経営は賭けだからガバナンスが大事なのだ
日本の企業経営においても、ガバナンスが重要な論点として浮上してきて、様々な制度上の改革がなされてきましたが、立派な箱は整っても、中身は空疎である感を拭えません。では、実効性のあるガバナンスのためには、何が必要なのか。
ガバナンスの要諦
企業経営にとって、最適な経営者の選任は、決定的に重要なことでありながら、論理的な矛盾を内包する難しいことです。なぜなら、適任者には高度な専門的な知識と深く広い経験が求められるわけですが、その要件の充足が証明されているためには、現経営者のもとで、社内において実績をあげてきた人を候補者にするほかなく、そのような人には、現経営者を乗り越えるような変革は断行し得ないからです。
故に、企業経営におけるガバナンスと呼ばれる問題群の要諦は、この経営者の選任という難問に収斂していて、実際に、指名委員会の設置など、制度的な工夫がなされています。しかし、長く現場において仕事を共にした人でない限り、候補者の真の資質を知り得ず、逆に、そのような人による候補者の評価は偏向を帯びたものになるという矛盾については、形式上の工夫だけでは本質的な解決策を得ることはできません。
ヘッドハンティングの意義
ヘッドハンティングという俗称は、より適切には、エグゼクティブサーチ(executive search)とされるべきですし、真に優れたエグゼクティブサーチの会社は、自分自身のことを経営コンサルタントと表現するはずです。実際、エグゼクティブサーチの本質は、ヘッドハンティングという俗称が与える印象とは根本的に異なったものなのであって、実は、ガバナンス問題への対応なのです。
つまり、経営者を含む主要な幹部職の選任において、候補者として、内部で実績をあげていて社内で高い評価を得ている人が優先されることについては、日本の事情が特殊であるはずもなく、どの国でも常識であり、極めて自然なことですが、ガバナンスの問題への取り組みを深化させていけば、エグゼクティブサーチを利用して、別の候補者を広く社外でサーチする、即ち探索する過程が付加されるはずだということです。
この選考過程においては、エグゼクティブサーチのコンサルタントは、企業から伝えられた候補者が備えているべき知識や経験等の要件をもとにして、実際に内部候補者と面談したうえで、更に、同業他社等の同等な要件を備える人材を探し、数人の候補者を挙げ、企業は、それらの人に面談して、一人の外部候補者を選ぶわけです。
次に、企業において、内部候補者と外部候補者との比較検討がなされ、どちらかが選任されますが、常識的に考えて、内部候補者になる確率のほうが高いはずです。なお、いうまでもなく、企業における最終的な決定権者は、通常の幹部職の場合は経営者ですが、経営者自身を選任するときは取締役会です。
決め方の手続きとしてのガバナンス
エグゼクティブサーチは、外部人材を探すことだと広く誤解されていますが、その本質は、幹部職層の選任の適正化を図るための手続きであって、多くの場合、企業が内定した内部候補者について、外部候補者との比較検証を経ることで、偏向した判断を回避すると同時に、選考の正しさへの確信を深めるための手続きです。なお、もちろんのこと、内部候補者よりも優れた候補者が外部に見つかれば、そちらを選任すればいいのです。
そして、ガバナンス問題への取り組みが深化していけば、幹部職の選任に限らず、経営の全ての領域において、エグゼクティブサーチのような外部のコンサルティング機能が必然的に利用されるはずです。つまり、重要な判断については、経営執行部においてなされるのは当然だとしても、最終的な意思決定をする前に、外部の専門家の意見をいれて客観的妥当性を確保したうえで、更に取締役会の承認を得るという手続きがとられるべきなのです。
玄人が素人の意見を聞く意味
どのような企業にも、その企業固有の何らかの特異性があり、それが競争力になっているはずですが、その特異性からの付加価値の創出過程の構造について、価値創造を実践している経営執行部は経験知として完全に把握していても、外部のコンサルタントや社外取締役は表層的な理解しかもち得ません。つまり、事業の固有性について、経営者は玄人ですが、外部のコンサルタントや社外取締役は素人なのです。
しかし、外部のコンサルタントは単なる素人ではなく、当該企業の属する業種全体の動向、同業他社の戦略、人事や財務等の経営技術などについて高度な知見を有する専門家であって、そうした専門性については経営者を凌駕しています。また、社外取締役も単なる素人ではなく、適正に選任されている限り、当該企業とは異なる業種において経営執行の経験を有しているか、特定領域における高度な専門性をもつ人です。
経営者は、自分の事業については極めて深い知見を有するにしても、その知見は深いが故に狭く、狭いが故に偏りを免れません。そして、経営の失敗は、多くの場合、その偏りに起因するのですから、外部の広い知見をもつ人の意見を聴取することは常に有益なのであって、そこにガバナンスの意義があるのです。
賭けの自覚
この偏りは、一方で、差別優位の源泉ですが、他方では、躓きの石でもあります。外部の専門家の意見に基づいて判断することは、それに従、偏りを是正することではなく、偏りを自覚することです。偏りを自覚し、意図的に偏るからこそ、差別優位になるのであって、無自覚に偏るときには、不遜と独善により、失敗するのです。
経営者は企業の最高意思決定者ですから、後任の経営者の選任を含め、自分で判断し、自分で決定するのです。しかも、論理的な推論で決まることについて、経営者の決断は必要ではありませんから、経営者の仕事は、論理的に決められないことについて、決断すること、即ち、賭けることです。実際、企業の差別優位が論理的に説明できるのならば、他社にも模倣できるわけで、差別優位が偏りであるという意味は、そこに論理的に説明できない賭けの要素があるということです。
しかし、賭けは、無自覚になされるからこそ、無思慮で無分別な冒険になるのであって、自覚的になされる限り、危険に対する万全の備えがなされているのですから、立派な経営になるのです。故に、ガバナンスとは、賭けを否定するものではあり得ず、単に賭けの自覚を与えるだけのものです。
そして、ガバナンスが真に優れた意味での批判なら、社外取締役やコンサルタントは、意図的に巧みに反対意見を述べることをもって、経営者の反論を促し、経営者は、反論することを通じて、賭けの意図を深く自省して自信を強めることができ、危険への備えの不十分な点に気づいて適切な対応ができて、賭けの成功確率を高めることができます。こうして、ガバナンスは、経営者に、勇気をもって賭けることではなく、確信をもって賭けることを促すのです。
権限移譲とリスク管理
経営者は、事業執行部のなかでは決められないことについて、決断するという固有の責務に特化すべきであって、事業執行部のなかで論理的に決まることについては、全て現場の責任者に権限移譲すべきです。そのとき、経営者と現場責任者との関係は、社外取締役と経営者との関係と同じになるはずであって、経営者は、現場から距離をおくものとして、真に優れた批判者として、機能しなければなりません。
しかし、この経営者の機能は、ガバナンスでなく、リスク管理と呼ぶほうが適切です。即ち、経営者の機能は、現場に対して、事業における意図的な賭け、即ちリスクテイクの自覚をもたせ、同時に、リスクテイクに付随する諸リスクへの万全の備え、即ち、リスク管理の徹底を促すものだからです。
日本の経営者の問題
そもそも、ガバナンスは、事業執行から経営固有の機能が分離されていることを前提にしていますが、日本の企業経営者は、ほぼ全て事業執行責任者の延長であって、そこに断絶の意識がなく、事業執行部との間に適切な距離を保てないのです。
経営者は、現場との距離を保とうとするとき、必然的に社外取締役や外部の専門家を上手に使うことになり、自分の事業を相対化して冷静に再評価できるようになって、真の改革へと動機付けられますが、この覚醒こそ、ガバナンスの目的です。