キムタク「HERO」特番に出演のレーサー伴貴広が、逆境を乗り越え、地元・鈴鹿のレースに挑む!
2015年7月18日(土)にフジテレビで放送された特番『HERO THE TV』に、とあるレーサーが出演した。同番組はSMAPの木村拓哉が主演の映画『劇場版 HERO』(第2弾)の公開に合わせた特番で、番組内では木村拓哉が出演した様々なドラマの役柄に影響を受け、同じ職業を目指した6人の一般男性が出演。それぞれのエピソードが紹介された。
木村拓哉の隣に座っていた茶髪の若者は、鈴鹿市出身のレーシングドライバー、伴貴広(ばん・たかひろ/24歳)。番組では、彼が木村主演のドラマ『エンジン』(フジテレビ/2005年放送)のレーサー役、神崎次郎に憧れて、レーサーを目指し奮闘する姿が紹介されたが、彼はF1ドライバーでもなく、スーパーフォーミュラ、SUPER GTに乗っているわけでもない、まだレース界でも無名といえる存在のレーサー。国内レースで人気のレーシングドライバーを差し置いて、伴貴広が取り上げられたのは、ドラマ『エンジン』で木村が演じた神崎次郎の苦悩と奮闘の日々が重なる部分があったからだという。
2005年、運命の年。
伴貴広は鈴鹿サーキットがある三重県・鈴鹿市の出身。車好きの父が居たが、幼少期の伴はレースや車にさほど憧れを抱かなかったという。そんな伴がレースと出会ったのが2005年。彼が14歳の時である。
2005年4月から6月にかけてフジテレビで放送された月9ドラマ『エンジン』。木村主演で、「全日本F3選手権」の実際のレース映像も使って作られたこのドラマは伴の心を大きく刺激した。
レースに強い関心を抱くようになった伴はその年の「F1日本グランプリ(鈴鹿サーキット)」をテレビで観戦。後方からのスタートを強いられた後のワールドチャンピオン、キミ・ライコネン(当時マクラーレン・メルセデス)が決勝レースで16台抜きを演じ優勝を飾った姿に心を鷲掴みにされてしまう。F1の歴史上でもベストレースの一つと呼ばれるライコネンの優勝劇とドラマ『エンジン』。当時、中学3年生の伴貴広は運命的なキッカケから、レーサーを目指すために行動を起こした。
16歳から階段を駆け上がった!
伴がレースにデビューしたのはその2年後の2007年。レーシングカートのローカルレースに参戦を始める。この時、彼は既に16歳の高校生。現在のF1ドライバーや国内のトップレースで活躍するドライバーのほとんどが10代になる前からレーシングカートを始めていることを考えれば、かなり遅咲きのデビューだった。
18歳で運転免許を取得すると地元のレーシングガレージ「レプリスポーツ」から、4輪のフォーミュラカーレース「スーパーFJ(1500cc)」にデビュー。本格的に鈴鹿サーキットを走り始める。そして、2011年に同レースでシリーズランキング2位となり、翌年からさらに上の「F4(フォーミュラ4)」にステップアップ。遅咲きのスタートながらも、順調に階段を登っているかに見えた。
しかし、「F4」に参戦して2年目の2013年に伴はレースで大いに低迷する。
伴:「2013年は全く噛み合わない1年でした。マシンのセッティングを変えてもダメで八方塞がりでした。優勝できる確信もないから、ワクワク感が全然持てず、正直、サーキットに行くのも辛くなるくらいでした」
ピンと張り詰めた糸が急に緩んだかのようにレースに対するモチベーションが著しく低下。そして、成績も残らない悪循環。翌2014年、伴はついに資金も尽き果て、初めての挫折を味わうことになる。
レース休止からの大逆転
伴が参戦してきた「スーパーFJ」や「F4」といったフォーミュラカーレースは簡単に言ってしまえば、ギャラをもらって走るプロのレースではない。基本的には自己資金でレースに出場するのが通常で、ドライバーたちはスタートラインに立つためにスポンサー交渉を行ったり、既に存在するマシンをレンタルして1戦1戦足りない資金を何とか捻出してレースに参戦するのが当たり前だ。
しかし、4輪レースともなると年間数百万円から数千万円の資金が必要になる。成績が残らず、うつむきがちな若者に巨額スポンサーが付くはずもなく、2014年はカーショップで働き、サーキット走行の手伝いをする日々が続いた。
そんな伴にチャンスが訪れたのは冬のこと。先輩レーサーの吉田広樹(SUPER GT参戦)についてサーキットを訪れたことがきっかけで、冬の「F4日本一決定戦」(ツインリンクもてぎ)で空いているマシンを貸してくれるオーナーに出会う。2014年の伴は「F4」で全くレースをしていなかったが、1戦限りの日本一決定戦へのスポット出場が決定。なんと、そのレースで伴は優勝し、2014年「F4日本一」のドライバーとなる。
伴:「1年ぶりのレースなので、勝てる自信はありませんでした。何もかもがぶっつけ本番。直前の練習ではマシントラブルもあって、あまり走れずで。でも、その時、久しぶりにレースに出場するワクワク感が芽生えたんです。(トップのマシンのリタイアに助けられて)ラッキーもありましたけど、あのレースに出られて本当に良かったし、(レースの世界に)戻ってこられたという嬉しさがありました」
資金不足でレースができない苦しさ、自暴自棄になってしまう状況はドラマ『エンジン』のレーサー、神崎次郎の境遇とどこか似ている。だが、そんなレーサーに救いの手を差し伸べる人は必ず現れるもので、伴はそれを「F4日本一決定戦・優勝」という結果でお返し、その境遇がドラマと重なる部分もあって、『HERO』特番への出演へとつながった。ドラマとの出会いは、まさに彼の運命だ。
脱・草食系!地元、鈴鹿のレースへ
伴は今シーズン、新たに始まったフォーミュラカーレース「FIA-F4」シリーズに参戦する。同シリーズはSUPER GTの前座レースとして全国のサーキットを転戦するシリーズで、出場台数は35台を超える人気レースになっている。
昨年まで参戦した国内規定の「F4」と名前が同じF4だが、マシンのスピードは格下になるレース。しかし、話題のシリーズであり、SUPER GTの数万人の観客の前でレースができるとあって、若手レーサーにとって非常にプライオリティが高い。
そんなシリーズに伴は開幕戦(岡山国際サーキット)に出場。しかし、これは1戦かぎりの出場で、資金不足の伴にそれ以降のレース出場のチャンスはなかった。第2戦(富士スピードウェイ)の現場には営業に出かけたが、そこで声をかけてくれたチームがあった。滋賀県・甲賀市のレースガレージ「サクシードスポーツ」である。
同ガレージはシーズン途中から2台目のマシンを投入することになり、そのドライバーオーディションに伴は呼ばれたのだ。チームは「どうしてもレースに出たい、勝ちたいという気持ちが走りに表れていたのと、過去の走りからまだまだ伸びるドライバーだと思ったから」と評価し、資金不足を承知の上で第3戦(富士スピードウェイ)から伴の起用を決めた。
伴:「富士のレースはうまくいきませんでした。第1レースが26位で、第2レースが20位。レースでは自分の中で限界を決め込んでしまってトライをあまりしていない所があった。チームからは徹底的に指導してもらっています。(FIA-F4は)全員が同じマシンを使うレースなので、ドライバーがトライして頑張るしかない。今、速く走るための的確なアドバイスも頂けるし、良い環境を与えてもらっています」
そんな伴の次のレースは鈴鹿サーキット(SUPER GT 鈴鹿1000kmレース前座)。伴にとって走り慣れたコースだが、この先も参戦できるかは、ここでの結果次第だという。
伴:「鈴鹿は走り込んでいるコースなので、知識がある分、自分で限界を決めてしまっている部分があると思います。でも、それを修正して、レースでトライをして、鈴鹿では一皮剥けた走りをしたいです」
久しぶりに会った伴貴広の目は活き活きとしていた。番組の中では茶髪で短パンのチャラい感じに映った伴だが、実際の彼はレーサーの中でも飛び抜けて「草食系」な今時の若者。自己主張も強くなく、口数は少ない。テレビの全国放送に出演してもおごることなく、ひたすら真面目な若者だ。しかし、何年か前の元気がなかった弱い目つきとは明らかに違った伴貴広がそこに居た。彼の中で何かが変わり始めた。「ブレーキング勝負での勝負強さに自信がある」と語る伴貴広。なんだかその言葉に少し説得力が出てきた気がする目つきの変わりようだった。
ドラマとの出会い、目の覚めるようなレースとの出会い、レースの中での挫折、一度きりしかないチャンスをモノにした強さ、そしてあの木村拓哉の横に座って「レーサー」として紹介されたこと。全てはきっと運命で繋がっていた。そして、彼はプロのレーサーになるために、その一つ一つを今、まさに動かしているのだと感じる。さらに動かすことができたなら、キムタク演じた神崎次郎が走った「F3」レースへのステップアップも夢ではないだろう。
伴の地元・鈴鹿でのレースは8月29日(土)、30日(日)に開催される。
【伴貴広】
1991年 鈴鹿市出身、24歳。2007年にレーシングカートレースにデビュー。2009年から「スーパーFJ」でフォーミュラカーレースに参戦。2014年、F4日本一決定戦で優勝。今後の目標は「F3へのステップアップ」