「整形したら」と言われ、雑草も食べた。平川美香の“おじさん”への思い
おじさんメイクと歌声のギャップでフジテレビ系「アウト×デラックス」などでも話題になった“平川のおじさん”こと歌手・平川美香さん(35)。中学時代には、現在「HY」として活動するいとこの仲宗根泉さんとバンドを結成していましたが、大学卒業後は教員の道へ。ただ、音楽へのあふれる思いから上京して歌手を目指しました。挫折を繰り返す中で生まれた“おじさん”への思い。そして“おじさん”にたどり着くまでの思いをストレートに語りました。
教師を辞めて上京
大学を卒業して、高校の先生になったんです。ただ、中学の頃から、いとこの(仲宗根)泉とバンドを組んで音楽もしていたし、歌が本当に大好きだったんです。
先生をやっていても、生徒たちに「夢を追いかけることは大切だよ」と口では言っているのに、一方で、自分は大好きな音楽への思いを実現できていない歯がゆさもありました。大学の頃から、よく考えたら、あれほど好きだった歌番組を一切見なくなっていたんです。
というのも、見たら気持ち悪くなってトイレに行って吐いたりしてしまうので、これはいったい何なんだろうなと…。当時はその理由が分からなかったんですけど、いつまで経ってもおさまることのない音楽への思いがあるからこそ、それができていない自分に対する忸怩たる思いがドッと出てきて、気持ち悪くなっていたのかなと。
親にも「歌をやりたい」と大学の時に話したこともあったんですけど、母親が「まず、一年、先生をしてみて」と言われまして。親からしたら、実際、人に教えるのもこの子は好きだし、先生をしだしたら、その楽しさを知って、先生の道を行ってくれるんじゃないか。そんな思いがあったようで。
本当に、先生は素敵な仕事だし、とても大切な仕事だし、それは強く感じるんです。ただ、それでも、やっぱり音楽がやりたい。歌を諦めきれない。そして、26~27歳から東京に行って歌手を目指したんです。
止まらない涙
東京に出て、2~3年くらいは普通の顔というか(笑)、素顔の平川美香としてオーディションを受けていました。ただ、そこで言われたのが「これくらいのうまさの人は、いっぱいいるから」とか「君、ブサイクだから無理じゃない」とか「整形したら」とか。
でも、その言葉をもらうことが今の自分の現実だし、落ち込むことはあっても、それでも頑張ろうと思ってオーディションを受け続けていたんです。お金は全くないし、雑草を食べて過ごしているような状況でしたけど(笑)、つらいというよりも、全てを前向きにとらえていた日々でした。
そんな中、大きな会社からデビューの話をいただきまして。ただし、条件付きで。というのは“HYのいとこ”ということをキャッチコピー的に使いたいと。それができるんだったら、すぐにでもデビューできるということだったんです。もちろん、それには「HY」側の許可が必要なので、私がその交渉をしてくるという流れになりました。
ストレートにその話を「HY」側にしたら「平川美香の名前だけでのし上がって行かないと、この世界は難しい。自分の実力で頑張らないと、結局、先がなくなってしまう」という形で背中を押してくれたんです。
ただ、結果的には「HY」側の許可は取れなかった形になるので、それを再び先方にお伝えしたら「じゃ、この話はなかったことに」となりまして。もちろん、そういう条件だったわけなので、その流れになっただけなんですけど、そこで一気に身も心もボロボロになりまして。夜の11時ごろ、渋谷駅の改札の近くで声を押し殺して泣きました。いろいろな思いがこみ上げてきて、涙が止まりませんでした。
友人からの電話
もう歌手は諦めて沖縄に帰ろう。そう決めました。それまでもうまくいかないことはたくさんありましたけど、その都度「また頑張ろう」と前向きに考えてきたことが、このタイミングで一気に押し寄せてきたというか。
そんな中、たまたま、沖縄にいる友達から電話がかかってきたんです。「美香の歌を聞いたら頑張れるから、電話越しでいいから歌って」と。
その子は脳梗塞で倒れて、言葉も不自由になってしまったんです。リハビリを頑張って、一生懸命振り絞った言葉が「歌って」。電話口で泣きながら歌いました。
直前に自分を否定されたところから、自分をこの上なく求められた。その電話がなかったら、確実に、もう歌はやってなかったと思います。
この子はすごく頑張っているのに、私は否定されたくらいで諦めようとしている。それは早すぎないかと思いまして。自分はやれるだけのことをやったのか。みんなに聞いてもらえるように動いたのか。努力をしたのか。
そう考えると、まだまだだと思いまして。まずみんなに見てもらえるように、いろいろなことに挑戦しようと。他の歌手がしていないこと。すき間産業じゃないですけど、誰もやっていないことをやって、まず存在を知ってもらおう。そう思って、おじさんの格好をするようになったんです。
貫き通すこと
おじさんでいくというスタートラインに全く迷いはなかったんですけど、実際にやり始めると、あらゆるところから批判もありました。
アーティスト仲間からも「なんで、おじさんで歌ってるの?」「バカにしてるの?」と言われましたし、一番理解してほしい家族にも、なかなか理解してもらえなかったり…。
苦しかったけど、でも、周りから「このスタイルはダメ」と言われて辞める自分も嫌だなと思って。自分が「これじゃ、無理だ」と思った時におじさんを辞めようと。それまでは誰に言われても、めげずに突っ走ろう。
批判の声は2~3年ほどは続きましたし、今でも、いろいろなご意見はあると思いますし、家族もお酒を飲むと「あんたは、いつ孫を見せてくれるのか」と泣いたりもしています。でも、今が頑張りどころということも分かってくれている。
やっていくうちに、貫いているうちに、少しずつ賛同してくれる人の割合が増えていった。批判していた人たちも「そこまで信念を持ってやっているんだ」と認めてくださったり。貫けば道ができる。それを実感しましたね。
おじさんの今後
今、お仕事をいただくスタイルとしては、8割がおじさんスタイルで、素顔の平川美香が1割、あと1割が(セクシー系の格好でパフォーマンスをする)レディブブというキャラクターという感じです。
これからも、歌が基本、幹というのは絶対なんですけど、理想はお芝居だとか、トークだとか、全てを盛り込んで、お客さんに楽しんでもらいたいと思っているんです。
私はこのおじさんスタイルが大好きだし、自信を持ってやっているんですけど、おじさん一辺倒ではどうしてもステージでできる選択肢が少なくなってしまう。なので、これからもおじさんはやり続けますが、おじさんの割合を変えていかないといけないなとは思っています。
活動の割合が今と逆転するというか、平川美香が基本になって、そこにゲスト的におじさんが出たり、レディブブが出たり。そうなっていったらなと思ってはいます。
その意味でも、先月出したアルバム「Meekaa Holic」では、平川美香の音楽性を出していこうと。前作のアルバムではおじさんを全面に押し出した形にしたんですけど、今回はおじさん以外の平川美香を見てもらって、分かってもらって、ハマっていってもらえればなと。
でも、今はやっぱりこのおじさんの顔のイメージが圧倒的に強いです。時々、このメイクのまま仕事先から電車で帰ったりもするんですけど、以前は「うわ、変なヤツがいる」という何とも言えない空気が車内に充満して、乗客の皆さんが私から距離を置くということも多々あったんです。
でも、今、少しずつですけど「平川のおじさんですよね?」と声をかけてもらうことも増えてきて、その人たちが私に握手を求めてくれたりすると、周りの人が「あ、この人はこういう仕事をしている人で、少なくともアブナイ人ではないんだ」と安心してくれると言いますか(笑)。
今でおじさんをやって7年くらい。貫き通せば、世界が変わる。そんなことを少しずつですけど、強く感じています。
(撮影・中西正男)
■平川美香(ひらかわ・みか)
1984年1月9日生まれ。沖縄県出身。中学生の頃から従姉妹である「HY」の仲宗根泉とユニット「first」を結成し音楽活動を始める。大学卒業後、高校の教師になるが、音楽への思いが断ち切れず、上京して歌手を目指す。挫折を繰り返す中で生まれた“平川のおじさん”や“レディーブブ”などのキャラクターが注目を集め、フジテレビ系「アウト×デラックス」などでも話題となる。セカンドアルバム「Meekaa Holic」が発売中。7月20日にはTBS系「開運音楽堂」、同26日にはTOKYO MX「うたなび!」に出演する。