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格差とノーベル賞「本庶氏が1000億円基金設立へ」をどう読むか 科学と大学は誰のもの?

木村正人在英国際ジャーナリスト
2018年ノーベル医学・生理学賞 本庶佑氏らが受賞(写真:ロイター/アフロ)

今世紀、日本の自然科学系3分野受賞者数は世界2位

[ロンドン発]ノーベル医学・生理学賞に輝いた京都大学の本庶佑(ほんじょ・たすく)特別教授(76)が10月5日、自分の研究を基に実用化されたがん免疫治療薬「オプジーボ」の特許料やノーベル賞の賞金で若手研究者を支援する基金を京大に設け、企業の協力も得て1000億円の規模を目指す考えを明らかにしました。

ノーベル賞の賞金は900万スウェーデンクローナで日本円にして1億円余り。これを本庶氏は共同受賞者と2人で分けるので、設立資金の大半は特許料や企業からの資金で賄(まかな)われるようです。

首相官邸のホームページによると、21世紀以降における自然科学系3分野の受賞者数は本庶氏を含め17人で、米国に次いで世界2位。しかし、本庶氏が基金設立を発表したことからもうかがえるように、日本の研究力の未来は決して楽観できるものではありません。

「研究力」はタレント(質の高い研究者)、研究資金、研究時間の総量で決まります。コツコツ1人で研究を続ける昔気質の学者もいれば、国際チームで分業して研究成果を上げる大学も増え、国際協力と競争はますます激化しています。

先に発表された英タイムズ・ハイヤー・エデュケーション(THE)「2019年世界大学ランキング・トップ1000」で本庶氏の所属する京都大学は9つランクアップして65位。東京大学は順位を4つ上げて42位でした。

留学先を選ぶ一つの目安として使われているこのランキングは「教育力」「研究力」「被引用論文数」「産業界からの収入」「国際性」の5項目から評価されます。

「研究力」では東大19位、京大32位

トップ500校の中で見た「研究力」では東京大学19位、京都大学32位と、総合点で評価される世界大学ランキングに比べて、国際競争力を何とか維持しています。

シンガポール国立大学を抜いて初のアジア首位に立った清華大学は「研究力」で世界6位。これはプリンストン大学、イェール大学、マサチューセッツ工科大学(MIT)を上回る順位です。「研究力」ではシンガポール国立大学16位、北京大学27位、香港大学31位です。

データ活用に詳しい知人が最近「人工知能(AI)に関する論文の45%近くが中国。欧米を合わせても30数%。日本はわずか2.4%というのが現状。AIが生活・産業・行政・防衛に欠くことのできないものになっていくとすれば、プライバシーや個人データ保護におかまいなしの中国がこのように躍進しているのは脅威です」という危機感を伝えてきました。

AIは応用・開発研究。大学の国際競争が激化する中、日本発の論文数は基礎研究でも減り始めています。

文部科学省の「日本の研究力低下の主な経緯・構造的要因案」参考データ集を見ると、日本の学術論文数は国立大学が法人化された2004年度以降、顕著に減少に転じたことが分かります。

文科省「日本の研究力低下の主な経緯・構造的要因案」より抜粋
文科省「日本の研究力低下の主な経緯・構造的要因案」より抜粋

元スポーツ選手が大学の未来を審議していた

03年当時、衆院文部科学委員会の3分の1程度をプロ野球やプロレス出身の有名元スポーツ選手が占めていたそうです(「国立大学法人化の功罪を問う」佐和隆光・前滋賀大学学長より)。もちろん、その後ろにいたのは国立大学法人化を主導した文部官僚です。

日本の大学の国際競争力を復活させるためには、ノーベル賞受賞者が特許料や賞金で基金を設立するより先に、研究者の声を国会に反映させる必要がありそうです。

日本の大学はこの14年間で4.6%(885億円)も予算が削られました(国立大学法人運営交付金等だけで見ると1445億円も減らされている)。教育が重視され、研究に充てられる時間も激減しました。

文科省「日本の研究力低下の主な経緯・構造的要因案」より抜粋
文科省「日本の研究力低下の主な経緯・構造的要因案」より抜粋

一方、近視眼的な成果主義が導入され、大学や研究機関の足腰が弱ってきています。さらに人口減少で研究者や学生の減少は避けられません。

ノーベル賞は評価の定まった研究成果に与えられるため、高齢者の受賞者が目立ちます。自然科学系3分野のノーベル賞受賞者が相次いでいるのは、「失われた20年」に突入する前の日本経済の遺産でしかないのです。

【ノーベル賞自然科学系3分野受賞者数】

米国273人

英国90人

ドイツ69人

フランス32人

日本23人(米国籍の南部陽一郎、中村修二両氏を含む)

合意なきEU離脱は「壊滅的だ」

一方、人口1億人当たりの受賞数で見た場合は英国が断トツだそうです。英名門オックスフォード大学とケンブリッジ大学はTHE世界大学ランキングでそれぞれ1位と2位にランクインし、世界に存在感を示しています。

人口では世界全体の1%未満に過ぎない英国ですが、最も引用数の多い学術論文の15%を占めています。

しかし英国の欧州連合(EU)離脱でEU加盟国からの研究資金や人材の流れが途絶え、頭脳が米国や中国に流出してしまう恐れがあります。危機感を強める英王立協会の歴代3会長が9月17日に記者会見して、次のように訴えました。

記者会見する英王立協会の歴代3会長(筆者撮影)
記者会見する英王立協会の歴代3会長(筆者撮影)

「悪条件の離脱合意や合意がないまま離脱するのは英国にとってもEUにとっても破滅的な結果をもたらす。合意なき離脱なら、英国は年間に10億ポンド(1490億円)の資金へのアクセスを失うだろう」

「1973年に欧州経済共同体(EEC)に加盟する前の英国には人材も研究資金も集まらず、研究現場がどれだけ悲惨だったか、思い出さなければならない」

「現在、英国の高等教育機関で働く6人に1人はEUからの人材だ。科学をEU離脱交渉の犠牲にするのではなく、最優先課題にすべきだ」

エリートへのノン・エリートたちの不信

筆者はかなり無礼な質問を意識的にしてみました。

筆者「あなたたちエリートが国際競争力を維持するために研究資金や人材が必要なのは理解できる。しかし、EU離脱の背景には、やたら高い学長の報酬や大学授業料、研究者によるハゲタカジャーナル(質が十分に保証されていないインターネット専用学術雑誌)の乱用など、エリートに対するノン・エリートの不信感が横たわっている。それに対してどう答えるのか」

しかし、ノーベル化学賞を受賞した構造生物学者のヴェンカトラマン・ラマクリシュナン現会長(上の写真中央)に「質問の意味が理解できない」と一蹴されてしまいました。

研究成果を上げるには、人材と研究資金を集める土俵を広げて、サッカーの英イングランド・プレミアリーグのように競争を激化させる必要があります。しかし、超一流の監督や人気選手をかき集める代償として試合の入場料や有料TVの視聴料が跳ね上がってしまいます。

大学も同じで世界ランキング上位校の授業料が高騰し、学生の大きな負担になっています。

画像

経済協力開発機構(OECD)の「図表でみる教育2017年版」によると、国公立大学と私立大学の年間平均授業料(15年度)は、米国の私立大学が断トツで高く2万1189ドル(240万円)、英イングランド地方は1万1951ドル(135万円)、日本は8428ドル(95万円)。国公立大学では米国8202ドル(93万円)、日本5229ドル(59万円)。

英国の学生ローン625万円

日本の奨学生が卒業時点で抱える負債額は平均343万円(有利子)、同237万円(無利子)。米エール大学のホームページ(昨年5月時点)から各国の学生ローン(米ドル換算)と比較してみると――。

英国、5万5000ドル(625万円)

米国、3万7000ドル(420万円)

スウェーデン、2万ドル(227万円)

ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスではサポートスタッフの報酬は事実上、引き下げられたのに、ディレクターは04年から15年にかけ19万4000ポンド(2892万円)から31万5000ポンド(4697万円)に昇給。10万ポンド(1490万円)以上稼ぐスタッフの報酬も同じ期間に平均で890%も増えています。

片や、英紙ガーディアンをはじめ世界中のメディアが協力してハゲタカジャーナル問題を調査した結果、学術論文を計17万5000本出版したインドやトルコなどの5大ハゲタカ出版社が査読や編集委員会など伝統的なチェックをおざなりに済ましていた実態があぶり出されています。

「エリートにはノン・エリートの疑問に答える義務があるのではないか」と食い下がると、ラマクリシュナン会長はようやく科学の進歩が人類にもたらした恩恵について強調しました。

体外受精スクープ秘話

筆者は、世界で初めて体外受精による新生児を誕生させ、不妊治療を大きく進展させた功績でノーベル医学・生理学賞を受賞した英ケンブリッジ大学の生理学者ロバート・エドワーズ名誉教授のことを思い出しました。

1978年7月25日、世界初の体外受精による新生児ルイーズ・ブラウンさんが誕生。英大衆紙デーリー・メールは「医学の歴史が母親の夢をかなえた」とスクープしました。

特ダネは「不妊に苦しんでいる夫婦を助けたい」と情熱を燃やすエドワーズ氏と共同研究者の産婦人科医パトリック・ステプトー氏(故人)の研究資金集めへの協力が交換条件だったそうです。

母親から卵子を取り出して体外で父親の精子と受精させる医療技術は「神の領域を侵している」とローマカトリック教会の総本山であるバチカンが厳しく批判。英学術振興団体や国民医療サービス(NHS)は研究資金や医療費の援助を認めていませんでした。

エドワーズ氏は研究室に閉じこもることなく、患者夫婦と交流し、診療所内に倫理委員会を設置して公に体外受精の意義を議論します。受精を生命の始まりと厳格にとらえるバチカンと異なり、幅を持たせる英国国教会は次第にエドワーズ氏の研究に理解を示すようになります。

「受賞よりうれしいのは、患者の感謝の一言」という本庶氏の発言からもエドワーズ氏と同じように患者への強い思いが感じられます。

研究資金の確保は科学の発展に欠かせません。しかし格差が開いた今の時代、エリートがノン・エリートに寄り添う気持ちを示すことこそが一番大切なのではないのでしょうか。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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