いつ終わるか誰にも分からない。でも、いつかは終わる。それまでは――
熊本地震の本震から今日で4年。毎年この時期になると、いつ終わるとも知れぬ余震におびえた日々が思い起こされる。そしてそれは、新型コロナウイルスの感染が拡大する今の状況と、どこか重なる。
熊本地震は、観測史上初めて震度7を2回観測したことが大きく報じられた。人々の記憶の中にも、この数字は強く残っている。しかし、最大震度5弱以上の揺れを、4月14~19日で20回観測したことを覚えている人は少ない。この間、緊急地震速報は県内で17回発出されており、私が公園に避難している最中も、周囲でスマートフォンがけたたましく鳴っていたことを覚えている。その後も余震は続き、震度1以上の余震はこれまでに4000回以上発生している。
現在の日本の雰囲気は、2016年4月14日に発生した、熊本地震の「前震」の翌日とよく似ている。その日、誰もが自宅や職場の片付けに追われていた。当時私が執筆した記事を見返すと、「冗談を言う余裕があった」と記されている。大きな被害は局所的なもので、建物被害もまだそれほど多くはなかった。マスコミにとっては地震の被害を伝えられる「画(え)」は少なく、テレビでは被害があった同じ建物ばかりを中継していた。
16日午前1時25分。片付けで疲れ果て、ようやく就寝した人々を襲ったのが「本震」だった。本震からしばらくは仕事どころではなかったので、炊き出しをしたり、避難所に身を寄せる人々の心理面のケアにあたったりしていた。夜は公立中学校に設けられた避難所で過ごしたが、「大きな地震がまた起こる」など真偽不明の情報が避難所で出回っており、だんだんと神経がすり減っていった。
数日後に自宅に戻ってからも、余震は一向に収まる気配を見せなかった。震度が大きくても小さくても、地震の初期微動があるため、揺れている最中に「ここから大きくなるのでは」と極度の不安に襲われる。そのまま収まったり、そこから揺れが大きくなったりするのだが、たとえ震度1でも毎回何者かに心臓が握られるような感覚だった。
熊本地震から1年後の2017年4月16日に私が投稿した記事には、「今も時折発生する小さな揺れのたびに、心臓がつかまれるような感覚に襲われ、心拍数が急激に上がる」と書いてある。気象庁がまとめた表で確認すると、確かにその頃も余震が続いている。それほどまでに長く続いていたことに驚く。
ネガティブな情報がまん延し、かつ心が一時も休まらない。そして、終わりが見えない。その意味で、今の新型コロナの状況は、当時とよく似ていると感じる。
震度3程度の余震が発生するたびに、ショックを受ける。「余震はいつ収束するのだろう」と考える。しばらくすると「さすがにもう大丈夫だ」と思い、そしてまた震度3程度の余震が起きて、失望する。発災からしばらくの間は、この流れを繰り返していた。
そんなことが続くと、「このまま永遠に余震が続くのではないか」「また大きな地震が発生するのではないか」などと本気で考えるようになる。当時、私たちのストレスは相当なものだった。事態が好転したからといって、気を抜いているとどん底に突き落とされる。ある時を境に「余震はしばらく起こる。でも、いつかは終わる。余震と上手に付き合っていこう」と考えるようになった。マインドセットを変えてからは、ある程度の耐性がついたようにも思う。
そうやって生活していたら、いつの間にか余震はほぼ収まっていた。周囲を見渡すと、復興も着実に進んでいる。
最近の報道は「いつか終わる。でも、いつ終わるか誰にも分からない」のように、不安をかき立てるものが多い。これを「いつ終わるか誰にも分からない。でも、いつかは終わる。それまでは上手に付き合っていこう」と書き換えてみる。新型コロナはいつ収束するか誰にも分からず、油断も厳禁だが、今の状況に適応する形で生活を続けていく。そうすればいつの間にか収まっている。熊本地震を経験した自分に、日々そう言い聞かせている。