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風水害や大火が続発した戦後、災害法制の整備と防災対策が進む

福和伸夫名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長
国土交通省木曽川河川下流事務所のHPより

9月から10月に集中する台風

 9月と10月は台風シーズンです。1か月前に来襲した台風10号のように、近年、台風が強大化しています。昨年も、9月9日に千葉県中心に強風被害が出た台風15号、10月12日に東日本の大河川が氾濫した台風19号がありました。この2つの台風は、令和元年房総半島台風、令和元年東日本台風と名前が付きました。気象庁は、顕著な災害をもたらした自然現象に対して、後世に経験や教訓を伝えるために、命名しています。ただし、台風に名前がついたのは、1977年9月沖永良部台風以来42年ぶり、本州を襲った台風としては、1961年9月第2室戸台風以来58年ぶりです。

 ちなみに、昭和の三大台風は、1934年9月21日室戸台風、1945年9月17日枕崎台風、1959年9月26日伊勢湾台風の3つですが、いれも9月に来襲しています。犠牲者は、それぞれ3036人、3756人、5098人で、けた違いの多さです。実は、終戦後、多くの犠牲者を出す台風が頻発しました。

大きな被害を出した台風が毎年のように来襲

 枕崎台風から第2室戸台風までの16年間に、百人を超す犠牲者を出す台風が17個もあり、毎年のように大きな被害を受けました。

 1945年9月17日 枕崎台風、死者・行方不明者3756人

 1945年10月10日 阿久根台風、死者・行方不明者451人

 1947年9月15日 カスリーン台風、死者・行方不明者1930人

 1948年9月16日 アイオン台風、死者・行方不明者838人

 1949年6月20日 デラ台風、死者・行方不明者468人

 1949年8月15日 ジュディス台風、死者・行方不明者169人

 1949年8月30日 キティ台風、死者・行方不明者160人

 1950年9月3日 ジェーン台風、死者・行方不明者539人

 1951年10月14日 ルース台風、死者・行方不明者943人

 1952年6月23日 ダイナ台風、死者・行方不明者135人

 1953年9月25日 昭和28年台風第13号、死者・行方不明者478人

 1954年9月13日 昭和29年台風第12号、死者・行方不明者144人

 1954年9月26日 洞爺丸台風、死者・行方不明者1761人

 1958年9月26日 狩野川台風、死者・行方不明者1269人

 1959年8月14日 昭和34年台風第7号、死者・行方不明者235人

 1959年9月26日 伊勢湾台風、死者5098人

 1961年9月16日 第2室戸台風、死者202人

1947年から1952年の台風の名前が女性名詞なのは、GHQが進駐していたことによります。このうち気象庁が命名したのは、洞爺丸台風、狩野川台風、伊勢湾台風、第2室戸台風の4つです。洞爺丸台風は、狩野川台風を命名したときに遡って名前が付けられました。

戦災に自然災害が加わり疲弊した日本社会

 台風にはそれぞれ特徴があります。枕崎台風は、敗戦1か月後、気象予報の体制が不十分な状態で被爆地・広島に来襲し土砂災害が多発しました。翌月にも、阿久根台風によって兵庫県などが浸水被害を受けました。

 カスリーン台風とアイオン台風では関東地方や東北地方での洪水被害が目立ちました。この間には、1946年12月21日に死者・行方不明者1443人を出した南海地震が、1948年6月28日に死者・行方不明者3769人を出した福井地震が発生しています。さらに、1949年には多くの犠牲者を出す台風が3つも上陸し、九州、四国、首都圏などで大きな被害を出しています。

 このように、戦災で痛手を受けた日本の国土を、毎年のように甚大な自然災害が襲い、日本社会は疲弊しました。まさに、そんなとき、1950年6月25日に朝鮮戦争が勃発しました。これにより、GHQの対日政策は大きく変わり、戦争特需で日本経済も急回復しました。翌1951年にはサンフランシスコ平和条約・日米安全保障条約に調印し、1956年に国際連合に加盟し、国際社会にも復帰していきます。

風水害が続いた1950年代

 1950年代は、台風と豪雨災害の続発で、風水害対策のあり方が問われた時代です。

 ジェーン台風とルース台風は強風や高潮の被害が顕著な災害でした。1952年3月4日には十勝沖地震も発生しました。前日3月3日が1933年昭和三陸地震の日に当たり、津波訓練が行われていたことが津波避難に役立ったと言われています。

 1953年には、台風13号に加え、6月に九州北部などで死者・行方不明者1001人を出した西日本大水害、7月に和歌山などで1124人が犠牲になった紀州大水害、8月に京都などで420人が犠牲になった南山城水害と、3か月連続で水害に見舞われました。台風13号では、愛知県や三重県で高潮被害があり、この教訓を生かした地域では伊勢湾台風の被害を減らすことができました。

 そして、洞爺丸台風では、1155名が犠牲になった洞爺丸など、5艘の青函連絡船が遭難しました。これを契機に、青函トンネル建設の機運が盛り上がります。また、北海道の岩内では大火が起きました。

 狩野川台風では、大雨によって伊豆半島の狩野川が氾濫しました。その後、狩野川放水路が建設されたため、狩野川台風を上回る降水量だった東日本台風では決壊を免れました。

 伊勢湾台風は、1995年阪神・淡路大震災までは、戦後、最大の犠牲者を出した自然災害でした。海抜0m地帯が広がる名古屋南西部を高潮が襲い、経済損失は愛知・三重両県だけで5050億円にもなりました。当時のGDP13.1兆円の4%弱に相当し、GDP比では、阪神・淡路大震災や2011年東日本大震災を上回ります。洞爺丸台風、狩野川台風、伊勢湾台風は何れも9月26日の災害で、大型台風の特異日とも言えそうです。

 1961年には、6~7月に死者・行方不明者357人を出した昭和36年梅雨前線豪雨が起き、9月に第2室戸台風も上陸しました。この年の自然災害による死者・行方不明者数は902人でしたが、その後、この数を超えたのは阪神・淡路大震災が起きた1995年です。

大火も続発

 戦後、各地で、大火も続発しました。焼損棟数が1000棟を超える大火だけでも、1946年5月8日新潟県・村松大火(1337棟)、1947年4月20日長野県・飯田大火(3742棟)、4月29日茨城県・那珂湊大火(1508棟)、1949年2月20日秋田県・能代大火(2238棟)、1950年4月13日静岡県・熱海大火(1461棟)、1951年12月16日三重県・松阪大火(1155棟)、1952年4月17日鳥取県・鳥取大火(7240棟)、1954年9月26日北海道・岩内大火(3299棟、洞爺丸台風)、1955年10月14日鹿児島県・名瀬大火(1361棟)、1956年3月20日秋田県・能代大火(1475棟)、8月18日秋田県・大舘大火(1344棟)、9月10日富山県・魚津大火(1677棟)、1958年12月27日鹿児島県・瀬戸内町大火(1628棟)、1961年5月29日岩手県・三陸大火(1062棟)と14回もあります。

 ちなみに、大火とは、33000平米(1万坪)を超える焼損面積の火災のことです。三陸大火以降、焼損棟数が1000棟を超えた大火は、1995年阪神・淡路大震災での地震火災を除くと1976年10月29日山形県・酒田大火(1774棟)しかありません。

環太平洋地震帯で超巨大地震が続発

 1950年代は日本では大きな被害を伴う地震は余りありませんでしたが、世界ではM9クラスの超巨大地震が続発しました。1952年11月4日カムチャツカ地震、1957年3月9日アリューシャン地震、1960年5月22日チリ地震、1964年3月28日アラスカ地震です。何れもM9を超える超巨大地震で、中でもチリ地震は観測史上最大のM9.5でした。日本にも津波が到達し、142人が犠牲になりました。

 これらの地震から50年が経過し、2004年12月26日にスマトラ沖地震、2010年2月27日にチリ・マウレ地震、2011年3月11日に東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の3つの超巨大地震が短い期間に続発しています。南海トラフ沿いや千島海溝沿いなどで巨大地震の発生が懸念されていることもあり、気がかりです。

1950年代の自然災害を経験し強化された災害対策

 伊勢湾台風での甚大な被害を受け、1961年11月15日に災害対策基本法が制定されました。この法律は、防災に関して必要な体制や責任の所在を明確にし、防災計画の作成、災害予防、災害応急対策、災害復旧、財政金融措置などの基本を定めたものです。この法律などに基づき、1960年代以降、治水ダムや堤防などの治水対策、家屋の耐火性能の向上や、消防力の整備、各種防災計画の整備などが行われ、風水害や大火による被害は激減しました。

 この結果、1950年代は、自然災害による年間死者・行方不明者数が1000人を超える年が7回もあり、10年間で2万83人もの犠牲者を出しましたが、1960年代は4687人(うちチリ地震津波142人)、1970年代は2530人、1980年代は1931人(うち日本海中部地震104人)と犠牲者は着実に減少しました。残念ながら、1990年代は7696人(うち北海道南西沖地震230人、阪神・淡路大震災6437人)、2000年代は1185人、2010年代は24394人(うち東日本大震災22288人、熊本地震273人)で、大地震に対する被害軽減は未だ道半ばだと思われます。

近年、激甚化する自然災害に注意

 100人以上の犠牲者を出した地震を除いて年代ごとの自然災害による犠牲者数を出してみると、1950年代20083人、1960年代4545人、1970年代2530人、1980年代1827人、1990年代1029人、2000年代1185人、2010年代1833人となり、1990年代までは減少を続けていますが2000年代に以降、増加に転じています。地球温暖化の影響なのか、風水害が激甚化し犠牲者数が増えています。平成元年から20年までは名称が付いた気象災害は6個しかないですが、平成21年以降の12年間には10個もあり、3倍増になっています。既存の社会インフラでは被害防止が困難になってきたようです。このため、本年6月に、都市再生特別措置法が一部改正され、災害ハザードエリアにおける新規立地の抑制、移転の促進、防災まちづくりの推進が決まりました。深刻な財政難の中、社会インフラの強化はままならず、危険を回避する知恵が必要になったようです。

 また、2016年12月22日に発生した糸魚川市大規模火災のように、フェーン現象による強風で大火が起きる可能性は残っています。切迫する地震のことを考えると、1923年関東大震災のような地震火災も心配されます。

名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長

建築耐震工学や地震工学を専門にし、防災・減災の実践にも携わる。民間建設会社で勤務した後、名古屋大学に異動し、工学部、先端技術共同研究センター、大学院環境学研究科、減災連携研究センターで教鞭をとり、2022年3月に定年退職。行政の防災・減災活動に協力しつつ、防災教材の開発や出前講座を行い、災害被害軽減のための国民運動作りに勤しむ。減災を通して克災し地域ルネッサンスにつなげたいとの思いで、減災のためのシンクタンク・減災連携研究センターを設立し、アゴラ・減災館を建設した。著書に、「次の震災について本当のことを話してみよう。」(時事通信社)、「必ずくる震災で日本を終わらせないために。」(時事通信社)。

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