ディープインパクトを破り英国GⅠへ挑戦したハーツクライの知られざるエピソード
ディープインパクトを破った後、海を渡る
現地時間24日、イギリスのアスコット競馬場を舞台にキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS(GⅠ)(以下、キングジョージ~)が行われる。ヨーロッパでは凱旋門賞(GⅠ)と並び立つビッグレース。それだけに今年も凱旋門賞の前売りで多くのブックメーカーが1番人気に推すラヴや、イギリスでダービーを制したアダイヤー、またキーファーズの松島正昭代表が共同馬主で先日のサンクルー大賞典(GⅠ)を勝利したブルームなど、トップホースが出走を予定している。
そんな大舞台で過去に好走した日本馬がいる。
ハーツクライだ。
2004年に3歳クラシック路線を戦った同馬は、3冠全てに出走。日本ダービー(GⅠ)は2着に善戦し、菊花賞(GⅠ)では1番人気に推されたがGⅠを制すまでには至らなかった。当時、同馬を管理していた橋口弘次郎調教師(引退)は、次のように語っていた。
「トモを中心に力をつけきっていませんでした。それでも素質だけで新馬や京都新聞杯(GⅡ)を勝つのだから、本格化すれば凄い馬になると思っていました」
そんな思惑が一気に開花したのが05年。ハーツクライ、4歳の秋だった。
2分22秒1という当時のレコードでイギリス馬アルカセットが勝利したジャパンC(GⅠ)でハナ差の2着に好走すると、続く有馬記念(GⅠ)ではそこまで7戦全勝で3冠馬となったディープインパクトを相手に早目先頭から粘り込み。無敗のトリプルクラウンホースに初めて土をつけて自身初となるGⅠ制覇を決めてみせた。
リップサービスのつもりが現実に
更に翌06年には海を越えた。グランプリ制覇時と同じクリストフ・ルメールを背にドバイシーマクラシック(GⅠ)に出走すると、それまでとは一転してハナを奪う競馬。そのまま最後まで危なげなく逃げ切ってみせた。
こうしてGⅠ連勝を飾ったハーツクライが、次走で選んだのがキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS。当時、橋口は笑いながら言った。
「ドバイで勝った時に半分リップサービスで『次はキングジョージだ!!』なんて言ったのですが、まさか本当になるとは思いませんでした」
イギリス入りしたハーツクライはニューマーケットのルカ・クマーニ(引退)の厩舎に入った。
「ジャパンCでハーツに勝ったアルカセットの調教師にお世話になるとは不思議な縁だと思いました」
伯楽はそう言った後、現地入り後のハーツクライについて、次のように語った。
「ドバイはユートピア(同じ橋口厩舎の馬)もいて落ち着いていたけど、イギリスは帯同馬がいないせいか、終始平常心を欠いている感じ。人の姿が見えなくなるとすぐに啼くし、立ち上がったり蹴飛ばして来たりと、普段のこの馬とは違う感じになってしまいました」
それでも「跨ると大人しくなった」し、「飼い葉は残さず食べた」ので救われた。また、調教時は併せるパートナーをクマーニが用意してくれた。
「お陰で、最低限の仕上がりにはなったかもしれないけど、正直、最後までトモが寂しい感じは拭えなかった」
橋口はそう言って、レース本番を迎える事になった。
厳しい競馬も通用するところを証明
競馬は6頭立てとなった。欧州のGⅠが少頭数になりがちなのは、高い賞金のレースほど登録料も高額になるから。登録料に見合った対価が得られないと考察される馬は回避する。裏を返せば少頭数ほど有力馬ばかりのレースになるのだ。
実際、この年のキングジョージ~も豪華なメンバーが揃った。前年のインターナショナルS(GⅠ)でゼンノロブロイを破り、この年のドバイワールドC(GⅠ)を優勝したエレクトロキューショニスト、前年の凱旋門賞(GⅠ)の覇者ハリケーンラン、先述のインターナショナルSでゼンノロブロイとアタマ差だったマラーヘルに凱旋門賞2着もあるチェリーミックスなど。ディープインパクトを破った馬をしても楽な相手ではないと思えたのだ。
実際、レースは厳しくなった。序盤のハーツクライは前にハリケーンラン、すぐ後ろにはエレクトロキューショニストという有力馬に挟まれる形。その後、エレクトロキューショニストにかわされると、同馬にインへ押し込まれる。それでも最終コーナーでは外に出し、直線1度は良い脚で伸びてみせた。
「一瞬『あるか?!』と思ったけど、そこで伸びが止まってしまいました」
ハリケーンランとエレクトロキューショニストにかわされ、ハーツクライは3着。1着からは僅か1馬身の差ながら、偉業には手が届かなかった。
「結局、最後まで本来のデキには戻らなかったのが痛かった。そんな中でも良く頑張ってくれました」
橋口はそう言って唇を噛んだが、休み明けにもかかわらず強豪を相手にこれだけのパフォーマンスを演じる事が出来たのは、さすがに日本最強馬を破った馬だけの事はあると思わせた。タフな芝で知られるアスコット競馬場だが、何もいばらの道の上を走るわけではない。能力さえ高ければ決して通用しない舞台ではないと確信出来る走りをハーツクライは披露してくれた。今年のキングジョージ~に日本馬は出走しないが、そんな見方をして観戦するのも面白いだろう。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)