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ある将棋ライターが選ぶ平成の名局十番

松本博文将棋ライター

 一介の将棋ライターが個人的な見解として、平成の名局10局を選んでみました。

第10位 ▲清水上徹アマ-△早咲誠和アマ

(朝日アマチュア名人戦三番勝負第3局、2010年5月30日)

 将棋界全体のレベルアップにともなって、アマ棋界からもまた、多くの強豪が輩出された。早咲誠和さん、清水上徹さんはその代表格である。

 図は最終盤。後手の早咲アマが△2七銀と打った局面。

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 後手からは次に△1六歩と打つことはできない。先手玉は打ち歩詰め(反則)でからくも耐えている。さらには△2五桂と打っても▲同飛不成!で詰まないという、まるで作ったかのような筋が生じている。奇跡的な局面というのは、実力者同士が全力を尽くした末に現れることが多い。

 人間よりも強くなった現代のコンピュータ将棋であっても、図で正確な形勢判断をすることは難しい。△2五桂に対しては、▲同飛不成を考慮できないからだ。図から清水上アマは▲3四飛と打ち、△3六歩▲3五馬△8二玉▲8四歩と進む。先手玉の打ち歩詰がずっとそのままの状態というきわどい終盤戦が続き、最後は清水上さんが競り勝った。

 いつの時代であっても、アマチュアのトップレベルは強い。そうした中で、昭和の中頃からアマプロ戦がさかんになり、大きな注目を集めた。平成の中頃には、もうアマがプロに勝っても、それほど話題にはならなくなった。健全なことだろう。

 棋士の養成機関である奨励会の厳しさは、今も昔も変わらない。しかし、平成の半ばには、棋士となる夢が破れた人でも、プロに再チャレンジする道が開かれた。その道を切り開いたのが瀬川晶司さん(現プロ六段)であり、今泉健司さん(現プロ四段)である。瀬川さんの編入六番勝負や、今泉さんの編入五番勝負もまた、平成における大きな勝負だった。

第9位 ▲佐藤康光棋聖-△中井広恵女流三冠

(NHK杯2回戦、2004年10月18日)

 女流棋士が男性棋士に勝つ。それもまた、昭和の昔には夢のような話だった。しかし1993年。女流のトップクラスである中井広恵が竜王戦6組で池田修一六段(当時)戦に勝利をあげて以来、女流棋士が男性棋士に勝つことは、そう珍しいことでもなくなった。

 2003年度のNHK杯。中井は畠山鎮六段(現七段)と青野照市九段(当時A級)を連破した。続く2004年度では佐藤秀司六段(現七段)に勝ち、さらには2回戦で現役タイトルホルダーの佐藤康光棋聖(当時)と対戦した。

 相居飛車の戦いから、中盤では中井優勢に。図は終盤、あともうひと押しで中井勝ちという局面である。

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 現代のソフトは、図から△8四桂や△6六金で、評価値にして2000点近く後手よしと判定する。実戦は△4二金右▲4六桂△4三金寄▲3二銀成と進んで、佐藤がからくも逆転勝ちを収めた。中井は惜しい一局を逃したが、それでも女流棋士のレベルアップを世間に周知させるには十分な内容だった。

 ちなみに以下は1981年度の小学生名人戦のトーナメント表である。

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 よく眺めてみれば、佐藤康光、畠山成幸、畠山鎮、羽生善治(翌1982年優勝)、村山聖、近藤正和、中座真、松本佳介と、後に棋士となった少年たちの名前を見つけることができる。中井はこの年、並み居る早熟の少年たちに勝ち、準優勝という輝かしい成績を収めている。長い小学生名人戦の歴史で、女子が決勝まで進出したのは、この一度きりだ。

 平成の間、女流棋界は大きな発展を遂げた。女流棋戦で最も実績を積んだのは、中井のライバルである清水市代女流六段。その後には里見香奈(現女流四冠)が第一人者となった。里見が現在、男性棋士を相手に一般棋戦で多くの勝ち星をあげているのもまた、周知の通りであろう。

第8位 ▲BONANZA-△渡辺明竜王戦

(大和証券杯特別対局、2007年3月21日)

 平成が始まる頃、コンピュータはアマ有段者にも勝てなかった。棋士と真剣勝負できる未来が訪れるなどは、事情をよく知る専門家たちにとっては、夢物語だった。そこからまるで、夢を見ているかのようにコンピュータが強くなっていく。(その過程については、拙著『ルポ 電王戦』などを読んでいただければさいわいです)

 2005年に保木邦仁さんが発表したBONANZAは、コンピュータ将棋界にブレイクスルーをもたらした。保木さんは当時、カナダのトロント大学で研究生活を送っていた物理化学者。将棋に関しては、まったくの素人だった。

 2006年、コンピュータ将棋選手権優勝を果たしたBONANZAの強さに関しては、将棋界のごく一部では話題になっていた。しかし、トップ棋士の渡辺明竜王との対戦が実現するなどは、夢のような話だった。

 この一局は、渡辺が絶対に勝つという前提がなければ実現しなかった。しかし後で振り返ってみれば、将棋連盟側は相当に危ない橋を渡っていた。将棋に絶対などないからである。ましてそれが一番勝負となれば。そして大方の予想に反して、BONANZAは若き竜王を相手に、大善戦する。

 図は渡辺がもっとも冷や汗をかいた局面。

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ここでBONANZAは▲2四歩としたため、△2六金以下、穴熊の距離感を正確に読み切った渡辺が辛勝を果たした。代わりに▲2七香△2六金▲同香△2七歩▲3八金打△2八歩成▲同馬(参考図)と進めれば、どちらが勝っていたか、わからなかった。

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 2016年、囲碁の世界ではGoogle DeepMindによって開発されたAlphaGoが世界トップの李世ドル九段を相手に五番勝負をおこない、4勝1敗で勝った。その際には、大変な騒ぎとなった。将棋界で、もし2007年の段階で竜王がコンピュータ将棋に敗れていれば、それを上回るようなインパクトがあっただろう。

 2013年。コンピュータと現役棋士との真剣勝負をうたった電王戦において、コンピュータは現役棋士を相手に3勝1敗1分の成績を残す。その大将戦、GPS将棋と当時A級棋士だった三浦弘行八段(現九段)戦は、GPSの完勝だった。その内容と結果をもって、コンピュータが名実ともに、人間の技倆を超えたと言っていいのではないか。後世には、そうした評価が定まっているものと予想しておく。

第7位 ▲藤井聡太四段-△澤田真吾六段戦

(棋王戦予選・千日手指し直し局、2017年6月2日)

 史上最年少の14歳2ヶ月でデビューした新人が、デビュー以来無敗で、棋界新記録の29連勝を達成・・・。って、そんなバカな。今振り返ってみても、信じられない。そんな現実離れしたことが現実に起こったのが、つい最近。平成最終盤のことである。

 澤田六段戦は、その29連勝中の中でも屈指の一局ではないか。澤田がうまく指して、藤井玉は部分的に「必至」(受けなし)に追い込まれる。しかし藤井の図抜けた終盤力はそこから発揮される。澤田玉にきわどい王手をかけ続け、図の▲7六桂が渾身の勝負手。

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 図で△7五玉とかわせば澤田の勝ちだったが、△7六同金▲6七歩△4六角▲5七銀打と進んで大逆転。受けなしだったはずの藤井玉が息を吹き返した。

 藤井の敗勢からの鬼手といえば、2018年度最後の中田宏樹八段戦、△6二銀も記憶に新しい。まだデビューしてわずかの期間ながら、藤井は既に多くの名局を残している。たとえば29連勝を達成した増田康宏戦、30連勝を阻止された佐々木勇気戦、2017年度朝日杯準決勝の羽生善治戦、決勝の広瀬章人戦などがあげられるだろう。

第6位 ▲羽生善治二冠-△森内俊之名人戦

(名人戦七番勝負第4局、2008年5月20日・21日)

 2000年代の名人戦は、羽生善治と森内俊之によるマッチレースの感があった。森内が先に18世名人の資格を得たのに対して、2008年度の名人戦は羽生にとって、名人復位とともに、19世名人の資格がかかったシリーズだった。

 森内1勝、羽生2勝で迎えた第4局は、筆者にとってとりわけ印象深い。森内の角換わり向かい飛車に対して、究極の神経戦とでも言うべき、長く深遠な中盤戦が続いた。

 図は2日目の午後。

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 羽生は1時間20分考えた末に、▲1八香と上がる。次いで△1四歩▲1六歩。

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 現代将棋の最高峰の戦いを見ても、高度すぎてわけがわからないことは多い。それにしてもこの対局は、あまりに深遠すぎた。

 第4局の勝負は羽生の勝ち。シリーズは羽生が4勝2敗で制して、名人復位。19世名人の資格も得た。

 羽生善治、森内俊之、佐藤康光、郷田真隆、丸山忠久、藤井猛、村山聖、先崎学ら、1969年度、70年度に生まれた一群の棋士は「黄金世代」と称される。これらの棋士同士の激闘ぶりは、10局だけではまったく網羅できない。もしベスト30まで選ぶことができるのであれば、羽生-佐藤の竜王戦七番勝負、羽生-郷田の王位戦七番勝負、羽生-村山の順位戦や王将戦リーグ、丸山-村山のB級1組順位戦、羽生-藤井の竜王戦七番勝負なども入れたい。

第5位 ▲羽生善治五段-△大山康晴15世名人

(竜王戦決勝トーナメント準決勝、1989年8月25日)

 大山康晴は当時66歳。長く続いた昭和の時代に、ただひたすら勝ち続けた大名人である。この時は1組3位と、まだ衰えぬ力を見せつけていた。一方で羽生善治は18歳。次代を担うと誰もが認めた、早熟の大天才だった。この時は4組優勝での決勝トーナメント進出。百戦錬磨の大山振り飛車に対して、若き羽生は棒銀で挑んだ。図は終盤戦。

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 難しいようだが、▲8三桂成△同銀▲6六銀が非凡な着想。

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 遅いようでもじっと銀を前に進めて、これで決まっている。この大一番を制した羽生は、挑戦者決定戦三番勝負で森下卓を2連勝で降す。さらには竜王戦七番勝負で島朗竜王も4勝3敗1持将棋で降す。羽生は19歳の若さで、初タイトルの竜王位に就いた。

第4位 ▲渡辺明竜王-△羽生善治挑戦者

(竜王戦七番勝負第4局、2008年11月26日)

 平成を代表する両雄による、歴史的な一局。もしアンケートを取ったら、これが1位の可能性も高いのではないか。このシリーズを制した者が史上初めて、永世竜王の資格を得る。そして羽生にとっては、永世七冠という、途方もない記録もかかっていた。

 羽生は出だしから3連勝と圧倒する。長い将棋界の歴史で、3連勝後の4連敗はない。誰もが羽生の記録達成を確信するような流れの中、第4局でも羽生が渡辺を追い詰める。しかし渡辺玉はからくも、打ち歩詰で逃れていた。

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 見れば見るほど、奇跡のような局面である。ここから渡辺は息を吹き返す。そして史上最強の羽生を相手にして、将棋界初の3連敗4連勝を達成。竜王防衛、および初代永世竜王の資格を得た。

 圧倒的な実績を誇る羽生世代を前にして、渡辺は孤軍奮闘するかのように、竜王位11期をはじめタイトル合計22期を獲得した。

 羽生の永世竜王獲得は、2017年度まで持ち越しとなった。羽生はその栄誉を機に、国民栄誉賞まで受賞している。

第3位 ▲谷川浩司王将-△羽生善治六冠

(王将戦七番勝負第7局・千日手指し直し局、1995年3月23日・24日)

 羽生が七冠を制覇するまでの過程は、実にドラマチックだった。そしてついに、羽生七冠誕生かと思われた王将戦七番勝負。最高のライバルである谷川が立ちはだかった。

 両者3勝ずつで迎えた第7局。先番を得た羽生は相矢倉に進める。図は40手目まで。

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 ここから羽生は▲7五歩と仕掛けた。以下は進んで、76手で千日手が成立した。それだけでも十分劇的である。

 しばらくしておこなわれた指し直し局では、谷川が先手番。驚くべきことに40手目までで、まったく同じ局面となった。

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 谷川は▲3五歩と手を変える。そして111手で羽生を降し、孤塁を守った。

 七冠達成は成らなかった羽生は、六冠を防衛したまま、翌年も王将戦で谷川に挑戦。そして1996年2月14日。ついに前人未到の七冠同時制覇を達成した。

第2位 ▲羽生善治五段-△加藤一二三九段

(NHK杯準々決勝、1989年1月9日)

 将棋史上最高の妙手のひとつ、羽生の▲5二銀。図を掲げれば、多くを語る必要はないだろう。

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 NHK杯の対局はおおむね月曜日に収録され、日曜日に放映される。本局が収録されたのは1989年1月9日(月)。年度としては1988年度(昭和63年度)だが、日付としては、平成に改元されてすぐのことだった。18歳の羽生は、大山康晴、加藤一二三、谷川浩司、中原誠と、歴代4名人を連破してNHK杯優勝を果たす。

 1988年度、対局数、勝数、勝率、連勝の記録4部門も制して、五段にして将棋大賞の最優秀棋士賞を受賞。タイトルホルダーでない棋士が最優秀棋士賞に選ばれたのは、後にも先にも、この時だけである。

 またつけ加えれば、羽生は昭和最後の新人王(新人王戦優勝者)である。平成最後の新人王が藤井聡太というのもまた、出来過ぎの話ではないか。

第1位 ▲羽生善治三冠-谷川浩司九段

(2006年3月16日、名人戦挑戦者決定戦)

 升田幸三と大山康晴による「高野山の決戦」の昔から、名人戦挑戦者決定戦は名局が多い。その中でも2005年度の羽生-谷川戦は、屈指の一局ではないか。

 A級の本割で8勝1敗同士の対決。戦形は角換わり腰掛銀。手に汗にぎる攻防が続いた後、最終盤、谷川が△7六金とただのところに金を打つ。

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「すごい将棋ですねえ」

 佐藤康光棋聖が驚きの声をあげる。羽生は自玉を受けるか、それとも谷川玉を詰ましにいくか。残り5分のうち3分を割いて、羽生は▲3一角から寄せに出た。しかし、谷川玉は綱渡りのようなきわどい受けで生き延び続ける。谷川玉は自陣一段目から、相手陣九段目に達した。

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 さらにまた中段五段目までに追われる。そしてきわどく詰まない。王手をかけ始められてから40手。ついに谷川は逃げ切った。

「棋史に残る名局を制して、谷川は再び名人戦七番勝負の舞台に立つ」

 終局後のあわただしい時間の中、筆者はコメントにそう記した。記者の質問に対して谷川が答えている間、羽生は盤の前で打ちひしがれている。あれほど落胆した羽生の姿は、後にも先にも、筆者は見たことがない。

 以上、平成最後の夜に、勢いだけで選んだ。冷静に見れば、あれも抜けてる、これも抜けてる、ということになりそうだが、ご容赦いただきたい。

将棋ライター

フリーの将棋ライター、中継記者。1973年生まれ。東大将棋部出身で、在学中より将棋書籍の編集に従事。東大法学部卒業後、名人戦棋譜速報の立ち上げに尽力。「青葉」の名で中継記者を務め、日本将棋連盟、日本女子プロ将棋協会(LPSA)などのネット中継に携わる。著書に『ルポ 電王戦』(NHK出版新書)、『ドキュメント コンピュータ将棋』(角川新書)、『棋士とAIはどう戦ってきたか』(洋泉社新書)、『天才 藤井聡太』(文藝春秋)、『藤井聡太 天才はいかに生まれたか』(NHK出版新書)、『藤井聡太はAIに勝てるか?』(光文社新書)、『棋承転結』(朝日新聞出版)など。

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