Yahoo!ニュース

引退した鄭大世にソウルで聞いた 「日本サッカー界に伝えたい3つのこと」

筆者撮影

鄭大世という人物をずっと眺めてきた。

先日の引退時に「17年のプロキャリア」と本人が口にしていたから、ほぼそれくらいの時間だ。

2006年のプロデビュー前、在日のサッカー関係者から「あの海坊主みたいなやつ、見といてください」と言われたことがある。確かに妖怪感はハンバなかった。

代表チームでは、08年の東アジアカップ@重慶での活躍を目にした。日本代表相手の先制ゴールを含む大会通算2ゴールで得点王となった。現地の中国人観客たちが彼の活躍により、どんどん北朝鮮代表びいきになっていく様子を体感した。

ヨーロッパ時代にも現地で会ったことがある。2012年8月、ボーフム在籍時のことだ。日本代表選手たちと盛んな交流を持っていた。ノルトライン・ヴェストファーレン州には欧州最大の日本人街のあるドュッセルドルフがあり、またオランダからも近い。選手同士で食事をしたり、よく電話をしたりといった交流があったようだ。大世からも「吉田麻也、内田篤人、槙野智章、安田理大…」といった名前が出てくる。槙野智章などは大世を「てっちゃん」と呼び、「もう、てっちゃんのドイツ語の熱心な勉強ぶりは半端ないっすから」と言っていた。

時を経て、2022年11月。

引退を機にしたインタビューの場はソウルとなった。ちょっと一緒に街も歩いてみたが、Kリーグ時代の活躍と、テレビ出演などの影響からその人気は凄かった。デパートではサインを求められ、街では明らかに若い男子がテセのことをじろじろ眺めていた「あれ、有名人じゃないの?」と。

今回話を聞いたカフェでは筆者の知り合いの店長(韓国人女性)をテセの横に座らせてしばしのトークタイム。彼女は「私、有名人と近くで話すの初めてなんです~」と顔が紅潮していた。海坊主なのに。時の流れを感じたものだ。

その17年のなかで、いつからか彼をめぐるストーリーは、「在日コリアン魂」というより「Jリーグクラブ、日本サッカー界での自分のありよう」という姿へと変わっていったように思う。

11月6日の引退セレモニー@野津田。町田ゼルビア提供
11月6日の引退セレモニー@野津田。町田ゼルビア提供

日々SNSで発信されるチームの若手選手たちとの関わりあい。助言をし、かつ自らは刺激を得ていた。それは清水エスパルス在籍当初(2015年~2019年途中)に自身が孤立してしまった経験を経てのものだったという。またキャリア最後のクラブとなった町田ゼルビアの「クラブハウス物語」をnoteに記すや、大きな反響を得た。

彼の経験こそ、日本サッカーに還元すべきものなのだ。確かに日本の地で育った。それでいてオリジナルの経験をしている。

そこには3つのキーワードがあるんじゃないか。そういったことを思う。

認められない。無名選手がどう頑張っていくのか。

愛知朝鮮中高級学校時代は高校選手権予選で2年時にベスト4に入って喜んでいたが、3年時は県大会1回戦で負けた。

この敗戦後、プロになるにはどうしたらいいだろうと考え始めた。ただ進学した朝鮮大学時代は東京都3部リーグ所属だった。5部リーグ相当で、砂埃の舞うグラウンドが主戦場。対戦相手がベンチでタバコを吸っていたこともあるし、指導者不在のチームも多かったという。

いっぽうで学生時代に東京都選抜に選ばれ、初めて多くの日本人と接した。「当たり前だけど日本語通じるし、普通の人たち」と思った。それほどにJリーグからは程遠い世界。23歳になる年までそういった場にいた。今ならヨーロッパに行くべき年齢、でもある。

「プロになるってどういうことなのかすら分からなかったんですよ。通常だと、試合にスカウトが見に来てて、目に留まって、契約をして、オファーが来る。でも当時はオファーが何なのかさえわからないんです。経験していないから。とにかく目の前の試合に取り組んでいました。それでも…ハットトリックして、周囲が『プロに近づいた』って言ってくれても相手が東京都一部リーグのチームだと、プロに手が届くところなのかも分からなかったんです」

プロ入り2年めの2007年、川崎フロンターレの一員としてアジアチャンピオンズリーグでプレーする鄭大世
プロ入り2年めの2007年、川崎フロンターレの一員としてアジアチャンピオンズリーグでプレーする鄭大世写真:アフロスポーツ

じつのところ、大学時代の4年間は「不安で押しつぶされそうな日々」だった。

「もし、自分と似た心境の若い選手たちにメッセージを送るとしたら、先のことはマジで誰もわからないということです。先のことを考えたら不安になるし、昔を考えたら後悔の念が浮かぶ。だからこそ『今だけを生きろ』って言うじゃないですか、それに尽きると思いますよね。成功は約束されない。でも成長は約束されてるから」

成功と成長。そこには明確な違いがあるという。

「成長は自分の心がけでできるから確実性がある。でも成功ができるかどうかは自分だけの力じゃない。スカウトが見ててオファーをくれるっていうのは人の仕事だから、そこは絶対にコントロールできない。自分は変えられても他人は変えられないじゃないですか。何が重要かというと、自分の課題に取り組んで、自分を変えること、いま足りてないもの、エラーを正すとかは自分でできる。これが成長、ということです」

ではその「自分でコントロールできない」という成功のために出来ることとは? 鄭大世は自身の経験からこう口にする。

「成功っていうのは運という要素が大きい。自分のキャリアを成功だというのなら、やっぱり節目で運が良かったんですよ。それってやっぱり人との出会いだと思うんですよね。環境を変えてくれたり、自分を引き上げてくれるのは人。努力をした上で、人との出会いを求めて動く。これは運が作用する『成功』のなかでも出来ることだと思うんですよね」

不安な気持ちが大きいほど、成功した時の喜びは、マジででかい。そうも言う。

欧州組へ「監督をしっかり見て」

いっぽう、鄭大世はヨーロッパでのプレー経験がある。10-11シーズンから1シーズン半、ドイツのボーフム(当時2部)、翌11-12シーズン途中からは1部のケルンに在籍した。

2012年8月12日にはプレシーズンマッチでアーセナルと対戦した
2012年8月12日にはプレシーズンマッチでアーセナルと対戦した写真:アフロ

その時間は「2部リーグからのステップアップ」という歩みとしては成功だったように思う。1シーズン半でリーグ戦26試合出場10ゴールを挙げた。しかし2011-12年シーズンの途中に移籍した1部のケルンでは出場機会を失い、10試合無得点でドイツを去ることになった。その経験から、思うところがある。同じ時代にドイツにいた日本人プレーヤーのことだ。

2011年10月21、ブンデスリーガ2部のボーフムでプレーする鄭大世
2011年10月21、ブンデスリーガ2部のボーフムでプレーする鄭大世写真:アフロ

「おじさんくさいと思うんだけど、やっぱり先人の活躍があるからこそ、今の日本代表クラスのドイツでの成功があると思うんですよ。はっきりと近年、その流れを作ったのは香川真司です。あの当時はキッカー誌などが選ぶMVPに名前が載るほどでしたから。もちろん高原直泰さんや、同い年の長谷部誠の存在も大きいですが、日本人ブランドを作り出したのは間違いなく香川真司だった。人間的にはまじ謙虚でしたよ。びっくりするぐらい謙虚で」

いっぽうで若い選手たちが欧州で「注意すべきこと」もあるという。

「海外組で一番のリスクっていうのが何かというと言うと、監督が変わった時なんですよ。なんでかっていったら、日本人とか、アジア人に対してフラットに見てくれる監督と、まあアジア人だから、ダメっていう監督がいるわけですよ。香川真司だってファーガソン監督からモイーズ監督に変わって影響を受けた。僕もボーフムからケルンに移籍した時、モロにそうだったんです。当時の監督からはアジア人選手はあまり起用したくない、という雰囲気も感じ取れました。70年代や80年代に活躍したアジア人選手はそれが当たり前のところであれだけ成功したのはどれほど難しいことだったか。ドイツはいろんな人種がそこに居るから、露骨な感じではないけど心の中の壁はまだまだあると感じた。そこは伝えておきたいですね」

ケルンの練習場付近で自転車に乗る鄭大世
ケルンの練習場付近で自転車に乗る鄭大世写真:アフロ

日本人選手にとっての移籍先としてのKリーグ

最後にもう一つ。鄭大世には今後の日本サッカーにとって新たなフェーズとも言える経験がある。

「韓国でプレーするということ」

2013年4月9日、アジアチャンピオンズリーグで柏レイソルと対戦した
2013年4月9日、アジアチャンピオンズリーグで柏レイソルと対戦した写真:アフロスポーツ

2013年から2015年まで水原三星ブルーウィングスに在籍し、計72試合出場23ゴールを挙げた。

ヨーロッパとはまた違う、海外リーグとしての位置づけ。今季は横浜F・マリノスでも活躍した天野純がリーグ優勝に貢献する活躍を見せた。キャリアアップに繋がったり、高い報酬が得られたりするなら、日本人選手も世界のあらゆる国にそれを求めていくべきだ。

「もちろん簡単なリーグではないですよ。相手の特徴を徹底的に消すサッカーをやってくる。そこには”かなり激しい守備”というものがついてきます。僕はそれが楽しくもありましたけど。記憶に残るのは韓国で「スーパーマッチ」と呼ばれるナショナルダービー、FCソウルでの攻防です。相手のCBは本当に激しい守備をしてきた。後ろから蹴っ飛ばす、ユニフォームを引っ張る、タックルで倒す。『これ、道端でやってたら普通のケンカだな』と思いながら戦ったものです」

2013年12月14日、韓国での挙式の際には記者会見も行われた
2013年12月14日、韓国での挙式の際には記者会見も行われた

カタールワールドカップの日本は「●○○」と予想

ソウルで話を聞いた時、日本代表がカタールW杯初戦に向かおうとしていた。

当然この話に触れないわけにはいかない。鄭大世は森保一監督率いるチームをどう見ているのか。「初戦のドイツ戦の大切さは言わずもがな」と言いつつ、こう言葉を続ける。

「僕が大切だと思うのはコスタリカ戦です。FIFAランキングも格下ということで、全員が少しテンションが下がってしまったら、ブラジルW杯第2戦のギリシャ戦のような凡戦になることが予想されます。逆にここでしっかり勝てれば、最盛期から陰りの見えるスペインに勝利できる確率は上がると見ています」

鄭大世の目には、チームが展開するサッカーがこう映る。

「チーム戦術としては全員が前線からハードワークする攻撃的守備な時代のトレンドを採り入れている特徴です。1トップからどんどんゲーゲンプレスをかけていくので、相当な運動量が必要となってきますよね」

FWだからこそ感じる視点もある。

「1トップの職人である大迫(勇也)選手が入らなかった点はとても危惧してます。戦い方の幅を自ら狭めるような選択をとても心配してます」

予想はずばり「2勝1敗でグループリーグ突破」。ドイツー敗戦、コスタリカ―勝ち、スペイン―勝ちと見ている。初戦のドイツ戦の結果がいいに越したことはないが、その次のコスタリカ戦こそ気を緩めるべきではないという考え方だ。

ソウルでの話は尽きなかった。引退後の希望は「自由に、家族と過ごしたい」。韓国に拠点を移しながら芸能関係など幅広い活動を行っていく予定だ。サッカー関連の仕事のオファーがあれば、折を見て日本にも戻り取り組みたいと考えている。

吉崎エイジーニョ ニュースコラム&ノンフィクション。専門は「朝鮮半島地域研究」。よって時事問題からK-POP、スポーツまで幅広く書きます。大阪外大(現阪大外国語学部)地域文化学科朝鮮語専攻卒。20代より日韓両国の媒体で「日韓サッカーニュースコラム」を執筆。「どのジャンルよりも正面衝突する日韓関係」を見てきました。サッカー専門のつもりが人生ままならず。ペンネームはそのままでやっています。本名英治。「Yahoo! 個人」月間MVAを2度受賞。北九州市小倉北区出身。仕事ご依頼はXのDMまでお願いいたします。

吉崎エイジーニョの最近の記事