【東京都中央区】この女性は誰でしょう?分かったあなたは、歴史通です!中央区トリビアその4
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この像の女性は、竜宮城の乙姫さまです。建っているのは、江戸の中心地日本橋の北詰です。なぜ、ここに乙姫さまの像があるのでしょうか?それは、江戸時代にここに魚市場があったことに関連しています。
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現在は、江東区豊洲にある「東京都中央卸売市場」。その起源は江戸時代にさかのぼります。江戸時代に、漁師たちが幕府に納める魚類の残りを一般に販売する権利を与えたのが、魚河岸の始まりです。日本橋北詰から荒布(あらめ)橋までの河岸に開設された魚市場を、魚を売る河岸なので「魚河岸」と呼んだそうです。今の河岸は、人が通るのがギリギリの狭さで、ここに店や船が並んでいたとは信じられないですね。
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関東大震災により、多くの魚屋が崩壊したため、1935年築地市場へ移転するまでの約300年もの長い間、魚市場は日本橋にありました。「河の岸で魚を売っていた」ことから、「魚河岸(うおがし)」という言葉はここから生まれました。
芥川龍之介や太宰治の小説の中にも「魚河岸」や「魚河岸界隈」という言葉はしばしば登場しますが、それは「日本橋」付近を指しています。その後、「魚河岸」という言葉は、築地市場または全国の魚市場を指す言葉にもなりました。
現在、日本橋北詰には「日本橋魚市場発祥之地」の石碑が建っています。隣に立つのは、魚にちなんで竜宮城の乙姫さまをイメージした像です。
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ちなみに、乙姫さまの像の左手にある階段を上がると、ちょっとした休憩スペースがあります。人目につかず、ゆっくりとできる場所。ここから、日本橋を眺めていると、今も昔も人と物が行き交う街であることを感じます。
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【日本橋魚市場発祥之地】
住所:東京都中央区日本橋室町1-8