北朝鮮で国民が一時パニック状態に…当局「重大会議開催」の噂で
「5日(午前)10時から中央(政府)主催する重大会議があるので、人民委員会副委員以上の幹部、各級機関長、財政責任者はひとり残らず参加すること」
北朝鮮当局は3日朝、地方にこんな指示を下した。このせいで一時的に大騒動となった。その理由はなぜか。米政府系のラジオ・フリー・アジア(RFA)が報じた。
慈江道(チャガンド)の情報筋は、4日の午後9時になっても、市場の周辺に多くの人が集まっていると伝えた。市場はとっくに営業を終えている時間で、商人も皆帰宅した後だが、人々が次から次へとやってくる。
上述の重大会議の件があっという間に町に広がり、こんな噂が市場を中心に駆け巡った。
「貨幣改革が行われるのではないか」
ここで言われている貨幣改革とは、金正日時代だった2009年11月30日に行われたデノミネーションのことを指す。通貨単位を100分の1に切り上げると同時に、旧紙幣をすべて銀行に預けさせ、1世帯あたりの引き出し可能額を10万北朝鮮ウォンに制限するというものだった。
これには、なし崩し的に進んだ市場経済化を阻止し、旧来の社会主義計画経済に戻すため、民間が蓄積した富の多くを無効化しようというねらいがあった。
市場での食糧販売と外貨使用を禁止し、市場での販売価格に上限を儲けたことで、損をすることを嫌った商人は、市場から撤収した。中国からの輸入が一時ストップしたことも加わって深刻な食糧不足となった。全財産を失うことになった北朝鮮国民は激しく反発し、国中が大混乱に陥った。
混乱と反発の大きさに当局は驚愕し、引き出し可能額を段階的に増やすなどの対策を取るなどの対策を取ったが、混乱は収まらず、ハイパーインフレを引き起こした。コメ価格は貨幣改革前後の2カ月で、30倍以上になった。
結局、国も失敗を認めざるを得なかった。
当時の金英日(キム・ヨンイル)内閣総理は、平壌に全国の人民班(町内会)の班長を集めて、「事前準備も、事後の結果への考慮も十分に行わず、無理に進めたことで人民に大きな苦痛を与えたことを心からお詫びする」と謝罪した。
また金正日総書記は、貨幣改革の責任者だった朴南基(パク・ナムギ)朝鮮労働党計画財政部長を銃殺刑とし、事態の収拾を図った。
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経済の主導権を国の手に取り戻そうとした金正日氏の計画は大失敗に終わり、その悪影響は彼の死後も続いた。北朝鮮ウォンと銀行は完全に信用を失い、人々は以前にもまして外貨を使うようになり、銀行の利用も避けるようになった。
国民の金正日氏への恨みも消えていない。1994年に金日成主席が死亡した際には本当に号泣した人も多かったが、2011年12月の金正日氏の死亡時に見られた涙の多くは「演技」によるものだったという(上の写真)。
わずか14年前のこととあって、人々のトラウマは消えていない。会議の噂を受けてパニックに陥った人々は、手持ちの北朝鮮ウォンを外貨に両替したり、物を買おうとしたりして、市場に殺到したのだった。
両江道(リャンガンド)の情報筋によると、この重要会議は、先月末に最高人民会議で議決された人民計画経済完遂、山林緑化、財政部門の現代化を徹底的に貫徹するための対策を論じるものだった。
この会議には行政機関の長と財政責任者が参加していたが、2009年の貨幣改革直前に行われた会議にも彼らが呼ばれたこと、昨今の物価高騰で、また貨幣改革が行われるのではないかとの噂が以前から流れていたことから、一時的にパニック状態になってしまった。
金正恩総書記は、父・金正日氏の失敗から、市場には手を付けず、比較的自由に商売ができるようにしていたが、2020年ごろから市場経済の抑制、計画経済への回帰を目指す姿勢を示すようになった。
これに、コロナ禍を受けた国境閉鎖と貿易停止が相まって、国内では深刻なモノ不足と食糧不足が起き、飢えに苦しむ人が続出した。秋の収穫、中国やロシアからの食糧輸入で、状況は幾分改善したものの、物の量より質を重要視するほど順調だった北朝鮮経済は、依然冷え込んだままだ。このような状況も、噂の拡大と混乱の背景にあるのだろう。
市場経済の「見えざる手」を、計画経済の「拳」で押さえつけようとしても、失敗することは旧共産圏はもちろん、北朝鮮自身も既に経験していることだ。北朝鮮政府に求められるのは、市場への介入ではなく、市場経済の進展に伴い、拡大する貧富の差をセーフティネットの拡充だろう。計画経済ではなく、無償医療、教育などこそが、立ち戻るべき過去だ。