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2016 ドラフト候補の群像/その3 進藤拓也[JR東日本]

楊順行スポーツライター
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「自分が投げる試合は、全部勝ちます」

年頭の挨拶で、そうぶち上げたそうだ。社会人1年目の昨年、3月のスポニチ大会から登板機会を与えられ、東京都企業春季大会では鷺宮製作所を4安打完封。二大大会でもマウンドに立ち、都市対抗では最速153キロをマークした。関谷亮太、東條大樹(ともにロッテ)の2人が抜けた今季、周囲はどうしても投手陣を不安視する。それを見返すため、あるいはへこたれそうになったときに手を抜かないために広げた風呂敷が、「全部勝ちます」だったのだ。

「去年大きかったのは、カーブを習得したこと。スポニチ大会では、直球とスライダーだけでは通用しないという感じでしたが、鷺宮戦ではカーブが決まり、緩急が生きるようになったんです」

ただ、日本選手権では悔しい思いをした。先発した日本生命戦。データを見る限り、都市対抗優勝の強敵を抑える青写真は描けたが、いざ試合になると4回途中2失点でマウンドを降りた。さらに年間の被本塁打が2ケタというのも大きな課題で、だから今季は直球の質を磨くことがテーマだった。だが、つまずく。テークバックを遅らせようと試行錯誤するうちに、上半身と下半身のタイミングが合わなくなったのだ。

もがく姿を見かねた堀井哲也監督が、

「サイドから投げたらどうだ?」

とアドバイスすると、これがハマる。上下の動きも気持ちよく連動し、スムーズにボールを押し込めるようになったという。

「球速も148キロまで出ているし、感覚はだいぶつかめてきました」

なるほど、10月上旬の伊勢・松阪大会では、2試合5回3分の1を投げ、1失点5三振と安定した救援ぶりを見せている。

幼少時から「ボールを2本指にはさんで寝た」

球速もさることながら、主武器はフォーク。幼いころから、人差し指と中指にボールをはさんだまま寝たり、握力強化のハンドグリップを2本の指で握るトレーニングを繰り返した。さすがに2本指では手強かったが、その結果か、

「人差し指が長いですし、V字は人よりかなり開くと思いますよ」

実際に、2本指ではさんでもらったボールを抜こうとしても、びくともしない。

秋田・西仙北高時代は、無名もいいところだ。ただ3年夏はベスト4まで進出し、その投球がたまたま秋田キャンプを張っていた横浜商大スタッフの目に止まった。大曲の花火で知られる大仙市出身。「秋田と神奈川は気温が10度も違う。大学に入ってすぐの春先、あまりに暖かいので飛ばしすぎて肩を痛めた」こともあり、大学時代はわずか3勝にすぎないが、恵まれた体と潜在能力が評価されてJR東日本入りを果たしている。進藤はいう。

「大学4年時は、プロを意識しすぎて全然ダメ。もともとコントロールがよくないんですが、四球を出すと監督からすごく怒られるのも投球を小さくしていた気がします。ですが社会人では、戦略上の四球ならOKで、極端にいえば3つ四球を出したイニングでもゼロに抑えればいい。それで気が楽に投げられるところはありますね」

さらに、計画的なトレーニングと食事で、入社時より体重が20キロ近くアップし、それが球の力として伝わっている。

「もし高校3年の夏に早く負けていたら、横浜商大のスタッフが声をかけてくれることもなく、いまごろ野球を続けていたかどうかわかりません」

と語る進藤。小学生時代はあこがれだったプロから、声はかかるか。

●しんどう・たくや/投手/1992年7月16日生まれ/186cm90kg/右投右打/西仙北高〜横浜商大

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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