ドゥレッツァが挑戦する英GⅠで、19年前に2着したゼンノロブロイのエピソード
現地入りした2人の男
現地時間21日の水曜日、イギリス、ヨーク競馬場でインターナショナルS(GⅠ、芝1マイル2ハロン56ヤード)が行われる。今年、ここに挑むのが昨年の菊花賞(GⅠ)勝ち馬ドゥレッツァ(牡4歳、美浦・尾関知人厩舎)だ。
管理する尾関は、ここに遠征した理由の1つとして「ほぼ平坦で日本馬向きの馬場」をあげた。実際、2005年8月16日にはゼンノロブロイがこの舞台で差のない2着に好走している。今回は改めて当時の取材ノートをめくりながらその挑戦を振り返ってみたい。
05年7月19日、イギリスの、馬の街として有名なニューマーケットに、前年の天皇賞・秋(GⅠ)、ジャパンC(GⅠ)、有馬記念(GⅠ)をコンプリートしたゼンノロブロイが降り立った。すぐに1度、その様子を見に行ったのが当時、同馬を管理する調教師だった藤沢和雄(引退)だ。
「輸送してすぐに熱が上がったけど、すぐに治まりました。ただ、体は少し余裕がある感じなので、徐々に仕上げていかないと、という感じです」
一旦、帰国した伯楽に、その後の現地での調教を任されたのが当時は騎手だった鹿戸雄一(現調教師)。次のように語っていた。
「14年前にオーストラリアで乗った際、安い賞金でも必死になってやっているジョッキー達のハングリー精神に心を奪われ、以来、海外競馬に興味を抱きました。藤沢先生から、今回の遠征に際し『同行してほしい』と言われ、二つ返事で承諾しました」
鹿戸は1度だけニューマーケットを訪れた事があった。
「研修で来たのですが、調教に乗ったわけではないので、ウォーレンヒルを駆け上がるのは夢の1つでした」
ウォーレンヒルとはニューマーケットを象徴する坂路コース。ゼンノロブロイに跨ってついにその夢をかなえる時が来たが、感慨に浸っている余裕はなかった。
「初めてのコースでロブロイが興奮気味でした。自分としては重大な責任のある立場なので、緊張しました」
何日経っても責任のある立場である事に変わりはなく、緊張する日々が続いた。そんなある日の事だった。現地の厩舎の馬に混ぜてもらい、輪乗りをしていると、ゼンノロブロイが何かを避けるようにして歩いた。
「見ると、小石がありました」
その瞬間、気付かされた。
「ロブロイはもう現地に慣れて来ているのに、自分がいつまでも緊張していてはダメだ。そうロブロイに教えられた気がしました」
同じような気持ちを抱いたのが、当時、担当厩務員としてかの地に入っていた川越靖幸(引退)だ。
「ロブロイですが、イギリス入りしたばかりの頃は環境の変化に淋しそうな素振りを見せたり、草むらから出て来るウサギに怯えたりといった仕種を見せていました。『どうすれば良いんだろう?』と多少、慌てましたけど、気付いたらロブロイの方が落ち着いていました」
そんな時、藤沢から言われた言葉を思い出したと言う。
「若い時の藤沢先生がニューマーケットで修業した際、現地のホースマンに言われて、ハッとした言葉があったそうで、それを教えてもらった事がありました」
“何をそんなに慌てているんだ?”
それがその言葉だった。
「『相手は馬。人が慌てても良い事はない』という意味だと、藤沢先生は解釈したそうです。ロブロイを見ながら、その通りだと痛感し、いつも通りの事をするよう、心掛けました」
現地での仕事
すっかり日本にいる時と変わらぬ様子になったゼンノロブロイだが、そうなればそうなったで心配事が頭をもたげるのが海外遠征だった。日本で電話報告を受けた藤沢は思った。
「自然に囲まれた環境はまるで牧場みたいなので、落ち着き過ぎると、気が抜けていないか?と考えました」
そこで、様々な調教コースをフルに活用し、ゼンノロブロイが飽きないようにした。約半マイルの坂路・ウォーレンヒル、同7ハロンのロングヒル、ファイバーサンドの敷き詰められたバリーヒルに緩やかな坂路であるアルバハトリ。また、混み具合によって急遽コースを変更する等、鹿戸も臨機応変に対応した。
13日、アルバハトリでの最終追い切りを無事に終えた後、川越にはまだやっておかなければならない仕事があった。同日の午後運動が終わり、小雨舞い散る中で、川越はナイフを手に取り、ゼンノロブロイの馬房に入った。タテガミを櫛ですいてはナイフで切り揃えたのだ。
「ハサミで切るとオカッパのようになって不自然だから、時間がかかってもナイフで整えるようにと、藤沢先生に教わりました。先生もニューマーケットで修業した際、教えてもらったそうです」
1時間以上をかけて整えたが、それで終わりではなかった。その後、日本から持参した鍋で燕麦を蒸した。消化しやすいようにしてから夜飼いとして与えた。イギリスでも日課にしている事だった。
報われなかった結果にも届いた朗報
レース前日の15日、ゼンノロブロイはヨーク競馬場へ移動した。競馬場側には「馬場に散水をしないよう」リクエストした。
こうしてレース当日を迎えた。勝負服に合わせて緑色の頭絡を着けられたゼンノロブロイのゼッケンは6番。厩舎の大先輩であるタイキシャトルがフランスのジャックルマロワ賞(GⅠ)を制した時と同じ。追い風が吹いているように見えた。
鞍上は天才・武豊。レース前に馬場を歩いた後、言った。
「直線が終わり、カーブに入る直前にゴール板があります。日本の競馬場に慣れている馬だと、ゴール板のずっと手前で減速しかねないので、最後まで気合を抜かさないように騎乗します」
レースでは、実際に「騎乗停止覚悟で最後まで連打」した。しかし、結果は報われなかった。一旦、先頭に立とうかというシーンを作ったゼンノロブロイだが、最後の最後でマイケル・キネーンにいざなわれたエレクトロキューショニストが急襲。日本からの挑戦者は僅かに遅れて2着でゴールとなった。
レース後、「すみません」と謝る鹿戸に対し、再度現地入りしていた藤沢は「ご苦労だったな」と答えた。そのすぐ横で川越が「残念でした」とだけ、言った。その川越の手に主催者から封筒が渡された。藤沢が開くと、ベストターンドアウト賞と書かれた紙が出てきた。最も手入れが行き届き、見栄えのする馬の厩務員に与えられる賞だった。
冒頭で記した通り、明後日21日に行われる今年のこのレースにドゥレッツァが挑む。管理する尾関が、トレセンに入って最初に働いたのが藤沢和雄厩舎だった。師匠が悔しい思いをした異国の中距離戦で、果たして尾関はどんな結果を残すだろう。師匠に胸を張って報告出来るような結果になる事を期待したい。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)