とんがれ、高齢者!:過去に生きず、未来を見つめて今を生きるために。
■とんがれ高齢者!
やい、じじい、ばばあ。遠くを見るような目をするな! 懐かしい昭和の生活とかなんとかの展示を見ながら、遠くを見るような目をするな! そんなのは、早すぎだ! 余命3ヶ月になったら許してやる。
でも今はまだ、元気に歩いて、デパートに来たりできるんだろ。まだまだ活動できるんだろ。思い出の中だけで生きるのは、早すぎるぞ!
若い奴らに言いたいことがあるだろ。世の中で、腹が立つことがあるだろ。子ども若者に伝えたいことがあるだろう。もっと、とんがれ。もっと現実の、今を生きろ!
■今を生きろ!じじい、ばばあ。
よし、休みの日に孫と見る良いビデオを教えてやる。アニメ映画『カールじいさんの空飛ぶ家』だ。この映画のじじいも、遠くを見つめて生きていたぞ。ただぼんやりするだけでなく、偏屈じじいだ。嫌われ者だ。嫌われ者の上に、元気がない。これは、とんがっているじじいではない。妻に先立たれ、一人暮らしで希望を無くし、そのストレスを周囲にぶつけているだけだ。
そんなじじいのところへ。一人の男の子がやってくる。良い子だが、頼りにならない子どもだ。トラブルが起きるぞ。大事件だ。相手は、小さな子どもだ。誰かが守ってやらねば。ここで、じじいの登場だ。
『カールじいさんの空飛ぶ家』。タイトルだけ見ると、ふわふわしたメルヘンちっくなお話を想像するだろ。だが違うぞ。ふわふわ気持ちよく飛んでいるの時間は、少ない。むしろ、じじいが根性出して、家と子どもを引っ張る話だ。
だが安心しろ。悲惨な話ではない。主人公のじじいは、苦労をするが、どんどん元気になっていく。子どもを守り、子どもを叱り、子どもに勇気を与えていく。これが、いい感じの、とんがった年寄りだ!
物語のクライマックスは、「思い出」を守るか「今」を大切にするかの選択だ。答えはわかるだろう。ネタバレはしない。たまには、レンタルビデオ屋にも行け。
もうひとつ。絵本『おじいちゃんの口笛』も同じテーマだ。私はこの絵本が原作でヨーロパで作られたドラマを、NHKで見たぞ。老人施設で暮らす偏屈じじいが主人公だ。昔々、サラリーマンとして活躍していた時代のネクタイを眺めながら生きている。
ある日ここに、赤の他人の男の子が「ぼくのおじいちゃんになってほしい」とやってくる。迷惑で、バカな子だ。だが、じじいは付き合ってやることにする。子どもとつきあうのも、年寄りの役割だ。
子どもとじじいは、仲良くなったり、けんかしたり、いろいろある。そんなある日。じじいは、子どもと凧をつくる。なかなかうまくいかない。凧の尻尾が必要だ。
じじいは、思い出のネクタイを一本取り出し、チョキンと切って凧の尻尾にする……。
今を生きろ! 何歳になっても、未来を見つめ、子ども若者を育て、今を生きろ。昔の思い出も、経験も、そのためにある。
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■中高年の心の健康
中年になると人生の先が見えます。高齢者になればなおさらです。そのときに、心の健康を保つためには、「育てる喜び」が必要です(発達心理学者エリクソンによる発達課題)。子ども、孫、会社、地域、日本の国。元気な高齢者は、次世代を育てることを考え、未来を見て生きています。
思い出はとても大切です。思い出を大切にすることは、幸福感を高め健康を増進します。しかし、思い出を大切にするのも、今の生活のためです。
「年寄りに楽隠居をさせてはいけない」とよく言われますが、何の責任感も使命感も持たせず、心も体も楽にさせすぎると、高齢者の心身はどんどん弱っていきます。
かつて、高齢期は様々なものを失う「喪失の時代」と言われていました。でも現在では高齢期になって様々なものを得ることができる「創造の時代」と呼ばれています。積極的な人は、70歳になってからでも、新しい趣味や活動を見つけ、90歳になるころにはすっかりベテランで活躍を続けている人もいます。
上の文章で「余命3ヶ月になったら」と書きましtが、実は少し違います。明日死ぬにしても、今日リンゴの木を植えたほうが、人の心は健康になれます。ターミナルケアの仕事をしている看護師さんが言っていました。「余命わずかの患者さんでも、毎日何か新しい体験ができるように努めています」。
生きるということは、そういうことなのでしょう。何歳になっても、過去の経験を生かし、未来を見つめて、今を生きていきたいと思います。