【中世こぼれ話】文書の偽造は流罪だった。鎌倉幕府が制定した『御成敗式目』の恐るべき規定
今でも文書の偽造があとを絶たない。書類を改ざんし、残業代の水増しをする事件も起こった。鎌倉幕府が制定した『御成敗式目』には、文書の偽造は流罪という規定がある。その背景について考えてみよう。
■文書の偽造は流罪だった
鎌倉時代になると法整備が進められ、貞永元年(1232)に北条泰時が『御成敗式目(貞永式目)』を制定した。『御成敗式目』は日本で最初の武家法であり、当初の51ヵ条に加え、必要に応じて追加法も制定された。
当時、私罪について重罪だったのが流罪である。『御成敗式目』第15条には、謀書(文書の偽造)に関する規定がなされている。
裁判の証拠書類を提出するとき、謀書(偽造文書)を提出することが少なからずあった。もちろん、判決を有利にするためである。
検証の結果、提出書類が謀書であると判明した場合、謀書を提出した侍は所領を没収された。所領がなければどうなったのか。
もし所領がない場合は、遠流となった。流罪である。ちなみに凡下(ぼんげ:一般庶民)は顔面に焼印を押され、謀書の執筆者は同じ罪に問われた。
裁判は公平に行われるべきであるが、偽造した文書を証拠書類として提出し、勝訴に持ち込もうとする者があった。そうしたことが許されるわけもなく、没収する所領がない場合は、重犯として厳罰である流罪を科したのである。
■浮気も流罪
文書の偽造以外でも、浮気は流罪となった。
『御成敗式目』第34条によると、男と他人の妻との密懐(びっかい:不貞行為)についての規定がある。
他人の妻との密懐は双方合意のうえでの和姦であったとしても、相手の男は所領の半分が取り上げられ、出仕を停止された。財産がない場合は遠流になったのである。
密懐した女の所領も、相手の男と同様に半分が没収され、所領がない場合は流罪になると規定されている。
つまり、出仕を停止されるという点を除けば、男女とも同罪であったといえる。当時、不貞行為は、重罪であったと認識されていたことの証であろう。
■他人の所領を奪っても流罪
他人の所領を奪っても流罪となった。
さらに『御成敗式目』第43条には、当知行(現実に支配していること)と称して他人の所領を掠め取り、そこから得られる年貢等の収益を奪ったケースの規定がある。
この場合は、当然ながら押領物(年貢等の収益)をただちに返還することが求められた。もちろん、それだけではすまなかった。
加えて、他人の所領を掠め取った者は、本来自身が保持する所領が没収された。もし財産がなければ、流罪に処せられたのはこれまでの例と同じである。
以上、ここに掲出した例は、ともに他人を欺く行為であり、頻発していたと考えられる。それを未然に防止するため、あえて流罪を含めた厳罰の適用を条文に謳ったと推測される。当時の流罪は、死罪に次ぐ重罪だった。