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「ホーム・アローン」から30年。マコーレー・カルキンはどうしているのか

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
(写真:Shutterstock/アフロ)

 アメリカで、クリスマスとクリスマス映画は、切っても切れない関係。この季節になると毎年必ずクリスマスにまつわる新作映画が公開されるし、テレビでは過去の名作が放映される。王道はもちろん「素晴らしき哉、人生」。しかし、「ラブ・アクチュアリー」「ホリディ」など恋愛映画、「ダイ・ハード」のようなアクション映画、「バッドサンタ」のようなコメディ映画もあり、一口にクリスマス映画と言っても、実に幅広い。

 ファミリー向けコメディ「ホーム・アローン」も、定番のひとつだ。今から30年前、1990年に公開されたこの映画は、北米だけで2億8,600万ドル、全世界で4億7,700万ドルという、破格の興行成績を上げた。製作費は1,800万ドルなので、この数字は、たとえ現在だったとしても、大、大成功である。

 主役を演じたマコーレー・カルキンは、この映画でたちまち世界的スターになり、この後も「マイ・ガール」「ホーム・アローン2」「マコーレー・カルキン/くるみ割り人形」「リッチー・リッチ」などに、立て続けに主演していった。「ホーム・アローン」で10万ドルだったギャラは、続編で450万ドルに高騰。1994年に公開された「ゲッティング・イーブン」「リッチー・リッチ」では、それぞれ800万ドルを手にした。

 だが、「リッチー・リッチ」の後、カルキンは突然スクリーンから姿を消してしまう。近年は、げっそりしていかにも体調の悪そうな写真や、死んだという噂が出回ったりして、世間を騒がせてもいる。だが、彼は今も元気だ。前のように派手にではなくても、少しずつ人前にも出ている。私生活も充実しているし、彼を夢中にさせている新たなプロジェクトもある。しかし、そこまでには、実にいろいろなことがあった。

ステージパパの虐待に悩まされた日々

 カルキンは7人きょうだいの3番目。父キット・カルキンは舞台役者で、カルキンも4歳で芸能活動を始めている。家は貧しく、この大家族は、ニューヨークの、寝室がひとつしかないアパートに住んでいた。映画デビューは1988年の「Rocket Gibraltar」(日本未公開)。その次の「Uncle Buck」(日本未公開)でカルキンを監督したジョン・ヒューズは、玄関に誰かが訪れた時にカルキンが郵便受けの隙間を通して家の中から外を覗く映画の中の1シーンに想を得て、「ホーム・アローン」の脚本を書く。クリス・コロンバス監督は、この役のために200人以上の子役をオーディションしたのだが、最終的にはヒューズがイメージしたカルキンがやはり最もふさわしいと判断し、役をオファーした。映画が公開された時、カルキンは10歳である。

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 息子がこの映画で大スターになると、父キットは、勢いのあるうちに儲けようと強欲になり、どんどん映画を入れた。カルキンも最初のうちはそれを受け入れ、楽しんでいたが、1年に1度も学校に行けない状態が続くと、次第に疲れていく。そんな気持ちを伝えても、父が耳を貸してくれることはなかった。それどころか、父は、カルキンに対して日常的に怒鳴ったり、暴力をふるったりしたのである。役者として芽が出なかった父は、自分が達成したかったことをこんな若さで全部達成した息子を見て嫉妬を覚えていたのだと、カルキンは見ている。

 カルキンの父の言動や行動には、業界内でも悪評が高まっていった。ギャラや契約内容の交渉ではとてつもなく一方的で傲慢だったし、何につけてもやりづらく、一緒に仕事をしたくない相手だったのだ。「サタデー・ナイト・ライブ」にカルキンが出演した時は、番組のスタッフに、キューカードを使うなと強引に指示を出している。そんなものがなくてもやれるだろう、俺に恥をかかせるなよと、父はカルキンに言い放った。カルキンだけでなく、共演者にもキューカードの使用を禁止し、全員を混乱させている。カルキンの父のせいで、彼らは全国生放送の番組にキューカード無しで挑むことを強いられたのである。

 そんな悪夢は、「リッチー・リッチ」の後、カルキンの両親が破局したことで終わった。カルキンの両親は結婚をしていなかったので、離婚にはならなかったのだが、まだ未成年の子供たちがいたため、親権と、どちらが子供たちの芸能マネージャーを務め続けるのかをめぐって揉めたのだ。その訴訟は長く、醜いものになり、次の映画どころではなくなった。カルキンをスターにしたコロンバス監督は、当時、「どちらがこの子を育てたいかで争うならわかる。でも、このふたりはどちらがこの子の稼ぎを取り続けるのかで争っている。自分が子供の立場だったら、とても悲しいだろう」とコメントしている(この体験に学んだコロンバス監督は、『ハリー・ポッター』の子役たちを、両親がどんな人かも考慮して選んだという)。

 さんざん働かされてきて、休みたい気持ちでいっぱいだったカルキンは、この騒動にむしろほっとした。業界関係者にしても、もうあの父親とかかわらなくていいのは歓迎だった。カルキンの過去2作は興行的に失敗しているし、彼のスターパワーにも疑問が出始めていた頃でもあった。そうやって、この子役のスーパースターは、突然にしてスクリーンを去ったのである。カルキンはまた、両親を自分の保護者から法的に除名し、プロに自分のお金を管理させるべく、両親を相手に訴訟を起こしてもいる。父とは、その後、1度も会っていない。

新しい事業と、新しい恋

 それからの4、5年、カルキンは人前から姿を消していたが、1998年には、18歳の若さで結婚をし、メディアを騒がせた。お相手の女優レイチェル・マイナーも同年齢で、この結婚は4年で破局している。演技には、2000年、ロンドンの舞台で復帰。映画には2003年の「パーティ★モンスター」で9年ぶりのカムバックを果たした。その後も、「Saved!」(2004、日本未公開)、「Jerusalemski Sindrom」(2004、日本未公開)、「Sex and Breakfast」(2007、日本未公開)、「Changeland」(2019、日本未公開)など、インディーズの小作品にゆっくりとしたペースで出演してきている。

 音楽関連の活動も行ってきた。2011年には、ミュージシャンのアダム・グリーンが監督する「The Wrong Ferrari」(日本未公開)に出演。この映画は、全編をiPhoneで撮影した実験的な作品だ。グリーンとは「Adam Green’s Aladdin」(2016、日本未公開)でも組んでいる。また、カルキンは、一時期、ザ・ピザ・アンダーグラウンドという自分のバンドを組んで、ツアーをしたり、アルバムを出したりした。

 このバンドの解散後は、風刺サイトBunnyEarsを立ち上げている。カルキンの肩書きはCEO兼パブリッシャーで、彼の下では正社員5人、フリーランスライター25人が働く。カルキンはこのサイトが制作するポッドキャストにも積極的に出演している。出社するのは、週に3日。そんな生活が、今は心地良いようだ。たまに映画に出たいと思えばそうできて、そうでない時はポッドキャストを作る。そんな選択肢を持てるだけの適度なフェームが自分にはちょうどいいと思っているという。しかし、来年はテレビドラマ「アメリカン・ホラー・ストーリー」の新シーズンに出演するので、再び注目されることにもなりそうだ。それは、サイトへのビジターや、ポッドキャストのリスナーの増加にもつながるかもしれない。

マコーレー・カルキンとブレンダ・ソング
マコーレー・カルキンとブレンダ・ソング写真:Splash/アフロ

 だが、彼にはそれよりもっと重要なことがあるのだ。現在の恋人ブレンダ・ソングとの間に、子供を望んでいるのである。ソングとの出会いは「Changeland」での共演。付き合い始めの頃、カルキンは、あまりにもすべてがうまく行きすぎて大丈夫なのだろうかと不安も感じたというが、ふたりはすでに家も購入し、犬、猫、鳥、魚などペットに囲まれ、幸せに暮らしている。ソングは32歳で、やはり子役出身。役者仲間としてもカルキンを尊敬するソングは、アメリカ版「Esquire」に対し、カルキンがまた本格的に演技を始めてくれることを望むと語っている。「いろいろなことを乗り越えてきたからこそ、彼は今のような役者になれたのだと思う。彼は多くの悲劇に直面してきた。良いことも、悪いこともあった。この業界の醜い側面も見たし、素敵な側面も見た。だから、彼は、自分がどれをほしくて、どれはほしくないのか、しっかりわかっているの」と、ソングはいう。

 カルキン本人もまたそれを望むのかはわからない。今のままで、十分満ち足りているようでもある。でも、彼は今年8月、40歳になったばかり。人生はまだ半分残っているのだし、新しいキャリアのステージを築くことは十分に可能だ。彼がこれからどんな道を歩んでいくのかは気になるところ。だが、とりあえず今のところは、恋人と一緒に、平和で、微笑みに満ちた、楽しいクリスマスを過ごしてくれることを願いたい。今年だけでなく、来年も、そしてその後もずっと。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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