【イギリスと紅茶】イギリスの歴史を彩る紅茶文化の広がり
紅茶はイギリス文化を語る際になくてはならない存在です。
ボストン茶会事件やアヘン戦争といったイギリスと紅茶にまつわる歴史的なエピソードもあります。第二次世界大戦中の配給品の一つに紅茶の茶葉が含まれていたとも言われ、戦時中にイギリス政府が購入した品物ランキングでは五本の指に入っていたという話も残っています。その重量が砲弾や爆薬よりも多かったとか。
今回は、そんなイギリスの紅茶の歴史について紹介します。
イギリスに入った最初のお茶は緑茶
お茶は紀元前の中国から始まり、当初は東洋医学や漢方薬の基礎を作った人物が薬としてお茶を飲用していました。実際にお茶が国民的な飲み物になったのは唐の時代だったそうです。
お茶が本格的にヨーロッパに入るようになったのは16世紀末~17世紀初めごろ。最初は緑茶が「東洋の神秘薬」として伝わりました。イギリスに流入したのがオランダ東インド会社が東アジアで日本茶や中国茶を購入し、オランダ商人から17世紀中ごろに持ち込まれました。
緑茶が紅茶になった経緯については定かでありませんが、ウーロン茶がヨーロッパに広まり、購入者の嗜好に合わせて製造しているうちに紅茶が誕生したと言われています。
クロムウェルとお茶の関係とは?
ヨーロッパにおけるお茶の輸入は主にオランダ東インド会社が担っていました。オランダ東インド会社は、スペインから独立宣言をしたネーデルラント連邦共和国(オランダ)がスペインの交易禁止に対抗するために設立した会社です。
イギリス(当時イングランド)はネーデルラントの独立に協力していますが、やがて交易を巡って対立します。イギリスもまた1600年にイギリス東インド会社を設立しています。
イギリスでピューリタン革命が起こりクロムウェルが政権を握ると、本格的な重商主義政策を敷き、航海法を制定しました。航海法とは、「貿易はイギリス本国か生産国、もしくは最初の積出国に限る」という法律です。こうして両国の関係が完全に悪化し、三度にわたる英蘭戦争に突入します。
クロムウェルが亡くなり王政復古してチャールズ2世の即位後、不仲な関係になっていたオランダからのお茶の輸入が禁止され、中国からお茶を輸入するようになりました。
チャールズ2世・キャサリン王妃がお茶に砂糖を入れて飲んだ
チャールズ2世の名はイギリスの紅茶文化を語るうえで必ず出てきます。正確にはチャールズ2世のもとに嫁いできたポルトガル王女・キャサリン・オブ・ブラガンザがメインなのですが、イギリスとポルトガルの両国にとってライバルだった「ネーデルラントを追い落とすために結束しよう」ということで、二人の結婚は決められました。
キャサリンはイギリスに来る際に、持参金として持ち込んだ大量の銀のほか、中国のお茶と砂糖(銀塊と変わらないほどの価値があったとか)、嫁入り道具として茶道具を持ち込んでいます。当時はお茶も砂糖も非常に貴重な品でしたが、砂糖をお茶に入れて飲むのを好んでいた彼女の影響もあって徐々に宮廷内や富裕層の間で広まっていきました。
砂糖の歴史
少し砂糖の歴史に触れます。
砂糖がヨーロッパで知られるようになったのは十字軍遠征がきっかけです。ヨーロッパに砂糖が入ってからは地中海諸島やイベリア半島南部でも作られましたが、やがて大航海時代を迎えると砂糖の生産は大西洋の島国やブラジル(ポルトガルの植民地)などに移行します。
こうして16世紀ころに生産された砂糖がポルトガル商人の手によってヨーロッパに流入し始めました。17世紀になるとイギリスやフランスが支配するカリブ海での生産が目立つようになりました。この生産された砂糖はオランダ商人たちの手によって流通されたのですが、ここでクロムウェルの航海法が絡みます。イギリスが生産国から自国の船で輸入するようになって砂糖の生産・流通の覇権を握る下地ができあがったのです。
そして、キャサリン王妃がチャールズ2世と結婚。王妃の影響でお茶に砂糖を入れて飲むという習慣ができ始め、イギリスが砂糖とのかかわりを深くしていったのでした。
メアリ2世と紅茶の関係
メアリ2世は名誉革命で夫のウィリアム3世と共にイギリスの王位についた女性です。彼女はネーデルラントに嫁いでいたこともあって、オランダ式の喫茶法やこれまでの交易の影響でネーデルラントではやり始めていたシノワズリ(中国趣味の美術様式)を持ち込んでいます。これによりお茶の飲み方が違った形で広まっていきました。
なお、メアリ2世とウィリアム3世の即位と同じ年に、イギリス東インド会社を通じてボヒー茶(ウーロン茶に近い発酵された紅茶)が中国から直接輸入され始めます。オランダを介していた時に輸入していたお茶は緑茶でしたが、やがてイギリスの水に最適な紅茶が広まっていきました。
アン女王がイギリスに紅茶を普及
メアリ2世の妹のアンは紅茶を何度も飲む習慣を定着させ宮廷でも広がります。彼女は一日に6~7杯くらい飲んでいたとか。なお、本格的なアフタヌーンティーは1840年代のべドフォード公爵夫人アンナ・マリアの登場を待つことになります。
キャサリン妃、メアリ2世、アン女王たちが宮廷内で開くようになったお茶会の催しもあって、上流階級の間で定着しつつあった『紅茶を飲む習慣』は、やがて宮廷に留まらず階級関係なしに広がっていきます。「王室御用達」のシステムが確立したのもこの頃だそうです。
コーヒーハウスで紅茶を提供
コーヒーハウスの起源は中東のイエメンのあたりだと言われ、それがヴェネツィア商人を通じてヨーロッパに伝わりました。17世紀半ば~18世紀半ばにかけてイギリスでは商取引、海運情報のやり取り、新聞の回覧、政治議論の場としてコーヒーハウスが流行しています。紅茶も最初はコーヒーハウスで提供され始めました。
18世紀初期に「トムズ・コーヒーハウス」を開いていたトマス・トワイニングは、コーヒーハウスのオープンから10年後にイギリス初の紅茶専門店「ゴールデン・ライオン」を開店し、これが新たな社交の場として機能します。トワイニングは現在でも紅茶の会社として残っており、日本でもよく売っているので見かけた人は多いと思います。
男性のみを客の対象とみなして議論を重ねる場所のコーヒーハウスとは違い紅茶専門店は、インテリアに凝っていたりオシャレな雰囲気のお店で女性に人気のお店となっていきました。お店では茶葉が売られお持ち帰りができるため、家庭に茶葉が持ち込まれるようになり、紅茶を楽しむ文化ができあがってきたのです。