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ハリウッドのセクハラ騒動:セクハラ男たちの作品はボイコットすべきか。業界記者、関係者の意見

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
ケビン・スペイシーの騒動は「ベイビー・ドライバー」の賞レースに影響を及ぼすか(写真:Splash/アフロ)

 作品と、それを作った人は、分けて考えるべきなのか。昔からあるその論議が、また再燃している。そして、時代の流れは、次第に「分けては考えられない」ほうに傾きつつあるように見える。

 過去に未成年に性的暴行を加えた疑いがもたれながらも、ウディ・アレンやロマン・ポランスキーは映画を作り続け、批評家から絶賛されたり、オスカーに候補入りしたりしてきた。だが、先月末、ケビン・スペイシーの長年にわたるセクハラ行動やレイプが発覚すると、Netflixはたちまち、エミーに毎年ノミネートされてきた看板番組「ハウス・オブ・カード 野望の階段」の製作を打ち切る。現在は、スペイシーのキャラクターを殺す方向で、どう続けるかが検討されているとのことだ。また、ソニーは、来月に公開を控えるリドリー・スコット監督作「All the Money in the World」のスペイシーの役を、クリストファー・プラマーを使って撮り直すと決めて、文字どおりスペイシーを抹消した。コメディアンのルイス・C・Kに関しても、彼の最新映画「I Love You, Daddy」の北米配給会社は公開中止を決め、海外の配給会社のいくつかが同じ決定をしている。HBOは、これから放映予定だったものだけでなく、彼が過去に作ったコメディ番組のオンデマンド配信もやめた。彼という人の真実が明らかになったことで、作品自体も否定されたわけだ。

 これらの会社にしてみたら、自分たちまで非難される前に、とっとと問題の人物と縁を切らなければというところだろう。しかし、昔の作品までもが罪をかぶるべきなのか。そもそも、人は、これらの人が出る、あるいは作った過去の作品を見た時、現実を忘れてその世界に没頭することができるのだろうか。ハリウッドについて長い間取材してきている映画ジャーナリスト仲間や、映画プロデューサーに、個人的意見を聞いてみることにした。

ルイス・C・Kが監督、出演する映画「I Love You, Daddy」は、9月のトロント映画祭でプレミアされ、話題になったが、彼の長年のセクハラが発覚したせいで公開中止となった。(写真/Courtesy of TIFF)
ルイス・C・Kが監督、出演する映画「I Love You, Daddy」は、9月のトロント映画祭でプレミアされ、話題になったが、彼の長年のセクハラが発覚したせいで公開中止となった。(写真/Courtesy of TIFF)

「今の私は、ケビン・スペイシーの作品を、以前と同じように楽しむことができないわね」と言うのは、オーストラリアの映画雑誌「FilmInk」やイギリスの新聞「The Independent」などに執筆するジル・プリングルさん。彼女は、ソニーが「All the Money in the World」に関して下した決断を賞賛するが、この夏のスマッシュヒット「ベイビー・ドライバー」が、スペイシーのために賞レースで不利になることを恐れてもいる。「あれは、今年最高に革命的な映画だった。断然、賞に値するわ」(プリングルさん)。

 スペインの「ヴォーグ」や新聞「ABC 」の記者マリア・エステベスさんも、「切り離すのは難しい」派だ。「ルイス・C・Kの作品は、絶対に見ない。『ハウス・オブ・カード〜』も、たぶん見ないわね」と言う彼女は、「映画やテレビは、そもそも、エスケープさせてくれる存在なのよ。なのに、そこに出ている俳優を、キャラクターではなく、私生活であんなことをした人だ、と見てしまうことになったら、本来の目的が達成できず、時間の無駄でしょう」と説明する。

 一方で、「分けて考えるべき」と言うのが、ブラジルの新聞「Valor Economico」のイレイン・グェリーニさん。「彼らが犯したと言われている罪のせいで、ルイス・C・Kやケビン・スペイシーが優れたアーティストであるという事実が変わるわけじゃないわ。ウディ・アレンやロマン・ポランスキーに対して、人は、作品と分けて考えてきた。そもそも、たいていのアーティストについて、本当はどんな行動を取る人なのか、私たちは知らないのだし」というのが、彼女の主張だ。

「ヒステリア」「ブロンド・ライフ」などを製作した映画プロデューサーのケン・アチティさんも、「分けるべき」派。「今日のモラルで過去の芸術を判断し始めたら、これまでに作られたほとんどの作品が失われてしまう。 芸術が私たちに及ぼすあらゆる影響もだ」というのが彼の理論だ。「こう言うと嫌われるかもしれないが、ひどいことをしたとはいえ、コスビーやスペイシーやワインスタインが、ファニーではなかった、才能がなかったということにはならない」とも言うアチティさんは、「やりすぎな対応のせいで、(キャンセルされた作品に出演する)罪のない共演者たちが、金銭的にも、心理的にも傷ついてしまった。その人たちが気の毒だ」とも付け加える。

「The Red Bulletin」で映画記事の編集を担当するルディガー・ストゥルムさんも、「作品は作品として評価するべきだ」と考える。「映画は、大勢の人々によって作られる。ハーベイ・ワインスタインがプロデュースしたからといって、『パルプ・フィクション』は、もう見ないのか?サム・メンデスの演出とアラン・ボールの脚本がすばらしかったのに、『アメリカン・ビューティ』にゴミ箱に行けというのか?たしかに、映画に出ている人が私生活で取った行動は、作品を見ている時に思い出してしまうだろう。だが、それは時間が経てば薄れていくはずだし、そうであるべきなんだよ」と言う彼は、「アートは、アーティストの手を離れたら、人々のもの。それは、俳優の演技についても同じ。一個人としては、ほかの人間と同じモラルで判断されて当たり前としてもね」とも述べた。

 先に出たプリングルさんも、スペイシーらに対する人々の反応は、将来、変わるかもしれないと考える。「大人気コメディアンだったロスコー・“ファッティ”・アーバックルは、20年代にレイプの疑いをかけられて、無実になったのに、10年ほど後、カムバックできないまま死んでしまった。でも、ビル・クリントンは、良き元大統領として、今も愛されているのだからね」(プリングルさん)。

「アメリカン・ビューティ」で女子高生に心を惹かれる中年男(スペイシー)を、まったく皮肉な思いなく見られる日は、どれくらい経てば来るのだろうか。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「シュプール」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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