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戦後の皇室とイギリス王室 ゆるぎない絆の立役者はプリンセスたちだった

つげのり子放送作家、ノンフィクション作家(テーマ:皇室)
上皇ご夫妻と天皇皇后両陛下、秋篠宮ご夫妻(写真:ロイター/アフロ)

5月6日、イギリス・ロンドンのウェストミンスター寺院で行われる、チャールズ国王の戴冠式に皇室からどなたが出席されるのかが注目されていたが、秋篠宮ご夫妻が出席されることで調整していると報じられた。

去年9月のエリザベス女王の葬儀には、天皇皇后両陛下が出席された。戴冠式に皇位継承順位1位の秋篠宮さまが出席されれば、イギリス王室との厚誼も一層深まることだろう。

皇室とイギリス王室の親しい関係は、明治以来100年以上にわたって続いているが、第二次世界大戦に伴って敵味方に別れてしまったがゆえに、戦後はぎくしゃくとした関係に陥ってしまった。

そんな両国を再び親密に結び付けたのは、ロイヤルファミリーの女性、つまりプリンセスたちだったことをご存じだろうか。

◆戦後初めて来日したイギリス王族は、アレクサンドラ王女

戦後、交流が途絶えた皇室とイギリス王室の関係が再開する端緒となったのは、1953年、当時皇太子だった上皇さまが昭和天皇の名代として、エリザベス女王の戴冠式に出席されたことだった。

しかし、当時は終戦からまだ8年しか経っておらず、イギリス国内には敵国だった日本に対する厳しい国民感情が残っていたが、長きにわたる日英の交流を顧みた女王は、日本の皇太子を受け入れたのである。

その証拠に、女王は将来の天皇となる若き皇太子と、バッキンガム宮殿で親しく懇談し、競馬を共に観戦した。

一説には、その時の皇太子の考えの中に、平和を希求する思いを確かめたかったとも言われているが、その点に関しては全く問題はなかったはずだ。

その後、1961年にエリザベス女王の従妹であるアレクサンドラ王女が、戦後初めてイギリス王族として来日。エリザベス女王からの親書を携えての、公式の訪問であった。

この時、接待役を務めたのは、昭和天皇の弟である秩父宮雍仁(ちちぶのみや やすひと)さまの妃・勢津子さまだった。

秩父宮勢津子さまの著書『銀のボンボニエール』によると、アレクサンドラ王女は日本文化に関心があり、歌舞伎をご一緒に観劇し、着物や草履などに興味津々の様子だったという。

2022年、ウェストミンスター寺院でクリスマスコンサート 中央がアレクサンドラ王女
2022年、ウェストミンスター寺院でクリスマスコンサート 中央がアレクサンドラ王女写真:代表撮影/ロイター/アフロ

◆プリンセスたちが繋いだ、日本とイギリスの絆

アレクサンドラ王女は、エリザベス女王からの信頼が厚く、国内外での公務や活動をサポートする存在だった。

帰国後、日本の素晴らしさと皇室の方々から受けた温かなおもてなしを、エリザベス女王に報告したのは言うまでもないが、同時に“もはや戦時中の日本ではない”という変化も詳細に伝えられた。

アレクサンドラ王女から日本の現状を聞いたエリザベス女王は、「イギリスと日本は、再び仲の良い関係を築ける」と確信したのだろう。

翌年(1962年)には、返礼として秩父宮勢津子さまがイギリスを訪れ、イギリス王室の人びとと交流されたのである。こうしたプリンセスたちの訪問によって、両国の関係は雪解けの時代を迎えてゆく。

1964年、日本が世界に羽ばたく歴史的な大イベント、東京オリンピックを経て、1971年には昭和天皇皇后両陛下がイギリスを訪問され、4年後の1975年には、エリザベス女王がフィリップ殿下とともに初めて日本を訪れることに繋がっていく。

以来、慎重に進められた日英の関係修復の交流によって、今ではかつてないほど親密に交流されている。

天皇陛下もまた、1983年から約2年間、イギリスで留学され、エリザベス女王をはじめイギリス王室の人びとと家族の一員ように接してもらったという。

今から70年前に行われたエリザベス女王の戴冠式から始まった、戦後の日英のゆるぎない絆は、チャールズ国王の戴冠式によって、両国のさらなる明るい未来につながっていくはずだ。

放送作家、ノンフィクション作家(テーマ:皇室)

2001年の愛子内親王ご誕生以来、皇室番組に携わり、現在テレビ東京・BSテレ東で放送中の「皇室の窓」で構成を担当。皇室研究をライフワークとしている。日本放送作家協会、日本脚本家連盟、日本メディア学会会員。著書に『天皇家250年の血脈』(KADOKAWA)、『素顔の美智子さま』『素顔の雅子さま』『佳子さまの素顔』(河出書房新社)、『女帝のいた時代』(自由国民社)、構成に『天皇陛下のプロポーズ』(小学館、著者・織田和雄)がある。

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