私の研究領域はコンピュータグラフィックスやユーザインタフェースと呼ばれる分野。学部でいうと、理学部や工学部の領域です。医学や生物、物理など、それぞれの分野で流儀や常識は異なりますが、私の経験をもとに「論文」について、簡単に解説してみたいと思います。

論文に大事なのは新規性

研究してきた成果がある程度形になると見えてきたとき、書き始めることが多い「論文」。新規性はあるか、どのような手順で問題を解くのか、実験の結果、既存研究との結果の比較、既存研究と自分の研究の位置づけ、今後の課題、などを、文章や図、表やグラフなどを使いながら、およそ10ページ前後の文章にして、投稿します。

中でも、一番大事なのが「新規性」。

新規性のために、研究者は血が滲むような努力をしています。たとえ、どんなに完璧な論文ができあがっても、1日早くどこかで同じアイデアの論文が発表されたら、自分のやってきた論文は世の中に出せなくなってしまう厳しい世界です。

『研究になりそうな題材を思いつき、先行研究を調べてみると、まだ誰もやっていないことが判明。これはキターーー!!と思い、必死で研究を進めて実験に成功する。そして、それをまとめて論文に書こうと思った段階で、関連研究を調べていると、数週間前にあった学会で発表されていたことに気づく。撃沈。』

よく聞くのはそんなケース。そうなると、どんなにソフトウェアがしっかりできていようが、どんなにしっかり論文を作文してあろうが、新規性がなくなってしまうため、論文としての価値はゼロ。その研究に費やした時間や労力は水の泡となってしまうわけです。

そこで、研究者は思いついたら誰よりも早く成果を出すために研究に没頭します。

それではどうやって、論文の採択が決まるのでしょうか?

査読とは

論文は、「査読」されます。これは、1本の論文に対して、査読者(Reviewer)が複数人つき、論文を読んで審査することです。少ないときは2人のこともありますし、多いときは5,6人のときもあります。査読者がそれぞれ論文を読み、新規性があるか、有用性があるか、実験結果が正しいか、アルゴリズムが間違えていないか、評価が正しく行われているか、関連研究の中で位置づけがきちんと書かれているか、などなど、多くの評価軸の元、評価を下します。

そして、メタレビューワーと呼ばれる責任者を中心として査読者同士で議論をしたりしながら、論文の採択、不採択を決定します。査読者間で意見が割れるときには、さらに査読者を追加して査読することもあります。

査読の匿名性

論文の査読にはブラインドレビューという制度を取り入れています。査読者は論文の著者を知ることができるが、論文の著者は査読者を知ることができないのが「シングル・ブラインドレビュー」、査読者も論文の著者も双方を知ることができない匿名性が保たれた状態が「ダブル・ブラインドレビュー」です。どちらが採用されているかは論文誌や学会によって異なります。

匿名にしているのは、著者が偉い先生だと読み手はつい「いい論文だ」と思い込んでしまいがち。そんな査読者の先入観をなくすために、匿名性が取り入れられています。しかし、実際には、匿名にしたことで「偉い先生なんだから、こんな論文じゃなくて、もっと書けるだろう」という先入観がなくなり、匿名にしたほうが偉い先生が通った、といった説も聞いたことがあります。

査読に絶対的な基準があるわけではない

「査読」「審査」というと、それが絶対のように聞こえますが、もちろん査読者のあたりはずれもあるのが現状です。例えば、同じ論文でも2度目の投稿をすると違う査読者に当たって、今度は採択となることもあるのです。なので、一度論文が落ちたくらいではへこたれずに、査読者に指摘された部分を再検討・再実験して、同じ学会や論文誌へ投稿することもあります。

また、大きな学会には「リバッタル」と呼ばれる、「査読結果に著者が反論する機会」が設けられており、査読者の指摘が間違っている場合には、その根拠と正しい回答を著者側が述べることができます。(これも匿名性は保たれたまま、行われます。)

論文誌も学会もそうですが、何度も査読をされ、何度も修正して、再投稿を繰り返すこともあります。3,4回も直して数年越しでようやく通った、というのもよく聞きます。そうなると、採択された論文には著者のアイデアだけでなく、査読者のコメントやアイデアもたくさん詰まったものになるでしょう。今までの研究もあってこその研究。そう考えると、論文は著者だけのものというよりは、コミュニティで書くものといっても過言ではないかもしれません。

利害関係のある人は査読しない

コンフリクト(Conflict)といって、利害関係のある人は査読できない仕組みになっています。現在の共同研究者はもちろん、過去の共同研究者や指導教官もコンフリクト。同一組織(同じ大学や同じ会社)もコンフリクトとすることが多いです。夫婦や親兄弟もコンフリクトです。

しかし、世界は狭いもの。これまで共同研究をしたことがない研究者が「日本に来たから研究室に遊びに行かせてくれ」と連絡をしてくれ、自分の研究室に来て、研究紹介をしてくれた、そんなとき。今まさに自分の手元で査読中の論文の著者だった!と発覚するケースもあるわけです。そんなときでも、「匿名性」という観点から、何事もなかったかのように知らんふりをして、適切なコメントをし、査読も適切に行わなければなりません。査読者の気は休まりませんね。

ちなみに、査読は基本的に無償のボランティア。大学の業務や自身の研究の合間、企業の研究者も会社での仕事をこなしながら、決められた期限内に査読をしています。忙しい人は年間何十本も査読をしています。手元に常に査読論文がある状態です。

論文だけで判断するのは困難

論文の文章を読んで判断するには限界があるのも現状です。追実験をするわけではないため、論文上の数式に誤りがないか、考え方やアルゴリズムに抜けがないか、などは見抜けても、本当に正しいかどうかまでは確かめられません。

我々の分野では、論文投稿時に、ビデオ投稿もするのが必須になっています。査読者はデモビデオを見て、システムが動いている様子や、ユーザテストで有用性が確かめられているか、などいくつかの観点から確認します。

また、最近では、きちんとシステムが動いているよ、ということを示すために、論文と同時にデモプログラムも投稿するようになってきました。

こんな査読を経て、論文は採択されて世の中に出ます。しかし、世の中に出て「めでたしめでたし」ではありません。その論文が発表された後、どれだけの論文が自分の論文を引用してくれるかの「引用回数」がその論文の重要度を決める一つの指標になっています。分野の先駆けになる論文だと引用回数は自然と多くなり、その分野で有名な論文となります。そのため、たくさん引用されるような論文を書こうと研究者は必死なのです。

十回くらい引用されて一人前、数百回あると大学教授レベルになります。世界的に有名な研究者では一万回を超えることもあります。ドラゴンボールの戦闘力みたいなものですね。コンピュータサイエンス分野の研究者の戦闘力はMicrosoft Academic Searchや、Arnetminerなどで名前を検索すれば調べることができます。ただし、機械的に集めているため、エラーや混同もよくあるため、必ずしも実態を表しているわけではありません。また、数学などの分野では本当に革新的な研究は独創的すぎて引用されにくいという話も聞いたことがあり、数が多ければいいというわけではないとの批判ももちろんあるのです。