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杉田水脈議員が陥った「保守ムラ」の罠~「オタサーの姫」とそれを利用する中高年男性~

古谷経衡作家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長
杉田水脈議員(写真:Motoo Naka/アフロ)

 杉田水脈自民党代議士が、「女性はいくらでもうそをつけますから」発言について、当人は自身のブログで事実関係を否定したが一転事実を認め、現在では”ブログで謝罪したことについて「党の政務調査会と協議しながら書いている」と説明”した。

 杉田議員をめぐる問題は、自民党が党として氏になんら実効的な懲罰を与えていないという事実を以て、一向に収束する気配はない。私はこの問題をめぐって、杉田氏が元来封建的で人権軽視の価値観を「自民党公認以前」から有しており、また杉田氏らを熱心に支持する保守層・ネット右翼層がいかに杉田氏を「ネット右翼会の寵児」に持ち上げたのか。その大まかな源泉を探る記事を先般書いた「杉田水脈議員はなぜ「ネット右翼界」の寵児になったのか?その源流「出版社X人脈」を探る」。

 本稿でそれを踏まえて、杉田氏がこのような差別的、女性蔑視的価値観を抱くにあたった「保守ムラ」特有の狭窄的な周辺状況を描くことによって、「杉田問題」の核心に迫る。

・保守ムラ女性の3類型

筆者制作
筆者制作

 前記記事で示した通り、杉田氏が保守界隈・ネット右翼界隈(以下これを総称して保守ムラと呼称する。まさに閉鎖的なムラ社会と近似しているからだ)で急激に認知度が高まったのは、杉田氏が維新→次世代に移籍し、2014年総選挙で落選して下野してから。つまり非議員時代における保守ムラの中での累々たる活動実績によるものであった。これにより、杉田氏はむしろ下野時代に大きくその知名度を向上させ、それが結果的に杉田氏の自民党比例中国での優遇に結び付いたのである。

 保守ムラは、日本のどんな組織体もそうだが、とりわけ男性寡占の世界である。2013年に私が大規模に調査したところ、その構成比率は男性75%、女性25%というものであったが、約7年を経てもこの基本的構造に微塵も変化はない。そして保守ムラの75%を占める男性は、おおむね中高年が支配しており「中高齢男性による男性優位社会」である。

 保守ムラでは、杉田氏以外にも少なくない数の女性論客や文化人が居る。このような中にあって、保守ムラでは女性活躍とか女権擁護といった問題提起がなされることは極めて少なく、基本的に保守ムラにおける女性論客は、既存の「中高齢男性による男性優位社会」に追従し、彼らの留飲を下げる言説を採ることで、保守ムラにおける地位向上に結び付くことが、私の観測上常道である。

 つまり保守ムラに於いて、女性論客や文化人、活動家がその地位を向上させるためには、まず保守ムラを寡占的に支配する中高年の男性の封建的価値観に追従することが最も手っ取り早い方法ともいえる。

 保守ムラにおける女性論客や文化人、活動家の形態は、図表で示した通り大きく3つの類型に大別される。

・1型(慰安婦問題追求タイプ)は、女性でありながら歴史的に被害者の側である女性が被った慰安婦問題について、「朝日新聞の捏造」とか「でっちあげ」とか「彼女たちは高給取りの追軍売春婦に過ぎない」などと喝破する者で、保守ムラにおける女性論客や文化人、活動家の中では最も多い類型である。従軍慰安婦問題は、その基本的構造が加害者側=男性、被害者側=女性となるので、加害者である男性は歴史的経緯の検証等からこれを批判するが、「所詮は男性側の目線」と反発されると道徳的正当性が揺らぐ。

 しかしこの問題を、被害者である女性から批判の前衛として展開してくれれば、「本来被害者である女性の側から慰安婦は嘘だ、という声が沸き起こっている」という説得力と道徳的正当性が担保されるので、保守ムラの中では極めて「歓迎」されるタイプである。男性論客が慰安婦問題を否定・批判しても、根源的なところで「戦時における男性側のむき出しの性欲を肯定するのか」という「後ろめたさ」を指摘される。その点、被害者であるはずの女性からの「そんなことは無い」という声は、保守ムラにおける中高年男性の「後ろめたさ」を払拭する最も端的な行動である。

 事実、韓国の対日批判として繰り返される従軍慰安婦問題について、「女性でありながらそれに反対する」という趣旨の『なでしこアクション』(2011年設立)が、その代表者を筆頭にほぼ保守系の女性で構成されているのが証左である。杉田議員は、この慰安婦問題において「女性でありながら女性の戦時性暴力を否定する」という活動で一躍下野期間中に保守ムラの寵児となった。

・2型(封建的家父長制追認タイプ)は、女性でありながら保守ムラの中高年男性に根強い封建的家父長制的価値観への追従と賛同であり、それと対をなして女権活動家やジェンダーフリー、女性の地位向上などを否定するタイプである。これも保守ムラにおける女性論客や文化人、活動家に極めて多い類型であると言える。「女性(妻)は一歩下がって男性(夫)を支える」という、戦時期に推奨された「銃後の守り―国防婦人会」的発想であるが、これも男性が寡占的な保守ムラの中で、男性側からこれを強く言ったのでは道徳的正当性が担保されず批判されかねない。

 しかし社会的地位が低く、さまざまな部分で被搾取されがちとされる女性側からこのような封建的家父長制が追認されると、保守ムラの男性にとっては留飲を下げる結果となり、これも非常に強く「歓迎」される風潮にある。「男女同権(平等)は実現不可能な妄想」と著書で明記した杉田議員も、もれなくこの類型に当てはまる。だが、実際にはその評価はどうあれ、自身が保守ムラという狭い空間の中で男性と同等の活動をしたり、自身の私生活について必ずしもこのような封建的家父長制的価値観に沿った生活がなされていない場合もあるが、その部分は無視される傾向にある。

・3型(外見的女性性強調タイプ)は、1型、2型のどちらにも強く与さない一般的な女性論客や文化人、活動家にその傾向が強い。つまり自身の活動分野が慰安婦や歴史問題ではなく、沖縄の反基地活動家糾弾であったり、たんに「反安倍」「野党」攻撃であったりする場合である。女性の着物姿(和装)という基本的には女性しかすることのできない外見的特徴を強調することで、保守ムラの中高年男性の求める「理想の伝統的日本女性」像に寄り添うという、外見的追従行為である。

 この場合、彼女たちの発する言説は保守ムラの中の中高年男性の世界観を完全にトレースしたものであることが多い。しかしながら、「伝統的日本女性」を追求する割に、彼女たちは日本中世において女性棟梁が出現したり、女傑が活躍したりした事実を無視している。あくまでこの場合の「理想の伝統的日本女性」とは、日本史における女性の実相ではなく、明治以降の家父長制の中での封建的女性像の外見的模写である。

・保守ムラでの「処世術」がいつしか「本心」に

 このような中高年の男性寡占社会である保守ムラの中にあって、この世界で活動する女性論客や文化人、活動家がその地位を保守ムラの中で向上させ、承認を受けるためには、畢竟以上3類型のどれか、あるいはその全部を模倣する以外にほとんど方法は無い。繰り返すようにこれは男性優位的である日本社会のざまざまな組織に言えることであるが、とりわけ中高年の男性が絶対的権力をふるう保守ムラでは、まずこのような男性的価値観に追従、賛同することが求められる。

 私の観測・経験上、これら3類型のひとつにすら当てはまらない女性論客や文化人・活動家が、保守ムラの中でその認知を向上させ、保守ムラの中の寵児となった例を見たことが無い。最初からジェンダーフリーや夫婦別姓、慰安婦への謝罪・賠償を叫んで保守ムラに歓迎されることはまず可能性的にはゼロに近い。逆に言えばこれら3類型の一つでも満たせば、保守ムラは女性にその門戸を広げている。上記3類型は、いわば女性にとっては酷なことであるが、保守ムラに女性が「入門・入会」するうえでの事実上の「踏み絵」になっている。そしていざこの踏み絵を最低一つでもクリアーすれば、女性論客や文化人、活動家として保守ムラの中での地位向上や活動の幅が、ネット動画出演や雑誌寄稿などを筆頭として有形無形に広がってくる。

 彼女たちには気の毒と言うべきだが、これは女性が保守ムラの中で活動するための一種の処世術と言わなければならない。保守ムラは男性に対しては、このような「踏み絵」を課すことはまずない。無論、慰安婦批判とリンクする嫌韓、反中、親安倍(菅)、反野党、反朝日新聞、反沖縄基地反対派などは、男女問わず保守ムラの中での「定石」として自明の理になっているが、保守ムラは保守ムラの男性が着物を着て「伝統的な日本男子」の外見性を強調したとしても、それによって評価を向上させることはほぼなく、敢えて女権活動家批判や夫婦別姓に反対しなくとも、歴史修正的価値観や反朝日新聞という保守ムラの「定石」を踏襲するだけでその「入門・入会」は事実上認められる格好となっている。

 問題は、前記した「女性が保守ムラの中で活動するための一種の処世術」が、処世術ではなくなった時である。処世術とは換言すれば「本当はそうした価値観に疑問や批判を抱いているのだけれど、地位向上のためにはやむを得なく付き従っている」という、いわば面従腹背の姿勢である。だからいくら女性論客や文化人、活動家が保守ムラの中で地位向上を目指したり活動の幅を広げたりする過程で、上記3類型をトレースする行為を「処世術」と割り切っていれば、彼女たちの本心は別のところにあるわけだから、それは保守ムラという組織体の中ではやむを得ないという評価をすることもできる。

 しかし、いったん保守ムラに「入門・入会」して、徐々に、そして加速度的にそのムラの中で知名度が向上してくると、彼女たちの少なくない部分は、「処世術」と割り切っていたはずの価値観が、次第に色褪せ、むしろ保守ムラを支配する中高年男性に承認されることそのものに快感を覚えて、いつしか「処世術」が「本心」にすり替わっていく例がままある。

・保守ムラの罠『オタサーの姫』問題

着物姿の女性(フォトAC)
着物姿の女性(フォトAC)

 すでに述べた通り、その75%を中高年男性が占める保守界隈では、圧倒的に女性構成員が少ない。その中で何か一家言を持った女性は、男性のそれに比べて地位向上や認知度上昇のスペースが早い傾向にあると私はみている。当然のことながら保守ムラにおける女性構成員が少なく、さらにその中から排出される女性論客や文化人、活動家の数はもっと少ないからである。

 保守ムラは常に、男性的価値観を追従してくれる女性を求めているので、保守ムラにおける女性論客の存在はまさに恒常的に「売り手市場」となっているからである。ここで現出するのが、「オタサーの姫」と呼ばれる現象である。オタサーとは一般的にミリタリー趣味や一部のアニメ、ゲームサークルなど、その男女構成比率が大きく男性側に偏っているサークル(ムラ)において、紅一点女性が入会することにより一挙に彼女たちが注目を集め、周囲の男性からちやほやされてたちまち疑似的な「姫」として祭り上げられていく現象を指す。

 こういった過程で「サークルクラッシャー(―狭いムラ社会の中で少数の女性が男性間の人間関係を攪乱させることによってサークルが瓦解するなど)」が往々にして発生するとされるが、ここまでとは言わないまでも、まさに男性が圧倒的に多く、そしてその権力が圧倒的に男性が握っている保守ムラというサークルの中で、紅一点の女性論客や文化人、活動家は比喩的に言えば「オタサーの姫」に近い状態になり得る。そうして自身の実力以上に男性から承認され、もてはやされること自体が目的化した場合、当初「処世術」と割り切ってきた男性的価値観への追従が、いつしか「処世術」から「本心」に変わっていく。

 杉田水脈議員も、私は典型的な「オタサーの姫」と評価している。保守ムラという「オタサー」の中で、実力以上に承認され、実力以上にもてはやされた結果、いつしか男性的価値観への形式上の追従が「本心」に変わっていく事例は、なにも保守ムラの中で杉田議員ばかりが特別ではない。筆者がこれまで長年にわたって観測してきた中で、当初は単に男性優位の組織体の中であえて男性の歓心を買う世界観を開陳すること、を「処世術」的に割り切っていた女性が、次第に承認され地位が向上してくると、それが本心に転換して、むしろ封建的男性よりも激しい男尊女卑や男女平等の悪を説いたりする姿を、私は何度も見てきた。こういった心理状態を「過剰同化」とも言う(―外部から後発的にその共同体の中に入ったものが、その共同体内で認知されるために、むしろその共同体構成員の考え方よりも過剰で過激な賛同意見を発して歓心を買おうとする行為)。

・「オタサーの姫」を自分たちの都合で利用する保守ムラ男性の問題

 杉田水脈氏も、女性として生まれ、進学や就職等々の人生の節目で、女性であるという事だけで差別されたり不平等を感じたことが無いとは思えない。しかし男性優位社会の中で、そういった理不尽には目をつぶっていくこともまた「処世術」であると、割り切っていた時期があると私は考える。しかしいざ保守ムラの中で承認され、実力以上に持て囃され「オタサーの姫」状態となると、いつの時点かにその「処世術」は「本心」に置き換えられ、過激なまでの「過剰同化」を女性の側からとるようになる。これが保守ムラの罠である。

 杉田議員には、「女性であるが故の生きづらさ」を感じていたであろう時代の初心に帰っていただきたいと思う。しかし一旦保守ムラという「オタサー」の中で「姫」と持ち上げられたものが、「王位」を捨て一般人に戻るのはそうたやすいことではない。人間はいったん承認された地位を、そのままかなぐり捨てられるほど強い存在ではない。

 そして問題なのは保守ムラを支配する中高年男性が「男性からでは道徳的に言いずらいこと(特に慰安婦問題で)」を彼女たちに言わせることで留飲を下げてきたというその構造にある。「オタサーの姫」にも問題はあるが、彼女たちを自分たちの世界観の追従とその世界観強化の「補助装置」として利用してきた保守ムラ男性の罪も一等重いのではないか。(了)

作家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長

1982年北海道札幌市生まれ。作家/文筆家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長。一般社団法人 日本ペンクラブ正会員。立命館大学文学部史学科卒。テレビ・ラジオ出演など多数。主な著書に『シニア右翼―日本の中高年はなぜ右傾化するのか』(中央公論新社)、『愛国商売』(小学館)、『日本型リア充の研究』(自由国民社)、『女政治家の通信簿』(小学館)、『日本を蝕む極論の正体』(新潮社)、『意識高い系の研究』(文藝春秋)、『左翼も右翼もウソばかり』(新潮社)、『ネット右翼の終わり』(晶文社)、『欲望のすすめ』(ベスト新書)、『若者は本当に右傾化しているのか』(アスペクト)等多数。

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