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政敵の元石油王を釈放したプーチン大統領の自信と死角

木村正人在英国際ジャーナリスト

衝撃だった恩赦

ロシアのプーチン大統領は20日、服役していた政敵で元石油大手ユコス(破産)社長のミハイル・ホドルコフスキー氏(50)を恩赦で釈放した。ホドルコフスキー氏の刑期は来年8月に切れるが、新たな罪に問われる懸念もあっただけに、ロシア・ウオッチャーからは驚きの声が漏れた。

2004~08年に駐ロシア英国大使を務めた際、ロンドンでロシア連邦保安局(FSB)元幹部が放射性物質ポロニウム210で毒殺される事件が発生、ロシア人容疑者の引き渡しをめぐって英露関係が悪化してロシアの青少年組織ナーシから執拗な嫌がらせを受けたアンソニー・ブレントン氏に電話をかけた。

筆者の電話取材に応じたブレントン駐ロシア英国大使(筆者撮影)
筆者の電話取材に応じたブレントン駐ロシア英国大使(筆者撮影)

「プーチン大統領が10年以上にわたってホドルコフスキー氏に対して示してきた敵意は相当なものだった。刑期が残り少なく、プーチン氏にとって大きな譲歩ではなかったとはいえ、釈放したことには衝撃を受けた。非常に驚いている」

こうブレントン氏は切り出した。

「もちろん来年2月に迫ったソチ冬季五輪に向けて、女性過激ロックバンド、プッシー・ライオット(子猫の反乱)の2人、国際環境団体グリーンピースら少なくとも2万人に恩赦を与え、プーチン氏の強権政治を告発する政治的なシンボルになっていたホドルコフスキー氏を釈放することで人権状況の改善を欧米諸国にアピールする狙いがあったのは確かだが、それよりもプーチン氏の自信の表れという面に注目すべきだ」

4時間メモなし記者会見

ブレントン氏は、19日に開かれたプーチン大統領による年に1度の内外記者会見に言及、「1300人以上の記者を前に4時間にわたった記者会見でプーチン氏はメモなしで質問に答えた。腐敗やホドルコフスキー、ウクライナ問題に関して、極めて厳しい質問も出たが、事前に検閲された形跡もなく、プーチン氏は縦横無尽に流れるように応答した。彼は『ロシアの司令官』『行動計画の司令官』であることを内外に誇示した」

シリアのアサド政権による化学兵器使用問題ではプーチン氏が強硬に米国主導の軍事介入に反対、化学兵器使用をレッドライン(越えてはならない一線)に掲げていたオバマ大統領は土壇場で軍事介入を断念した。「衝突を回避したいロシア好みの解決になった。結局、アサド政権がシリア内戦の主導権を握り返した」

欧州連合(EU)ではなくロシアとの関係を選んだウクライナについても、「プーチン大統領はウクライナのヤヌコビッチ大統領との親密な関係を利用して、最終段階で介入、天然ガスの割引を含め200億ドルを援助する見返りに、ウクライナにEUとの連合協定署名を取りやめさせた」。

イラン核協議についても、「今後の協議を見守る必要があるが、イランの民生用核開発を認めるのはロシアの主張に沿っている」と指摘した。

冷戦終結とソ連崩壊で唯一の超大国となった米国はコソボ介入やブッシュ前政権時の欧州ミサイル防衛(MD)計画でロシアの意向を無視してきたが、米国はロシアの協力なしには国際政治を動かすことはできなくなっている。ブレントン氏は「プーチン氏は外交上の大成功を収めている」という。

ロシア当局が当初4.3%と予測していた今年の経済成長率は1.5%を下回るとみられているが、「2000年にプーチン氏がエリツィン大統領(当時)から政権を引き継いだとき、ロシアはオリガルヒ(新興財閥)に食い物にされ、メチャクチャになっていた。しかし、この13年間で経済は良くなり、秩序は回復、国際社会でも尊敬を取り戻した」。

「中・長期的に経済が悪くなれば、プーチン大統領が抱える潜在的な問題は大きくなるが、さまざまな抗議活動があるとはいえ、ロシア国内でのプーチン人気は依然として高い。米国のシェールガス革命の影響をロシアは懸念しているが、まだ影響は表れていない」とブレントン氏は分析する。

安物のPR戦術

英系投資ファンド「エルミタージュ・キャピタル・マネージメント」の最高経営責任者(CEO)、ビル・ブラウダー氏は筆者への電子メールで、「プーチン氏のソチ冬季五輪を推進するための安物のPR戦術は真の正義に服するものではない。犠牲者の命は葬り去られ、プーチン体制下での弾圧は続いている」と怒りをあらわにした。

ブラウダー氏は2005年、ファンドの資金が腐敗役人やその一味に不正に流れるのを止めようとしたところ、ロシアから追い出された。2年後、当局による不正を告発した顧問弁護士のセルゲイ・マグニツキー氏は身に覚えのない脱税容疑で逮捕され、37歳の若さで獄死した。

以来、ブラウダー氏はマグニツキー事件の真相究明を訴え続けている。ブラウダー氏は「私たちはユコスの副社長でホドルコフスキー氏の弁護士だったワシリー・アレクセニィアン氏がデタラメな容疑で逮捕され、その直後、39歳で死んだことを忘れてはならない。マグニツキー弁護士と同じように腐敗した当局にとらわれた人はまだたくさんいる」と訴える。

釈放されたホドルコフスキー氏はプーチン大統領側から国外へ出て行くよう警告を受けていたが、内からの改革を訴えるためロシア国内に留まり、2003年逮捕された。

この日、ホドルコフスキー氏はがんを患う母親を見舞うためドイツに出国したが、ロシア当局は「氏が罪状を認め、恩赦を申請したため」と説明した。プーチン大統領にとって見れば、政敵ホドルコフスキー氏を体よく国外に追いやった格好だ。

「もうプーチン氏にとってホドルコフスキー氏は恐るるに足る存在ではなくなった。はっきりしたことはわからないが、ホドルコフスキー氏は何らかの取引を持ちかけられたと疑われる」と前出のブレントン元大使は指摘する。

プーチンの死角

我が世の春を謳歌するプーチン大統領にも死角はある。ブレントン氏の前任の駐ロシア英国大使で、有力シンクタンク、国際問題研究所(チャタムハウス)副会長のロデリック・ライン氏は最新のレポートでこう指摘する。

プーチン大統領は2000年に経済の成長と安定をもたらす改革を提唱したが、その後、米中枢同時テロやイラク戦争で石油・天然ガス価格が高騰し、「濡れ手に粟」状態になったロシアの構造改革は棚上げされた。

ライン氏は「プーチン氏は2000年に、ロシアの構造改革には15年かかるだろうと言っていたが、問題は当時のまま残されている。改革には権力の分散が必要なのに、プーチン氏は保守的でナショナリスト的価値を中核に据えている」と分析する。

国内改革が進まなければロシア外交は長期的には行き場を失うと欧米諸国はみているが、ロシアの伝統的価値と歴史的な利益を主張するプーチン大統領は欧米諸国の尊敬を勝ち取ったというのがロシア国内の支配的な見方だ。

ウクライナについてもヤヌコビッチ政権に深入りすれば、ロシアが支払う代償は大きくなるとライン氏はみる。

「大変動は視野に入っていない。現状維持が支配する。プーチン政権は権力の座にとどまるという最優先課題を実行し続ける」

プーチン大統領が我が世の春を謳歌しているように見えれば見えるほど、ロシアが抱える構造問題は次第に腐食の範囲を広げている。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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