東京オリンピック・パラリンピック開催、メダルの数より大切なこと。
16日間にわたり開催されたリオデジャネイロ・オリンピックも、無事に終わりを告げた。華やかで鮮やかで多種多様なエンターテインメントを盛り込んだエネルギッシュな閉会式を見ていて鳥肌が立つほど感動を覚えた人は決して少なくない。閉会式の後半に、舞台中央で熱唱する地元の子供たちの姿が印象に残った。互いに肌色などは違うのだが、みんなが「リオ・ブラジルの子ども」だった。リオデジャネロはもちろん、国家としてのブラジルの最大の魅力は、他でもないこの国の「多様性」であることを大会の随所で教えられた。閉会式の挨拶に立ったバッハ会長は、「ブラジルが政治的、経済的に困難な状況でありながら歓待してくれた」と評価し、そして今回のオリンピックは「多様性が代え難いものであることを示し、祝福する機会を与えてくれた」と振り返った。
オリンピック・ムーブメントの目的は、「スポーツを通して心身を向上させ、さらには文化・国籍など様々な差異を超え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって理解し合うことで、平和でよりよい世界の実現に貢献する」ことにある。だからこそオリンピックは、「平和の祭典」と称される。「平和」を「多様性の受容」と置き換えることができる。つまり「平和があるところに多様性の容認があり」、「多様性の容認があるところは平和である」以上、「平和」と「多様性の受容」を同義ということになる。「平和」と「戦争」は相反する。「戦争」は簡単に言うと「違い」の受け入れの欠落によって生じる。さらには、戦争が進行するに従って、敵対者に対してのみならず、「身内の違い」の受け入れまでも一段と軽視される。障がい者、けが人、老人、女性、子どもや同性愛者や平和主義者など「戦いにはそぐわない者」、皆が邪魔扱いされる。
違いについて、人権について語り、受け入れられる社会は、心のゆとりがある平和な社会である。ここ最近、日本でLGBTの人権尊重について話が盛り上がっている点一つ見ても、これは現時点でこの社会が、平和であることを証明している。逆に言うと、繰り返しになるが、戦争になれば、身内の「違い」、つまり「人権」までも簡単に無視される。戦争とは、「殺すか殺されるか」である。「殺す」とは、人権侵害の極悪な形である。殺すか殺されるかの次元に追い込まれ生きなければならなくなった者に、その真逆の感情である「人権」の話を理解することは到底困難である。
平和は実に尊いものである。故に平和の持続可能性を絶えず考える必要がある。平和のための試みはいくらあっても良い。その点、オリンピクが平和祭典として果たしている役割を大いに評価したい。オリンピックに限らず、パラリンピック(ストーク・マンデビル競技大会)も元々は戦争で負傷した兵士たちのリハビリテーションとして始められたものである。
近代オリンピックが始まった1896年のアテネ大会(ギリシャ)に参加したのは、わずか14カ国、総勢241の選手だった。この時は女性の参加者0人であった。1964年の東京オリンピックにおいては、参加国・地域は93国で、参加者は5,151人、その内の女性はわずか13%、678人であった。その点、2016年のリオデジャネイロオリンピクは、参加国・地域は205で、参加者数は11,303で、女性比率45%と過去最高を記録した。もちろん、冬季オリンピックもパラリンピックも同様に開催の回数を重ねるごとに「多様性」を強化してきている。
リオデジャネロ大会において、戦火が続いたコソボからは、大会初となる8名の選手団が参加し、柔道では金メダルに輝いた選手も現れた。さらに特筆なのは10名で結成された「難民チーム」の参加である。選手団は、シリアやコンゴ民主共和国、エチオピア、南スーダンなどの、内戦や政情不安などから自国を追われた身で、現在、その内8名はケニア、ベルギー、ドイツ、ルクセンブルクに難民として受け入れられ、2名はブラジルから難民として受け入れら暮らしている。(ちなみに、開催国ブラジルは難民保護政策として自国において迫害又は危険がある人々に積極的に「人道ビザ」を発行し、合法的かつ安全にブラジルに入国できる道を開いている。)
「難民チーム」が、開会式で開催国のブラジルチームの一つ前に入場した際は、会場の人々はスタンディングオベーションの盛大な歓迎で迎えられた。独自の国旗がない「難民」をオリンピックの五輪の旗をもって包み込んだ。この出来事は「戦争や人権侵害と対立軸にオリンピックがあることを強く印象付けた。
今大会において、参加選手から自身がLGBTであると公表した選手が50人となった。これは、2008年の北京オリンピックの10人、2012年ロンドン25人をはるかに上まわり過去最高の数字であった。今大会中に印象に残る場面は他にもあった。リオ五輪で7日、女子ビーチバレーでエジプトとドイツの対決もその一つである。身体の過剰な露出を良しとしないイスラム教徒の選手が身体を隠すヒジャブで登場し、最小限にしか体を覆っていないビキニ姿のヨーロッパ選手らと堂々と戦った(時期を同じくフランスではビーチでの「ブルキ二」禁止するなど、争いの種まきをしていた)。
リオオリンピック最終日に行われた、男子マラソンでエチオピア代表のフェイサ・リレサが銀メダルに輝いた。彼が高く掲げた両手でバツ印をつくりながらマラソンの最後の直線を走った姿は、世界中で話題になった。フェイサは、「エチオピア政府が行っている虐殺や暴力に対する無言の抵抗を平和祭典オリンピックの場で訴えた。オリンピックは、「人権」について考え、表現するに当たっての最も適切な場であることを選手自らも実行した記憶に残る大事な場面となった。
開催に際して治安問題や工事の遅延などの不安の声が大きかった中で迎えられたリオデジャネイロ・オリンピックであったが、少なくとも「平和祭典」として、つまり「多様性の受容力」において過去のすべての記録を見事に塗り替え、その役目を立派に成し遂げた。次は、東京である。ブラジルと日本、両国間の長きにわたる人的交流の歴史を考えると考え深い、そして喜ばしいバトンタッチでもある。
2020年のオリンピックに向けて東京はすでに動き出している。東京オリンピック・パラリンピックの組織委員会でもそのコンセプトに「全員が自己ベスト」「未来への継承」とともに「多様性と調和」を上げている。しかし現時点において日本のメディアで扱われている内容は「競技場の予算」や「次にどれぐらいメダルを取るか」に終始している。繰り返しになるがオリンピクは自国開催の「国はどれだけメダルを取るかを争う大会」である以上に、開催地としての「多様性の受容」の懐の深さを証明することが期待される。反面教師として、近い過去においてLGBTに対する差別を行ったことが世界中で恥をさらしたソチ大会が思い出される。
東京とリオは地球のほぼ裏表になっている。今までの最高を記録したリオデジャネイロだが、東京は地球の真裏にあるのだからとオリンピックの今まで蓄積を裏返してはならない。事実、東京に対して、大きな可能性と不安の両方が同居している。今大会のベイカー茉秋やケンブリッジ飛鳥などのダブルの選手の活躍は、まさに今までの日本社会の多様性の受け入れによる成果である。違いに対する受容力が、強さとなってこの国を輝かさることを証明している。と同時に、東京では「特定の人種や民族への憎しみをあおるようなヘイトスピーチ」や子どもを人質にした差別行為などは未だに続いていて、オリンピック開催地としての品格を著しく貶めている。日本社会の女性やLGBTに対する免疫の度合いも決して喜べる状況にはない。
オリンピックは、大会そのものにおける多様性の受容に留まらず、東京全体、日本全体の多様性の受容を実現できる良いきっかけにしなければならないことは言うまでもない。2020年東京オリンピック、パラリンピックまで4年。「後4年しかない」という方がより正しい表現なのかもしれない。