国家権力と英メディアの綱引き(3) ―下院議員灰色経費請求問題とウィキリークスのメガリーク
エドワード・スノーデン元米中央情報局(CIA)職員からのリーク情報に基づき、米英情報機関による情報集活動を報道してきた新聞の1つが、英ガーディアン紙だ。同紙に対し、テロリスト捕獲活動に「損害を与えた」(英諜報機関トップら)とする批判が出る中、アラン・ラスブリジャー編集長が、来月、議会の内務特別委員会に呼ばれて証言することになった。
国家の機密を外に出すメディアと機密を守ろうとする政府・当局側との綱引きが続いている。
綱引きの前例の1つが、保守系全国紙デイリー・テレグラフによる暴露記事(2009年)だ。
下院議員灰色経費請求問題(デイリー・テレグラフ紙)
米国人ジャーナリスト、へザー・ブルックがきっかけを作った暴露例が灰色経費請求問題。
ちなみにここでの「経費」とは、「追加費用手当」を指し、通称「別宅手当て」といわれた。議会があるロンドンから遠い場所を選挙区とする議員は、議員開会中、ロンドン近辺の宿発施設が必要となる。これを「別宅」として関連する費用を経費として計上できる仕組みだ。
英国に住みだしたブルックは、地方自治体などの公的組織や国民が選んだ議員についての情報が一般市民には入手しにくいことを知って、驚いた。2005年、政府や公的機関にかかわる情報の公開を国民が要求できる「情報公開法」の施行にあわせ、下院議員全員の経費情報を要求したところ、「時間がかかりすぎる」などの利用で拒絶された。
その後、ほかのメディアの記者も同様の要求を開始し、情報を出すことを渋る下院側とジャーナリストらの裁判が始まった。
数年後の2009年、ブラウン首相(当時)が公開に同意したものの、議員にとって都合が悪い情報を黒塗りさせる作業を行わせていた。
この頃、黒塗りされていない生の経費情報が入ったディスクが何者かの手によって下院の外に流出し、買い手を求めているという情報がメディア界で流れた。いくつかの新聞社は購入を拒否し、最終的に、編集長、経営陣の了解の下、デイリー・テレグラフ紙が約11万ポンドという巨額で購入した。
テレグラフは数人の記者を社内の一室に集め、同僚はおろか家族にも他言しないようにさせて、膨大な量のディスク情報の分析に取り掛かった。分析後、原稿を作ってから該当する議員のコメントを取り、記事を掲載した。
テレグラフは姉妹紙の日曜紙サンデー・テレグラフとともに連続35日間、1面トップで経費問題を扱い、複数の閣僚が辞任した。情報の公開を拒んできた下院議長も辞任した。
当初、情報をお金で買ったテレグラフに対し批判が起きたが、連日のスクープ報道でいかに議員らが経費を無駄遣いしているかが暴露され、批判は消えた。「公益性があった」と見なされるようになった。
経費報道をテレグラフの数人の記者がまとめた本「どんな経費も見逃さない」によると、テレグラフのウィル・ルイス編集長(当時)は、無断で持ち出した情報が入ったディスクを買ったことで、窃盗罪などに問われる可能性を想定した。自分自身や記者が警察の取り調べを受け、逮捕あるいは禁固刑が科されるのではないかと心配し、弁護士団を用意した。
しかし、報道開始から2週間後、経費情報の公開を拒んできた下院議長が辞任宣言。同日、報道には「公益性がある」として、ロンドン警視庁から捜査を行わないとする声明文がテレグラフに届いた。
先の本によると、ディスクを外に出したのは、義憤に駆られた、黒塗り作業に関連した人物(作業室を警備していた英兵の可能性もある)とされている。
ウィキリークスによるメガリーク(ガーディアン紙)
最近の米国家安全保障局(NSA)や英政府通信本部(GCHQ)の監視行動の暴露をほうふつとさせるのが、インターネットの内部告発サイト「ウィキリークス」による「メガリーク」(2010年)だ。
ウィキリークスはオーストラリア人ジュリアン・アサンジがドイツ人エンジニアのダニエル・ドムシャイトベルクなどと、2006年に立ち上げたウェブサイトだ。07年から、世界の企業や政府の不正についての情報を受け付け、公開してきた。
政府や企業などの内部事情を知る人物が公益目的で行う内部告発には長い歴史があるが、その人物の素性が明るみに出た場合、雇用先からの解雇あるいは何らかの社会的制裁を受けがちだ。
ウィキリークスではウェブサイトを通じて情報を受け取るが、暗号ソフトを通して情報が渡るため、ウィキリークス側にも告発者の素性が分からないようになっている。
2010年、イラクに駐屯中だった米海兵隊の情報分析アナリスト、ブラッドリー・マニング兵(2013年、敵へのほう助罪などで有罪、35年の実刑判決。有罪決定後、チェルシー・マニングという女性として認識されるよう、本人が要請)が米政府の機密情報をディスクにダウンロードし、ウィキリークスに送った。
マニング兵からのリークを元に、ウィキリークスは次々と情報を公開してゆくが、公開のパートナーに選んだのが英ガーディアン紙だった。同紙の特約記者ニック・デービスがアサンジと交渉した。
デービスは、情報量が巨大であったため分析には時間がかかると見て、米ニューヨーク・タイムズとの共同作業をアサンジに持ちかけた。英国では公務員機密守秘法や名誉毀損法などによる法的縛りがきつく、報道の自由をうたう憲法修正第1条を持つ米国のメディアを巻き込んだほうが報道しやすいとも考えた。
アサンジはこれに同意した後、ドイツの週刊誌シュピーゲル、英民放チャンネル4にも情報を提供することに決めた。外交公電報道では仏ルモンド紙、スペインのエルパイス紙も参加した。
2010年夏以降、米英仏独のメディアによる、一連の報道が始まった(7月、アフガン紛争関連資料約7万7000件公開、10月イラク戦争関連米軍資料約40万件公開、11月、米外交公電約25万件の報道開始)。情報量が巨大なため、「メガリーク」と呼ばれた。
2011年、筆者がガーディアンのイアン・カッツ副編集長(当時)に筆者が聞いたところによると、「報道してよいかどうかを当局に聞くことはなかった」という。米軍資料の信憑性、正確さ、報道によって人命が危険にさらされないか、国家の安全保障に損害を与えないかどうかの判定は、世界中にいる同紙の記者、内外の軍事関係者などを通じて確認、判断した。
米外交公電についてはロンドンの米大使館やワシントンの米国務省と「議論の機会」を持ち、米側は特定の事柄についての懸念を表明した。ガーディアン側は「懸念の件は考慮する」と答えたという。
外交公電の報道開始前に、英政府はガーディアンを含む複数のメディアに対し、慎重に扱うべき外交情報があれば通知してほしいという「国防通知」を出した。この通知に応じる法的義務はないが、報道機関は国防に配慮した報道を行うよう要請される。英首相官邸は「この通知によって報道差止め令を裁判所に求める意図はない」と説明」し、報道の自由の維持に神経をとがらせた。
ニューヨーク・タイムズは報道前に、米政府と何度か交渉の機会を持ち、ワシントン支局長と他の2人の記者がホワイトハウスに呼ばれている。
政府側は「修正すべき項目」として(1)人命に損害をもたらすと思われる部分、(2)諜報活動の秘密を暴露すると思われる部分、(3)外国の政治家に関わる率直な感想を述べた部分を指摘した。ニューヨーク・タイムズは(1)に関しては理解を示したものの、(2)と(3)については政府の懸念に同意しないとする場合もあったという。最終的に、「一部は修正し、一部は修正せず」という方針をとった(「読者へのお知らせ」、ニューヨーク・タイムズ紙、2010年11月28日付)。
現在までに、メガリーク報道を主導したガーディアン、ニューヨーク・タイムズが米英両政府から報道が違法であるなどの理由から訴えられる事態には発展していない。
アサンジは2010年夏にスウェーデンを訪れ、二人の女性と性的関係を持った。後、女性たちはアサンジに性的暴行を受けたと主張した(アサンジ本人は否定)、スウェーデン検察局は「欧州逮捕状」(03年から施行)を用いて、アサンジが同国に戻るよう要求した。
アサンジはスウェーデンを訪れることを拒否しているが、もしそうなれば米国に移送され、機密情報を暴露したサイトを運営する自分が米国でスパイ罪(もし有罪となれば死刑もあり得る)に問われると主張している。
アサンジとスウェーデン検察局の間で移送をめぐって裁判沙汰となったが、昨年、英最高裁はアサンジのスウェーデンへの移動を命じた。これに応じなかったアサンジは在ロンドンのエクアドル大使館に政治亡命を申請し、8月、申請が認められた。今年11月現在も、大使館に滞在中だ。
(筆者のブログ「英国メディアウオッチ」や拙著「英国メディア史」を参考にしました。)