「世界に暴露してくれ」北朝鮮兵士がロシアからかけてきた一本の電話
タス通信は11日、ロシア当局が今年初め、極東ウラジオストクで韓国人1人を「スパイ容疑」で拘束していたと伝えた。
韓国の聯合ニュースによれば、この韓国人は脱北者の救出活動などを行ってきた宣教師だという。1月に中国から陸路でロシアに入国し、数日後に拘束されたとしている。
ロシアでは北朝鮮から派遣された労働者たちが職場を離脱し、韓国などに亡命を試みるケースがある。過去には成功した例がある一方、成功直前まで行きながら、現地で北朝鮮の工作員によって拉致され、本国で処刑された例もあった。一度は、兵士の身分のまま派遣されていた労働者が、同僚の死を告発するため電話をかけてきたこともあった。
(参考記事:北朝鮮の15歳少女「見せしめ強制体験」の生々しい場面)
ロシア・ブリヤート共和国のネットメディア、バイカル・デイリーは2021年4月、現場を離脱し脱北した北朝鮮人労働者3人が無事韓国にたどり着いたと報じた。これに先立つ3月31日、ロシアで働いていた北朝鮮労働者11人が韓国に到着したことが明らかになっているが、バイカル・デイリーが報じた3人が含まれていたかは詳らかでない。
バイカル・デイリーによると、この3人は、北朝鮮からアムール州に派遣され、働いていた労働者だ。同州は深刻な労働力不足に悩まされ、北朝鮮労働者の追放を義務付けた国連安全保障理事会の決議案採択後も、連邦政府に受け入れの継続を求めていた。
同サイトによると、脱北を決意した3人は、ネットで情報を調べているうちに、モンゴルの首都ウランバートルに韓国大使館があることを知り、国境を越えて駆け込むことを考えた。無事に国境を越えられたとしても、ウランバートルまでは400キロの道程。かなり無謀な計画だったが、2019年3月に実行した。
ブリヤート共和国の首都ウラン・ウデを経て、ジジンスキー地区の村に移動したが、国境の手前数百メートルの地点でロシア国境警備隊に逮捕された。ウラン・ウデ刑務所に収監され、裁判で懲役1年8カ月の刑を宣告された。
恩赦で翌年2月に釈放され、ウラン・ウデで職を得た彼らだが、現地住民からは「強制送還されるのではないか」「難民認定すべきだ」などの声が上がっていた。
弁護士で社会活動家のアレクサンドラ・ミャハノワ氏は、3人が韓国に向かったことを明らかにし、2020年夏に撮影した脱北者のうち1人のインタビューをインスタグラムで公開した。
この北朝鮮男性は、アムール州で働き親戚に仕送りをしていたが、自由がなく給料が搾取され刑務所のようだったと、流暢なロシア語で答えた。また、1997年から韓国行きを考えていたが、多くの脱北者が韓国行きに利用する中国経由は強制送還されるリスクが高いと見て、ブリヤート共和国を経てモンゴル経由で韓国行きを目指した。
欧州人権裁判所(ECHR)は2017年2月、ロシア政府に対して脱北者チェ・ミョンボクさんの強制送還を、審理が終わるまで禁止する決定を下している。また、2019年5月にも同様の決定を下しているが、この決定が3人に有利に働いたようだ。
ロシアも2022年にウクライナ侵攻に踏み切るまでは、それなりに国際社会の視線を気にしていたのだろう。
トイレで消えた男性
一方、2021年4月27日には、韓国デイリーNK編集部に、一本の電話がかかって来た。「外国にいる」「現地の電話からかけている」と明らかにした男性は、「全世界に必ず暴露すべき」だと語気を強め語った。
自らの素性を明らかにせず、キムとだけ名乗ったこの男性は「(他のことは質問せず)自分の話だけを聞いてくれ、これを世界に知らせてくれ」と述べた。
20分余りの通話で明らかにされたのは、北朝鮮の最高検察所がロシアで行なった、脱北者拉致事件の詳細だった。その訛りから彼が北朝鮮出身であろうことが推測できたが、噂話に尾ひれが付きがちなのが、北朝鮮情報の常だ。取材班は事実確認のために、ロシア国内の別の情報筋に連絡を取ったところ、キム氏の証言内容と一致する話に加え、さらなる情報を提供してくれた。以下は、それらをまとめて再構成したものだ。
北朝鮮は、数多くの労働者をロシアの建設現場に送り込んでいるが、その中には朝鮮人民軍(北朝鮮軍)の兵士もいる。7総局(工兵総局)傘下の錦陵会社の分隊長だったチュ・ギョンチョルさんもその中のひとりだった。電話をかけてきたキム氏が、彼の同僚であるのは間違いないと見られる。
北朝鮮は、海外に派遣した労働者に「忠誠の資金(上納金)」のノルマを割り当てている。労働者の中には、給料の多くを当局にピンハネされた上に、上納金の工面に追われた挙げ句、命を絶つ人もいる。その一方で、バイトをかけ持ちするなどして、上納金を収めながらも、収入を確保する人もいた。
しかし、兵士らが置かれた状況はいっそう過酷だ。軍の命令で派遣された彼らに給料はビタ一文入らず、全額を北朝鮮当局に搾取される。バイトに出かける自由もない。
ロシアに派遣された建設部隊の兵士らは、ゴミ箱からタバコの吸い殻を集め、紙で巻き直して吸うほどの極貧生活を強いられた。「白飯に肉の入ったスープが食べられ、外国見物ができるのもすべて党のおかげ」という触れ込みとはかけ離れた暮らしだった。
「1ドルも手にできないままでは帰国できない」
国に裏切られたという気持ちと、漠然とした不安感を抱いていたチュさんは2017年1月末、韓国行きを決心。現場を離脱して、ロシア駐在の国連の施設に逃げ込んだ。
それから5カ月後。彼が暮らしていた国連の難民施設に、ロシア連邦保安庁(旧KGB)の要員がやって来て、彼の身柄を引き渡すよう要求した。北朝鮮の最高検察所から、チュさんが未成年に対する強姦殺人未遂の容疑者であるとの通知があったからだという。
「わが国(北朝鮮)から逃げた人を捕まえる場合に、よく使う手法をチュさんにも使った」(キム氏)
サンクト・ペテルブルグの警察署の留置場に移送された彼は、「北朝鮮に送り返されて殺される」「助けてくれ。殺人はしていない。帰国させられれば民族反逆者にされて殺される」と涙を流しながら命乞いをした。
ロシア当局は、人権がらみで国際社会から非難を受ける余地を残したくなかったもようで、北朝鮮から送付されてきた書類を綿密に検討した。すると、書類に記された犯行日時が、チュさんがロシアに入国した後のものであることが確認された。勾留から40日後、裁判で無罪判決を受けた彼は自由の身となり、国連の施設に戻ることができた。
2018年春、韓国行きの日を指折り数えていた彼のもとに、サンクト・ペテルブルグの連邦保安庁から面談の要請が入った。彼は、国連施設の弁護士とともに外出した。そこで、彼は姿を消した。立ち寄ったトイレで、拉致されてしまったのだ。
数日後、遠く離れたウラジオストクの裁判所で強制退去命令を下され、その日のうちに北朝鮮に強制送還された。その後の彼に何が起きたのか。デイリーNKの北朝鮮国内の高位情報筋の話はこうだ。
「チュさんは、当時7総局海外軍人建設労働者のうち、最も(滞在期間が)長い組長で、党の資金の流れをくまなく知っていた。越南逃走(脱北後の韓国行き)を把握した後、『殺してでも連れてこい』という党の方針が下されたと聞いている」
知りすぎてしまったが故に拉致、強制送還されたチュさんは4カ月後、裁判を受けることもなく「国家保衛省(秘密警察)に、革命の名の下に処刑された」(情報筋)という。
(参考記事:美女2人は「ある物」を盗み公開処刑でズタズタにされた)
こうして失敗する例がある一方で、以前のロシアには、北朝鮮の人々が脱北により自由をつかむ機会が確かにあった。しかしそれも、今後は期待できなくなってしまうのだろうか。