親子の、兄弟の、男たちが挑んだそれぞれの形のドバイワールドカップデー
東日本大震災以来のドバイとなる男
「『帰って来ただけです!』って、言いたいですね」
そう語ったのは松田全史。新谷功一厩舎の調教助手だ。UAEダービー(GII)に臨むクラウンプライドと共にドバイ入り。レース前日に48回目の誕生日を迎えた。
松田にとってドバイは2011年以来。当時は角居勝彦厩舎の調教助手として、彼の地へ渡っていた。
「東日本大震災の直後でした。厩舎の垣根を越えてドバイ入りした日本勢が一丸となり、チームジャパンとして戦っていた感じでした」
結果、松田が毎朝調教をつけていたヴィクトワールピサが日本馬として史上初めてドバイワールドカップ(G I)を優勝。2着にも呉越同舟で中東入りしたトランセンドが粘り込み、見事にチームジャパンでワンツーフィニッシュを決めた。
「今年も日本で大きな地震があったので、こちら(ドバイ)の人達に『2011年の再来になると良いね』と言われました。ただ、被災した方もおられるので震災と結びつけて考えるのは必ずしも良い事とは思えません。それとは関係なく、クラウンプライドを勝利に導いて『帰って来た!』って言いたいです」
父の雪辱を期す男
同じUAEダービーに臨むのが武幸四郎調教師。技術調教師時代の17年、須貝尚介厩舎のアディラートに付いてドバイへ遠征し、UAEダービーに挑戦(12着)した経験があった。独立した今回はセキフウを、同じレースへ送り込んだ。そして、自らがそうだったように技術調教師の上原佑紀(32歳)を指名し、同行してもらった。
上原は昨年、調教師試験に合格。父・博之は07年、ダイワメジャーでドバイデューティーフリー(G I、現ドバイターフ)に挑戦。結果は3着。セキフウは前走のサウジアラビアではサウジダービー(GⅢ)に挑み僅差の2着。サウジアラビアの、そして父の雪辱を期すべく、ドバイへ転戦した。
父の、そして昨年の雪辱を期す男
父と同様の遠征となる男がもう1人いた。
角居和仁。伯楽として名をほしいままにした角居勝彦元調教師の次男だ。まだ9歳だった2005年に父について家族でアメリカへ行った。そこでシーザリオがG Iを勝つ瞬間に立ち会った。翌年、デルタブルースがオーストラリアでメルボルンC(G I)を勝った際も現場にいた。そして11年、ヴィクトワールピサがドバイワールドCを優勝した時は父や松田と共に表彰台に登壇した。
しかしその3年後、19歳になった和仁に、人生を左右する出来事がこれまたドバイで起きた。
「父のデニムアンドルビーがドバイシーマクラシックに挑戦し10着に敗れました」
それまで勝つシーンしか見てこなかった和仁にとっては衝撃的な出来事。父が敗れた事が悔しく、同時に自分もこの世界で勝利を目指す生き方をしたいと考えるようになった。
その後、20年の10月には栗東トレセン入り。21年から大久保龍志厩舎に身を置くと、春にはチュウワウィザードの中東遠征、秋にはディープボンドのフランス遠征にそれぞれ同行。そして今年もまたチュウワウィザードと共にドバイに入った。
「昨年のドバイワールドCは2着に負けました。今年は父みたいに勝ちたいです」
兄弟で挑む男達
昨年2着で悔しい思いをした男がもう1人いた。
調教師の藤原英昭と弟で調教助手の和男。21年はドバイターフ(G I)にヴァンドギャルドを送り込んで2着。今年は雪辱を期す同馬に加え、昨年のダービー馬シャフリヤールでドバイシーマクラシック (G I)にも挑戦する。
「構えずに、日本にいる時と同じように普段通りにする事が大事。幸い2頭共に順調に来ているのでチャンスはあると思っていますよ」
英昭はそう言うと、続けた。
「でも、その普段通りにするのが難しいんだけどな……」
昨年のドバイだけでなく、過去にはシンガポールや香港にも何頭も何度も連れて行ったが、今まで先頭でゴール板を駆け抜けた馬は皆無。誰よりも「普段通りにする」事の難しさを知っていた。
悲願の海外初勝利
それでもドバイターフではヴァンドギャルドがゴール前で強襲。3頭が鼻面を並べてゴールラインを通過。ゴール直後はヴァンドギャルドが完全に抜け出していたが、残念ながら軍配は他の2頭に上がった。日本のパンサラッサとディフェンディングチャンピオンのロードノースが1着同着となり、ヴァンドギャルドは差こそないものの3着。藤原兄弟はまたも地団駄を踏んだ。
しかし、大団円はその直後に待っていた。2410メートルを逃げ粘ろうとしたオーソリティをかわしたシャフリヤールは欧州チャンピオン・ユビアーの追撃も退け、堂々と真っ先にゴールへ飛び込んだ。藤原兄弟にとって夢にまで見た海外勝利をドバイシーマクラシックという大舞台で成し遂げた。
「日本のダービー馬として力を見せられて良かった」
兄の英昭はそう言うと笑みを浮かべてサムズアップ。一方、弟の和男は次のように言った。
「長かった。でも、ここからは次々行きますよ」
誇らしい敗戦
シャフリヤールの歓喜も冷めやらぬうちにメインのドバイワールドCのゲートが開いた。チュウワウィザードは最後方からの競馬。過去のデータ的に先行勢が圧倒的に有利な傾向のあるレースで、今回、逃げたのはアメリカのスピード馬ライフイズグッドだっただけに、日本からの挑戦者は序盤でお手上げかと思われた。
しかし、全身に砂を浴びながらチュウワウィザードは馬群の中を進撃。勝利にこそ手は届かなかったものの最後はライフイズグッドをもかわし、3着でフィニッシュした。
「頑張ってくれました。負けといえ、悔しさよりも誇らしい気持ちの方が大きいです」
砂まみれのチュウワウィザードを前に、角居はそう語った。
日本馬直接対決で笑った男と泣いた男
遡る事1時間と45分。クラウンプライドとセキフウが出走したUAEダービーが行われた。他にコンバスチョンとレイワホマレも出走。計4頭の日本馬が直接対決する格好となった。
時にスタート難を見せるセキフウだが、今回はスタートを決めると好位を追走。しかし初めて経験する距離が影響したか、最後は失速して8着に沈んだ。
「折り合っていたし、良い競馬は出来ました。勝ちに行っての結果なので満足はしています」
さばさばした表情で武はそう言った。一方、上原は悔しそうな表情で次のように語った。
「幸四郎先生に声をかけていただき、サウジアラビアとドバイで面倒を見させてもらったのに結果を残せずに申し訳なく思っています。でも、個人的には凄く勉強になったので、恩返しする意味でも開業した後には自分の馬でリベンジしたいです」
今回の、そして父のリベンジが果たされる日が来る事を願おう。
対照的に大きく胸を張る結果となったのがクラウンプライドだ。横綱相撲ともいえる内容で抜け出すと、最後は2着に2.75馬身差をつけ悠々とゴールイン。11年前と同様に引き上げて来る馬を曳いた松田。
「この馬の強さを信じていました。当然の結果です!」
これでケンタッキーダービー(米国、G I)挑戦の可能性が高くなったクラウンプライドに目をやると、再度、口を開いた。
「この馬の強さを世界に証明するのはこれからです。今日はただ、帰って来ただけです!!」
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)