「もし、親父と話せるなら…」。父・唐十郎さんを失い、大鶴義丹が抱く後悔。そして、父親の超え方とは
俳優、作家、映画監督、タレントとあらゆる顔を持つ大鶴義丹さん(56)。5月4日に父である演出家・唐十郎さんが逝去しましたが、一つの後悔が今になってこみ上げているといいます。「もし、親父と話せるなら…」と吐露する思い。そして、模索する父の超え方とは。
親父ならではの“演出”
先月、親父が亡くなりました。僕が本当にバタバタの時期で、舞台をやりながら、さらに別の仕事も重なってたんです。そこでのことだったんで、ただただ大変でもあったんですけど、それも親父ならではの“演出”だったのかなとも思います。
こっちが芝居で大忙しの時に死ぬってのも、親父なりの教えというか、そういう時にどう動くのか。どう考えるのか。そこを見せてくれた気もするんですよね。ただ、本当にバタバタになっちゃったんで、友人に葬儀屋さんがいてくれたことだけは助かりました(笑)。
親父がいなくなり、今になって感じることも出てきています。親父がよく言っていたのが「とにかく演劇に携わって、三度の飯のように演劇ができていたらいい」ということだったんです。
正直、僕はそこまでは難しいなと思っていたんですけど、これがね、不思議なもので、結局、今年は舞台を10作品入れてるんです。新型コロナ禍前は年2本くらいでも十二分という感じだったんですけど、去年が6本。6本でもすさまじいペースだと思っていたのが、今年はそれを超えて過去最多の本数になっています。
必然的に、生活のほぼ全てが芝居になっていて、期せずして親父が言っていた「三度の飯のように」ということを自分もやっているのかとハッとしました。
もちろん舞台の仕事なので、かなり前からお話をいただいてたんですけど、親父が亡くなった年にそんな生活を自分が送っているというのもめぐりあわせなのかなと思いますし、親父に導かれたんですかね。昔から親父が言っていた言葉が自分のどこかに実はあって、そこを意識していたのか。どちらにしても、いろいろと考える流れではあるなと感じています。
今こみ上げる後悔
あとね、もし今、親父としゃべれるなら「一回、親父と芝居をしておいたらよかったかな」と話すかな…。うん、そう思います。
30代の時にそういう話もあったんです。あったんですけど、僕もつっぱってましたしね。自分は自分の世界を作る。その思いがあったんです。親父が作った世界に自分が入るというのは、甘えている。親父の劇団に尻尾巻いて入る。そんな感覚があったんですよね。
勝ち負けではないんだけど、自分には自分のスタイルがある。親父はすごいんだろうけど、そこに入っていくのはなぁと。
ま、親がやっている中華料理のお店を息子が継ぐというのも普通にある話だし、ちょっとくらい厨房に立つことがあっても良かったんでしょうけどね(笑)。僕は劇団の子ですし。ただ、そこができなかったんですよね。また、できなかったからこそ生まれるものもあったのかもしれないし、これは難しいですけどね。
父親の超え方
親父が現役を退いてから親父がやっていた状況劇場から分派した「新宿梁山泊」という劇団に10年ほど関わらせてもらって、その中で親父がやっていたこと、やりたかったこと、それを改めて確認できたのかなとも思っています。
親父がやっていたもの、やりたかったこと。ここを伝えていきたいなとは思います。そこが意外と伝わってないという思いもありますし。それをやっていくことが口幅ったいですけど、一つの親孝行にもなるのかなと。
でも、そこが本当に難しくもあって「ビートルズ」の楽譜を完全コピーしても「ビートルズ」にはならない。あれはあの4人という特別な存在があって成立するものなんだろうなと。
親父の戯曲というのもなかなか難しくて、精巧なレプリカを作っても仕方ないんですよね。いつまでもコピーバンドのままというか。子どもの頃から見てきたので、どんなことをやってきたかは知ってるつもりなんですけど、それをそのままでは意味がない。今の時代にも存在感があって器用な役者さんはたくさんいるんですけど、同じことをやっても“追いかけっこ”で終わってしまう。
親父のやっていたことを伝える。やりたかったことを伝える。それはあるんだけど、そこに縛られない。親父も死にましたしね。違う何かを提示していくのが道なのかなとも思っています。
ただ、もう気づけば還暦という節目も見えてきて、バリバリできるのもあと12~13年だとも思うんです。だからこそ、やることを取捨選択することも求められるし、本当に思いを持ってやれる仕事を見極める。その大切さも痛感しています。
昔はね、気の合わない人でも気持ちを戦わせて「そこで何かが生まれるんじゃないか」とも思ってたんですけど、もう、そんなに時間もないですから(笑)。協力関係を結べる人と良いものを作っていくほうがいいのかなと考えています。
その結果、今年は舞台を10本やっていて疲れはするんですけど、これはね、ありがたいことに、僕、ものすごく寝るんですよ。本当に、すぐ寝ちゃう(笑)。
これも授かった一つの才能かもしれませんし、実際それでリセットできてますしね。なんとか走れるところまで走り続けたいと思っています。
(撮影・中西正男)
■大鶴義丹(おおつる・ぎたん)
1968年4月24日生まれ。東京都出身。日本大学芸術学部中退。ケイダッシュ所属。父は劇作家、芥川賞作家の唐十郎。母は女優・李麗仙。中学時代から映像の世界に足を踏み入れ、日本大学在学中に映画「首都高速トライアル」で本格的に俳優デビュー。90年に「スプラッシュ」で第14回すばる文学賞を受賞し、小説家デビューも果たす。主な小説に「湾岸馬賊」「女優」など。95年には映画「となりのボブ・マーリィ」で監督デビュー。94年に歌手・女優のマルシアと結婚。長女が誕生するが、2004年に離婚。YouTubeチャンネル「大鶴義丹の他力本願」も展開中。舞台「帰って来た蛍~永遠の言ノ葉~」(東京・俳優座劇場、7月7日まで)に出演中。初の大衆演劇の舞台となる「松井誠PRODUCE公演Vol2」(東京・浅草公会堂、7月19日~22日)にも出演する。