【女子バレー】準々決勝進出へドミニカ共和国と対戦。初戦負傷の古賀紗理那「東京五輪にすべて懸けて来た」
鬼気迫る表情だった。
7月31日、対韓国。自分に持って来い、とばかりに古賀紗理那がトスを呼ぶ。
スピードにこだわり磨いたバックアタックや、前衛からのスパイク。試合が中盤から終盤へ差し掛かるにつれ打数も増え、ここ、という場面で決める、変わらぬ頼もしさ。
何が何でも勝つ。言葉にしなくても、その姿から古賀の覚悟が伝わって来た。
初戦で負傷も中田監督に「歩けます」
古賀が右足首を負傷し、試合途中でコートを去ったのは、そのわずか6日前だ。
受傷後、立つこともできず、顔をゆがめながらトレーナーやコーチ、会場の医療スタッフに抱えられる姿を見れば決して軽傷でないことは画面越しにも伝わる。
ケガの程度や本人のメンタル。あれほど懸けて来た舞台に、もう立つことすらできないのだろうか、と思うと、試合中の受傷は仕方ないこととはいえ胸が痛んだ。
だが、彼女の中に「出ない」という選択肢はなかった。
ケニアにストレートで快勝しながらも、古賀不在という重い事実が突きつけられた日の夜、病院で診察を受けた古賀が戻って来たのは夜中の2時。帰るまで待っていた、という中田久美監督が振り返る。
「紗理那の顔を見た時に、すごいやる気だったんです。『どう?』と聞いたら『歩けます』と。その後紗理那と話して、たぶんチームにとって大きなポイントとなる試合が韓国戦になるだろう。そこを目指してとにかく治そうということをまず2人で決めた。周りのスタッフ、ドクターの診察結果も含めて、行けるだろうということだったので、無理はさせたくないという思いも半分ありながら、でも、オリンピックってそういうもんなんじゃないか、と。私も靭帯が切れていましたし、セッターの竹下(佳江)も骨折していた。それでもやっぱりやるのがオリンピックだと思うし、本人もこのオリンピックに懸けていることも十分わかっていたので。(結果的に韓国戦は)負けてはしまいましたけど、彼女の覚悟を見たような気がします」
「これから私、めちゃくちゃ頑張ります」
古賀の覚悟が定まったのはいつだったか。
16年のリオ五輪は直前でメンバーから外れた。東京五輪が近づくたびに「あの悔しさがどう生かされたのか」と尋ねられるたび、淡々と「今につながる経験になった」と繰り返してきたが、本心は違う。
「めちゃくちゃ悔しかったです。オリンピックも最初は全然、見られなかった。(木村)沙織さんに『紗理那は埋もれちゃダメだよ』と言われなかったら、全部嫌になっていたかもしれない、って思う時もありました」
中田監督が就任し、エースとして期待されるも18年の世界選手権では思い通りのプレーができたが、19年のワールドカップは控えに甘んじた。たまに出場機会が巡って来ても、2、3本ミスが続いたり得点が取れなければすぐ交代を命じられる。
試合後のミックスゾーンでも、出てくるのは決して前向きな言葉ではなかった。
「ダメだったらすぐ代えられる。そう思うと怖くて思いきりできない。今は正直、バレーをしていても全然楽しくないです」
ワールドカップが終わればすぐにVリーグが始まる。所属するNECでも攻守の要である古賀の存在は不可欠で、そのメンタルで大丈夫なのか、と危惧していた。だが新たな年、2020年が始まったばかりの頃、明らかに古賀が変わった。
突然自分から切り出した。
「私、絶対オリンピックに出たくて。せっかく自分が生まれた国でオリンピックがあるのに、出してもらえないとか代えられるとか、そんなちっちゃいことで嫌になったらもったいないな、と思って。家族、特に大好きなじいちゃんには日本代表として戦っている姿を見てほしいから、こんなんじゃダメだ、って。だからこれから私、めちゃくちゃ頑張ります」
本来開催されるはずだった2020の夏から、五輪は1年の延期を余儀なくされたが、その期間も古賀は「課題に向き合える」と前向きにとらえた。NECでコーチに朝からサーブを打ってもらい、1本1本違うコースや球質のボールを受け、「ここでこう取れば崩されない」というポイントをつかむ。
攻撃面も同様で、前衛レフトからのスパイクと、バックセンターからのバックアタックを重視した。相手のブロックが完成する前に打つ速さと精度を求め、セッターに「この軌道で出してほしい」と要求し、何本も何本も打ち続け、「このタイミングなら絶対に決まる」と感覚だけでなく自信も得た。
コートであまり笑わなくなったのもその頃からだ。
「1点取って嬉しいし、みんなでわーっとしたい気持ちもあるんです。でも大事なのは次。次また絶対点を取ろう、とすぐ思うから、自然と顔が厳しくなっているのかもしれないですね」
五輪に向けてすべてやってきた。
だから簡単に、諦めるわけにはいかなかった。
大一番のドミニカ共和国戦「必ずチャンスはある」
もちろんケガからの復活を美談にするつもりはない。
常識的に考えて、受傷後に歩けないほどの捻挫からわずか6日で競技復帰できるはずがなく、させていいはずもない。この五輪に懸けて来た、そこで最善の状態で戦わせるために、と医科学スタッフや治療機器など、すべてを結集させた結果、古賀はコートに立つことはできた。だがこれまでも多くの選手が捻挫を機に、その後別の箇所で痛みが出たり、大きなケガにつながることも見て来た。
まだこれからも続く古賀の将来を考えれば、いくら本人が「痛くない」と言っても、本当に大丈夫なのか、と思うだけでなく、ケガをしてもプレーできることを当たり前とは思ってほしくない。
だがそれでも、古賀は覚悟を決めた。
今できる、最善を尽くし、戦い抜く覚悟を。
間もなく始まるドミニカ共和国戦は、昨夜の男子と同様、勝利した国が準々決勝へ進む。実にシンプルな図式だが、これまで以上に大きなプレッシャーがかかることは、言うまでもない。
負けたら終わりの決戦へ向けて。古賀が言った。
「必ずチャンスはある。それがものにできればどのチームにも負けない強さを持っていると思うし、これまでやってきたことをしっかり出しききれれば韓国戦のような展開にはならない。自分たちの甘さを出さないように、集中して戦いたいです」
すべて出し尽くす。不退転の覚悟で、古賀はドミニカ共和国戦のコートに立つ。
【この記事は、Yahoo!ニュース個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】