Yahoo!ニュース

グリーン車誕生50年。半世紀前のグリーン車を古い時刻表で振り返ってみると・・・

鳥塚亮大井川鐵道代表取締役社長。前えちごトキめき鉄道社長

1969年(昭和44年)5月に行われた国鉄の規則改訂で、切符に関する規定が大きく変更されました。

今から50年前のことですが、その時に新しく誕生したのがグリーン車です。

画像

今からちょうど50年前、昭和44年5月の時刻表です。

表紙に「運賃改定・新営業案内掲載」と書かれています。

画像

こちらが表紙を1枚めくったところに書かれている「国鉄運賃・料金改訂のご案内」です。

国鉄の切符は大きく2種類に分かれていて、目的地まで運んでもらうためのお金を「運賃」と言い、その切符が「乗車券」です。

もう一つは、利用するサービスに支払うお金で、これを「料金」と呼びます。

「特急料金」、「寝台料金」、「グリーン料金」などがこれに当たります。

この規則は基本的には今のJRも同じで、特急列車に乗っていると車掌さんが車内改札(検札)に回って来て、

「恐れ入ります。乗車券、特急券を拝見いたします。」

と言うのは、運賃と料金が別であることを示しているのですが、この規則がスタートしたのがちょうど50年前の1969年5月ということになります。

つまり、普通列車や快速列車であれば乗車券だけで乗れますが、特急に乗る時は別に特急券が必要ですし、グリーン車に乗る時はさらにグリーン券が必要ですということになるのですが、50年前に誕生したグリーン車というのは、まさにここからスタートしているわけで、それまではグリーン車というものは存在していなかったのです。

行われたのは「等級廃止」と「呼称変更」

では、それまではどうだったのでしょうか。

時刻表のページを拡大してみましょう。

画像

赤線を入れてみましたが、「1等車の座席車・寝台車などの名称を改めましたが、連結する列車はいままでとかわりません。」と書かれています。

では、「いままで」はなんだったのかというと、1等車、2等車と呼ばれていたのです。

その1等、2等という呼び名を、グリーン車、普通車に変更したのがこの時の規則改正で、グリーン車というのはそれまでの1等車のことなのです。

それまで車両の入口に1等車を示す「1」と書かれていたのが、グリーン車のマークに変わっただけで、あとは何も変わらなかったというのがグリーン車の誕生なのですが、ではどうしてこのような変更が行われたのでしょうか。

筆者はそのころ小学生でしたが、国鉄から1等、2等が無くなって、グリーン車になったことは大きな関心事でしたので、父親や伯父、学校の先生など、身近にいる大人に聞いてみました。すると大人たちは口を揃えて「1等、2等という呼び方は人を差別している。」とか、「みんな同じで平等じゃなければいけないので、1等、2等という呼び方を変えた。」と話してくれていたことを思い出します。

当時は国鉄イコール「国」でしたから、今のように一株式会社が好き勝手に「グランクラス」(クラス=等級)などと名前を付けられた時代ではありません。まして当時の時代背景は戦後の華族廃止、財閥解体、北朝鮮では人民本位の皆平等な理想郷(民主主義人民共和国)が建設されているなどと言われていた時代ですから、ある程度のインテリゲンチャであれば、「等級廃止」というのは当然のことだったのです。

1等車→グリーン車

2等車→普通車

1等寝台車→A寝台車

2等寝台車→B寝台車

これが等級廃止による呼称変更ということになります。

大きく変わったのは「乗車券」と「特急券」

この昭和44年5月の改訂で大きく変わったのは乗車券、つまり運賃の部分です。

グリーン車が誕生する前までは、今のグリーン券に相応する「1等座席券」といったものは存在せず、1等車に乗るためには1等車用の乗車券が必要でした。乗客は自分が1等車に乗る時は1等車用の乗車券を事前に駅で購入する必要がありました。

筆者のコレクションに見る乗車券の違い。
筆者のコレクションに見る乗車券の違い。

筆者のコレクションに見る乗車券の違いです。

上が昭和42年巣鴨駅発行40円区間、

下が改訂直後の昭和44年新小岩駅発行30円区間、

なにしろ50年も前から筆者がコレクションしている切符のため、保存状態がよくありませんが、上段の巣鴨から40円区間の乗車券には矢印で示した個所に「2等」と書かれているのがわかります。改定後の下段にはこの表記がありません。

このように、乗車券そのものに2等と書かれていては1等車には乗ることができません。

今のように追加で料金券を買えば乗れる時代から見ると、この部分が大きく異なっていたのです。

改訂前の昭和43年の時刻表に見る運賃計算表
改訂前の昭和43年の時刻表に見る運賃計算表

1・2等時代の運賃計算表です。(スマホの方は拡大してご覧ください。)

2等初乗り20円に対し、1等の初乗りは同距離で40円。

ずっと見ていくと、1等運賃というのはだいたい2等の倍になっていますね。

興味深いのは学割運賃というのは2等にしか設定されていないこと。

設定そのものがありませんから学生旅行では1等は乗れなかった時代だったのです。

1968年10月号の新幹線運賃料金早見表
1968年10月号の新幹線運賃料金早見表

さて、新幹線を見てみましょう。

グリーン料金ができる前の新幹線運賃料金早見表です。

当時は「こだま」と「ひかり」で特急料金が別設定でしたが、それぞれに1等と2等が設定されているのがわかります。

東京-新大阪間、超特急「ひかり」の場合、

2等運賃(下段) 1730円 + 2等特急料金(上段) 1600円 = 3330円

1等運賃(下段) 3180円 + 1等特急料金(上段) 3520円 = 6700円

こちらも2等に比べると1等はほぼ倍になっています。

乗車券だけではなく、特急券にも1等が存在していたのです。

乗客は特急の1等に乗る時は、1等用乗車券と1等用特急券が必要でした。

改訂後の規定(現行規定)で普通列車用グリーン料金と特急・急行列車用グリーン料金が別々に設定されているのは、もしかしたらこの辺りに起源があるのかもしれません。

画像

同じ昭和43年の時刻表の急行券欄です。

新幹線にも在来線にも特急列車には1等と2等それぞれの特急料金が設定されていたことがわかります。

こちらも興味深いのは特急券の説明なのに表題が「急行券」となっていること。

その理由は特急というのは「特別急行」であり、これに対して急行は「普通急行」でしたから、どちらも「急行券」と考えられていたのです。

これが国鉄式の考え方ですが、最近でも駅や車内のアナウンスで、「この列車は特別急行です。」といった声を聴きますから、普通急行が無くなってしまった今でも特急は特別急行なんですね。

グリーン車ができた後はこうなりました。

1969年5月以降の新幹線運賃料金早見表
1969年5月以降の新幹線運賃料金早見表

グリーン車ができた後の新幹線はこう変わりました。

東京-新大阪間、超特急「ひかり」の場合、

普通運賃 2230円 + 特急料金 1900円 = 4130円

これがそれまでの2等を改めた普通車の乗車券+特急券のお値段です。

そして、グリーン車に乗る時は、2000円のグリーン料金を払うことになりましたから、

東京-新大阪 グリーン車は 6130円 ということになります。

この改訂の時に同時に大幅な運賃値上げがありましたので、一概に比較することはできませんが、それでも改正前(ひかり1等6700円)と比べて改正後の方が670円安くなっていますし、普通車とグリーン車との合計金額の差は、かつては2倍でしたが、約1.5倍に縮まっています。

かつての1等車がグリーン車になって、庶民には身近な存在になったことがわかります。

今では首都圏の各路線で見られる通勤電車のグリーン車。
今では首都圏の各路線で見られる通勤電車のグリーン車。

そして、50年が経過した現在は、特急列車ばかりでなく、首都圏の通勤電車でも多くのJR路線にグリーン車が連結される時代になりました。

グリーン車が連結されていると無いとでは大違い。

今の時代は通勤電車にグリーン車が連結されている路線は、沿線の住宅不動産価格にも影響が出る時代になったことは、50年前のグリーン車登場時から見ると隔世の感がありますね。

おまけ

ちなみに50年前の昭和44年、グリーン車が誕生した当時の東京-新大阪間のグリーン料金2000円って、いったいどのぐらいの価値がある金額だったんでしょうか。

画像

こちらが同じ1969年の時刻表巻末に掲載されている食堂車のメニューの一部です。

当時は新幹線や在来線の特急、急行列車には当たり前のように食堂車が連結されていて、このようなメニューが出されていました。

(スマホの方は拡大してご覧ください。)

カレーライス180円、えびフライ330円、チキンライス200円、ビールの大びんが185円と書かれていますね。

こうしてみると実に興味深いものがあります。中には日本語の表記として少し今とは違うものも見受けられるようです。

当時の食堂車というのは世間一般の価格に比べると「高い」という印象がありましたが、感覚的には5~6倍すると今の金額になると思います。ということは当時のグリーン料金2000円は今の金額で言うと10000円~12000円ですね。現行の東京-新大阪間のグリーン料金5300円から比べるとほぼ倍の感覚。今の5300円でもちょっと考えてしまう金額ですから当時の2000円は相当なもの。やはり当時のグリーン車というのは、結構お高い乗り物で、1等時代に比べると安くなったとはいえ、庶民にはまだまだ高嶺の花だったということがわかります。

画像

もう一つ、別のページを見てみましょう。

時刻表欄外にある駅弁コーナーにご注目です。

高崎駅の駅弁ですが、あの有名なだるま弁当が200円。とり飯が150円。おとなり横川の峠の釜めしが200円です。

軽井沢ではなぜかみそ汁が30円。

横川で峠の釜めしを買って、軽井沢で味噌汁を買うのが旅の定番だったのかどうかは知る由もありませんが、少なくとも軽井沢駅では30円で味噌汁が売られていたということは確かなことです。

時刻表というのは、実に考察深い資料なのですね。

今はインターネットの時代になりましたので、あまり時刻表など見る機会も少なくなりました。必要なことを調べるだけならインターネットで十分かもしれませんが、こういう細かなところまで読み込んでいくと実に楽しいのが時刻表です。

筆者もかれこれ半世紀も前から時刻表を愛読書にしていますが、こうして見返してみると当時の日本が見えてくるから不思議ですね。

若い皆様方にはぜひ本屋さんで時刻表を買われることをお勧めします。

そうすれば、きっと新しい発見があるでしょう。

今必要なところだけを調べるネットとは全く違う世界を訪問することができるというものです。

そして何より、時刻表も使用済みの乗車券も50年経ったら間違いなく価値が出るということは、筆者が証明しております。

単なる紙屑がお宝になる。

時間の経過とは実に興味深いものであります。

本日はちょうど50年前に始まったグリーン車のお話でした。

また機会がありましたら、時刻表を話題にお話をさせていただきたいと思います。

※本文中に使用した写真は筆者撮影によるものです。時刻表は筆者のコレクションから抜粋したものです。

大井川鐵道代表取締役社長。前えちごトキめき鉄道社長

1960年生まれ東京都出身。元ブリティッシュエアウエイズ旅客運航部長。2009年に公募で千葉県のいすみ鉄道代表取締役社長に就任。ムーミン列車、昭和の国鉄形ディーゼルカー、訓練費用自己負担による自社養成乗務員運転士の募集、レストラン列車などをプロデュースし、いすみ鉄道を一躍全国区にし、地方創生に貢献。2019年9月、新潟県の第3セクターえちごトキめき鉄道社長、2024年6月、大井川鐵道社長。NPO法人「おいしいローカル線をつくる会」顧問。地元の鉄道を上手に使って観光客を呼び込むなど、地域の皆様方とともに地域全体が浮上する取り組みを進めています。

鳥塚亮の最近の記事