。日本のマスコミは障害者が関わる事件の報道には「無理解」か「及び腰」のいずれかで、そういう状況を含めて、副島さんはいつも現状を憂えていた。
東金事件については被疑者の家族との考え方の違いから途中で主任弁護人を降りるなど、この何年かは思うようにいかないこともあったが、昨年来、病気を患ってそれまでの事務所を閉じるなどの経緯があったので私も心配していた。マスコミの障害者に関する報道への鋭い批判を含めて、副島さんにはこれからも教えられるところが多いと期待していたし、副島さん自身、これまでやってきたことを本にまとめたいという意向を持っていたので、いずれお手伝いしたいとも思っていたのだが、それがかなわないままこんなことになってしまって残念でならない。ご本人もまだこれからと思っていたろうから、まさに「無念の死」というべきだろう。
葬儀は近々行われるが、副島さんの遺志を尊重し、『創』誌上かあるいは何かの会を催して障害者をめぐる問題や報道のあり方について考える機会をぜひ設けられないかと思う。
今はただ、副島さんの冥福を祈るのみだ。