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焦燥感にかられて海外へ。330年の伝統の京焼「真葛」宮川真一さんの挑戦

鈴木春恵パリ在住ジャーナリスト
「フォションホテル パリ」の展示会に臨む宮川真一さん(写真はすべて筆者撮影)

京都の陶家「真葛焼」6代宮川香齋の嗣子である宮川真一さんは、京焼の魅力を世界に発信すべく、十数年前からパリ、ロンドン、ニューヨーク等で作品を発表し続けています。パリには毎年のように足繁く訪れ、どのようにしたら真葛焼を海外の人々にも興味を持ってもらうことができるのか、ひいては販路を広げて行くことを模索してきました。

「真葛焼」といえば、日本の茶道愛好家の間では名の知れたブランドで、宮川家は陶家として330年の伝統があります。天皇家が京都から東京に居を移したのと同時期に横浜に窯を開いた宮川香山の時代には、パリ万国博覧会に出品し、金牌を受賞しているのをはじめ、海外のコレクターが所望する「マクズウエア」として名を馳せました。その一部は現在、パリ装飾芸術美術館、ギメ美術館の所蔵となっていて、100年以上を経ても鮮やかな陶の艶を見せています。

パリ装飾芸術美術館 には宮川香山(1842ー1916年)の作品が少なくとも3点所蔵されている
パリ装飾芸術美術館 には宮川香山(1842ー1916年)の作品が少なくとも3点所蔵されている

さて、宮川真一さんのパリでの活動を筆者が知ることになったのは、2020年2月にパリ日本文化会館で行われた「茶懐石の会」を通してでした。フランスでもさまざまな形で茶会が行われていますが、茶道の中でもいわゆるフルコースといえる「茶懐石」に接することは稀です。

宮川さんは、茶懐石の魅力を伝えるべく、たくさんの真葛焼作品をパリに運び、まるで京都で堪能するような見事なお膳立てで参加者をもてなしました。工芸品を鑑賞物としてだけでなく、実際に触れて、それを使って食事をするという体験をしてもらいたいという思いからです。

5代、6代宮川香齋の作、そしてこの日のために真一さん自身が制作した作品はもとより、漆器、鉄器などの道具類をはじめ、日本酒、米、味噌、醤油、酢、漬物も宮川家が懇意にしている一流のものを持参。そして肝心の料理は、やはり宮川家と縁の深い秋吉雄一朗さんに依頼しました。日本以外ではおそらく初となる茶懐石の店「秋吉」のオープンを以前ここでご紹介しましたが、その秋吉さんが2020年の宮川さんの会で見事なお料理を披露したのでした。

2020年2月、パリ日本文化会館で行われた「茶懐石の会」の舞台裏。日本から到着した一級品の器の数々と秋吉雄一朗さん
2020年2月、パリ日本文化会館で行われた「茶懐石の会」の舞台裏。日本から到着した一級品の器の数々と秋吉雄一朗さん

この時の様子は、『家庭画報』2021年2月号でご紹介しましたので、もしかしたら、そのレポートを通じて宮川さんの活動をご存知の方もいらっしゃるでしょう。

『家庭画報』2021年2月号に掲載された特集記事
『家庭画報』2021年2月号に掲載された特集記事

コロナ禍のために秋吉さんの出店計画が滞り、大変な苦労をした末に今年めでたく開店したことも先の記事でご紹介しましたが、パリで真葛焼を広めたいと活動していた宮川さんも足踏みを余儀なくされました。とはいえ、ただ手をこまねいていたわけではなく、2021年には京都とパリとを結び、ライブ配信による「真葛焼と茶懐石の器」講演会を実現させています。

そして今秋、宮川さんは満を持して、パリで「世界を魅了する 京都 茶の湯への誘い」と題したほぼ1週間わたるプロジェクトを実現しました。具体的な内容は次のとおりです。

世界を魅了する「京都 茶の湯への誘い」セミナー(パリ日本文化会館ホール)9月30日

<京都伝統工芸品と京都ガストロノミーのフランス海外販路開拓プロジェクト>

「京都の高級食材を活用した日仏創作料理」試食商談会 (レストラン「TOYO」)10月1日

「京都 茶懐石の魅力」試食商談会 (レストラン あい田)10月2日

世界を魅了する「京都 茶の湯への誘い」レセプション (ユネスコ日本政府代表部大使公邸)10月3日

「京都 茶の湯 伝統工芸品」展示商談会(フォションホテル パリ)10月4日〜6日

世界を魅了する「京都 茶の湯への誘い」セミナー(パリ日本文化会館ホール)の様子。茶懐石の中の「千鳥の盃」の部分を実演を交えて解説
世界を魅了する「京都 茶の湯への誘い」セミナー(パリ日本文化会館ホール)の様子。茶懐石の中の「千鳥の盃」の部分を実演を交えて解説

セミナー会場と指物師・一瀬小兵衞さんの京都の工房をオンラインで結び、一瀬さんの仕事を紹介。聴衆からの質問に一瀬さんが直接答えるという画期的な試みが大成功
セミナー会場と指物師・一瀬小兵衞さんの京都の工房をオンラインで結び、一瀬さんの仕事を紹介。聴衆からの質問に一瀬さんが直接答えるという画期的な試みが大成功

丸1週間にわたって6つのイベントを行ったわけですが、宮川さん曰く、「もしも日本でこのレベルのイベントをしようと思ったら、一つについて半年前から準備が必要」。しかもそれをパリで実現するのですから、並大抵のことではなかったでしょう。

2020年の茶懐石の会でもそうでしたが、プロジェクトは「真葛」単独のものではなく、京都のさまざまな分野の手仕事を紹介するという大命題があります。今回参画したのは、吉羽與兵衛(茶釜)、一瀬小兵衛(指物)、鍵善良房(菓子)、村上重本店(漬物)、竹野酒造(酒)、高室畳工業所(畳)、中村松月堂(扇)、松栄堂(薫香)、山利商店(白味噌)、澤井醤油本店(醤油)、辻利兵衛本店(宇治茶)、松島屋本店(昆布)。

日本の総合芸術とも言える茶の湯文化を形にするために、なくてはならない専門家たちです。宮川さんは、それらすべての専門家たちの仕事の成果をパリに携えてきて、実際に見て触れて、味わってもらうことに力を尽くしました。

ユネスコ日本政府代表部大使公邸で開催されたレセプションでは、京都「瓢亭」監修、パリ「秋吉」が調理した料理が各国の大使たちに振る舞われた。舌の肥えた大使たちも口々にその美味しさを賞賛
ユネスコ日本政府代表部大使公邸で開催されたレセプションでは、京都「瓢亭」監修、パリ「秋吉」が調理した料理が各国の大使たちに振る舞われた。舌の肥えた大使たちも口々にその美味しさを賞賛

本格的な茶懐石の盛り付けを披露しつつ、立食で味わうのにふさわしいように便宜がはかられた
本格的な茶懐石の盛り付けを披露しつつ、立食で味わうのにふさわしいように便宜がはかられた

「向付」を招待客に振る舞う宮川さん。フランス人はもとより、中国、韓国などアジア地域、そしてアラブの国々の大使たちもこの会に集った
「向付」を招待客に振る舞う宮川さん。フランス人はもとより、中国、韓国などアジア地域、そしてアラブの国々の大使たちもこの会に集った

作法をふまえつつも取り分けやすく、しかも美しく盛り付けられた「八寸」
作法をふまえつつも取り分けやすく、しかも美しく盛り付けられた「八寸」

ダイニングルームの隣のサロンを舞台にした点前。ローテーブルの上に畳、風呂先屏風を設えた点前坐が優雅な内装に意外なほど調和していた。流れるようなお点前、そして干菓子と抹茶をゆっくりと堪能する大使たち
ダイニングルームの隣のサロンを舞台にした点前。ローテーブルの上に畳、風呂先屏風を設えた点前坐が優雅な内装に意外なほど調和していた。流れるようなお点前、そして干菓子と抹茶をゆっくりと堪能する大使たち

さて、そもそも宮川さんはなぜそのように骨の折れることを10年以上も続けてきているのでしょう? 彼のモチベーションの源泉は何なのでしょう?筆者がこの質問を宮川さんに向けると、彼の口から出た最初の言葉は「恐怖心」でした。

「私の代で終わってはいけない。家の歴史を途絶えさせてはいけないという恐怖心がまずあります。今の日本では、なかなかものが売れなくなっています。日本の工芸品全般についても、ますます衰退するのではないかと思います。人口減少で買い手は減っていますし、職人さんも減っている。たとえば30年後を考えたとき、壊滅的とは言わないまでも、どのくらい残っているでしょうか。家が持ち堪えられなくなる。後継者がいなくなる。跡継ぎがいたとしても、他の仕事をするようになるというふうに、どんどん減ってゆくのではないかと思います。そう考えた時、選択肢としては一つ。買ってくれる人を増やさなくてはならない。となると、もう海外しかないと思うのです」

宮川さんが具体的に海外を意識して活動を起こしたのは10年以上前。最初は誰かのお手伝いという形で海外でのプロジェクトに参加していたそうですが、2016年にパリ日本文化会館との縁ができ、展示会、デモンストレーション、そして2020年の「茶懐石の会」の成功というふうに、毎回同じことを繰り返すのではなく、回を追うごとに新しい試みにチャレンジしながらスケールを広げてきました。

「京都 茶の湯 伝統工芸品」展示商談会の会場は「フォションホテル パリ」のスイートルーム。ここでも客室のテーブルの上に点前坐を設けて茶道具を展示
「京都 茶の湯 伝統工芸品」展示商談会の会場は「フォションホテル パリ」のスイートルーム。ここでも客室のテーブルの上に点前坐を設けて茶道具を展示

一瀬さん作の台に載せて飾った「真葛」の香合。窓の外にはマドレーヌ寺院が見えるというシチュエーション
一瀬さん作の台に載せて飾った「真葛」の香合。窓の外にはマドレーヌ寺院が見えるというシチュエーション

正直なところ、渡仏するだけでも物入りですが、イベントをするとなるとかなりの費用がかかります。宮川さんは長いこと手弁当、つまり自身の持ち出しで活動を継続してきました。けれども次第に、「そういう活動をするなら、うちのを持って行ってくれていいよ」と、食材や工芸品をサポートしてくれる輪が広がり、グループとしてプロジェクト展開できるようになると、経済産業省からの補助金の対象になり、それで渡航イベントの一部を賄うことができるようになったのだそうです。

そうした経験を踏まえて宮川さんは言います。

「もしも日本のかたが海外で何かを売り出したいとき、個人で行くよりもグループで行かはったほうが絶対にいいと思います。これはあくまでも私のケースですが、同業者と組むのではなく、異業種の方々と組み、そこに『茶の湯』という共通項がある。道具、食材などをグループとして持ってくるのが一番良い方法だと思いました」

展示会でも菓子と抹茶が振る舞われた。壁に飾られた左の扇は、フランスでのプロジェクトに因むトリコロールカラー。赤は日輪、青は波濤の柄になっている
展示会でも菓子と抹茶が振る舞われた。壁に飾られた左の扇は、フランスでのプロジェクトに因むトリコロールカラー。赤は日輪、青は波濤の柄になっている

では、そうして10年あまり活動を続けてきて、なんらかの手応えがあったのでしょうか。もっといえば実際に売り上げにつながっているのでしょうか?

「パリで商品を買ってくださる方も増えてきていますが、京都のうちにきてくれるお客様が増えました。結局のところ、パリの『フォションホテル』、ニューヨークの『北野ホテル』でのイベントに私自身は『出張って行っている』のです。それはあくまでも仮の姿。ちょっとした雰囲気を味わっていただくことはできると思いますが、本当のところを知りたかったら、ぜひ京都のうちに来てください。『真葛』の茶室で一服お茶を召し上がってください、と思ってやっています」

展示会の招待客に日本酒を振る舞う宮川さん
展示会の招待客に日本酒を振る舞う宮川さん

注いだ日本酒が揺れると、まるで盃の柄が生きているよう。それを愛でるマダム。330年余り続いてきた家業であることに感銘を受け「襲名なさるときには、ぜひとも京都を訪れたい」と、宮川さんに熱く語っていた
注いだ日本酒が揺れると、まるで盃の柄が生きているよう。それを愛でるマダム。330年余り続いてきた家業であることに感銘を受け「襲名なさるときには、ぜひとも京都を訪れたい」と、宮川さんに熱く語っていた

実際、今回の講演会にも、展示会の来場者の中にも、それぞれ10人ほどは実際に京都の「真葛」を訪ねてくれたことのある人がいると言います。つまり、パリにもファンやリピーターがすでに存在しているのです。

「うちに来はったら、ほぼ買わはります」と宮川さん。決して安い買い物ではないはずですが、京都の「真葛」を来訪したお客さんのほとんどが何かしら買って帰るのだそうです。

「意外に茶碗が売れるのです。茶道をしていらっしゃらないのに、抹茶茶碗を求められる。彼らはそれにカフェオレを入れるとか、そういう使い方をするわけではなく、飾ってそこに精神性のようなものを感じたりするのです。茶碗には絵付けがしてあるので、春に来はったら、春のお茶碗、秋に来はったら、秋のお茶碗を買わはる。その時の、日本の京都の思い出をそのお茶碗に託す、投影するということがあるのかな、と思います。もしくは、お茶をお出ししたお茶碗そのものが欲しいと言わはる。『真葛』の茶室でお茶を飲んだという思い出をそのお茶碗として持ち帰るということなのだと思います」

「真葛」6代宮川香齋作「黒釉紅葉の絵 手びねり茶碗」
「真葛」6代宮川香齋作「黒釉紅葉の絵 手びねり茶碗」

そうした10年余りの蓄積を持った上で、宮川さんの海外展開は次の段階に入って来ているようです。

「『昔は外国の方が日本になかなか来はらへんかったから、向こうへ行って売っていたけれども、今はたくさん来てはる。それをどう捕まえるかということを考えてみたらどうや?』とアドバイスくださる地元の方もいます。たとえば、フランスの旅行会社にパッケージを作ってもらって、フランスからどんどん来てもらうというのも一つの方法だろうと思います」

確かに、日本に行きたいという外国人の数はものすごいことになっています。それがオーバーツーリズムなど、別の問題に発展する懸念はあるにせよ、とにかく日本が今、憧れの旅のデスティネーションであることは間違いありません。

パリ日本文化会館セミナー会場でも、講演後の宮川さんに「もうじき日本へ行くので」と、名刺を求める若いフランス人女性の姿があり、彼はとても自然に応対していていたのが印象的でした。

こうしたきっかけから「真葛」を実際に訪ねる人が着実に増えているのでしょう。私たち日本人には少し敷居が高いと感じるところでも、外国人はそうした先入観がない分、ひらりと敷居を飛び越えて、京都の窯元の茶室体験を素直に満喫するのではないかと思います。

茶筅のかがり糸も実はトリコロールカラー。パリでのプロジェクトのための特別な準備がこのような細部にも表れている
茶筅のかがり糸も実はトリコロールカラー。パリでのプロジェクトのための特別な準備がこのような細部にも表れている

「少なくともパリオリンピックが終わるまでは、パリを再訪することはないでしょう」と、宮川さん。

「私自身、襲名も遠くないので、自分のものを作りたいし、作らなければならない。今後しばらくはそれに専心して、『真葛』のレベルをもっと上げる仕事をしなくてはならないと思っています」と、パリのプロジェクトを終えた後、再び京都での仕事に対する決意表明が聞かれました。

「もしも私がフランスに来てなかったら、違う人生を歩んでいたと思います。もちろん『真葛』の仕事をしていたけれども、全然違っていたのではないかと思います。パリで出会った人々によって、私自身が成長させていただいた。そしてこの街が私を成長させてくれました。幸せなことに、パリではやるべきことでいっぱいいっぱいで、特に観光をせんでも、『何も観光できなかった』と思ったことが一度もありません。だって、こうして歩いているだけで、テラスで食事をしているだけでも十分にパリを味わえるのですから」

焦燥感にかられて単身海外に乗り出してから10年余り。販路を広げるという本来の目的についての手応えだけでなく、さまざまな経験が宮川さん自身を大きく成長させることになった様子です。恐怖感、焦燥感を力に変えた宮川さんのチャレンジはこれからも必ずや大きな実りをもたらすことでしょう。

パリ在住ジャーナリスト

出版社できもの雑誌の編集にたずさわったのち、1998年渡仏。パリを基点に、フランスをはじめヨーロッパの風土、文化、暮らしをテーマに取材し、雑誌、インターネットメディアのほか、Youtubeチャンネル ( Paris Promenade)でも紹介している。

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