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【日韓比較】韓国代表新監督パウロ・ベント就任から考える、日本の「森保一就任過程」の評価

ポルトガル代表監督時代のパウロ・ベント。12年ユーロベスト4の実績が「看板」だ。(写真:ムツ・カワモリ/アフロ)

日本代表の森保一監督選定からじつに1ヶ月。ここにきてその決定過程を評価する”材料”が出揃った。

そういえる、ロシアW杯後の韓国代表新監督の就任劇だった。8月23日にポルトガル人のパウロ・ベント監督の就任会見が行われた。2010年から14年まで自国代表監督を務め、ユーロ2012でベスト4に導いた実績を持つ。

7月27日に森保監督の就任を発表した日本に比べ、1ヶ月以上も長きにわたった道のりだった。韓国は7月5日にサッカー協会側が新監督選定方針を発表。そこから担当者が2度の渡欧を経ての発表だったのだ。

もし韓国が、日本よりも時間をかけて交渉した結果、欧州や南米の「超大物」との契約に至ったのなら―――。日本の森保一監督選定の判断は「拙速で国内監督に決めた」という評価にだってなりかねなかった。

同じ東アジアからのW杯出場国として、ヨーロッパとの距離に悩む。韓国はW杯9大会連続出場中。日本は6回連続だ。今回、ヨーロッパの大物監督と「正面衝突した」韓国の交渉過程の話はぜひ紹介すべきものだ。

交渉担当者が「ぶっちゃける」。異例の就任発表第一声

「現実の壁は高かった」

苦悩がまず先立つ、異例の新代表監督発表だった。平たくいえば「担当者がぶっちゃける」。そんな趣旨だった。

23日のパウロ・ベント本人の会見に先立って行われた、17日の「国家代表監督選任記者会見」。ここで、17日に大韓サッカー協会の監督選任委員会キム・パンゴン委員長が単独で登壇した。

ここでの発言が衝撃的だった。キム委員長は切羽詰まった表情でこう切り出したのだ。

「最初のリストにあった名前は、誰が見ても(韓国のサッカー)ファンが好む人物だった。大韓サッカー協会が策定した予算は、以前よりも高いものだったため、自信をもって準備した。しかし現実の壁は高かった。代理人に接触する段階で我々が堪えがたい金額を提示してきた場合もあった。また別の候補では、会う約束をしていたが、その間に他のチームからのオファーがあり面会を拒否してきたケースもあった」

大韓サッカー協会:キム・パンゴン委員長の会見の様子=出展・大韓サッカー協会公式「KFA TV」

つまり、韓国代表の新監督は「ファンが期待した人物ではないかもしれない」と大韓サッカー協会自らが認め、釈明するところから会見が始まったのだ。

 

キム・パンゴン委員長は7月5日の「選定方針発表」で「候補は10人」「W杯予選通過やコンフェデ杯優勝に近い経験を持つこと。あるいは世界的レベルのリーグで優勝した経験を持つ人材」「我々の哲学に合う監督」といった内容を高らかに宣言していた。 

しかし、この発表以降は完全にメディアから雲隠れ。非公開での2度の渡欧を経て、パウロ・ベントにたどり着いたのだった。17日の会見ではこう続けた。

「2度めの渡欧では(国内)メディアで『有力候補』とされていた人物と困難の末に連絡ができた。彼は我々を家に招待までしてくれる好意を見せてくれたが、家族と離れて韓国で暮らすことに対する拒否感を直接的・間接的に表現してきた。また、韓国サッカーについてもほとんど知らなかった。ソン・フンミンは知っていると。キ・ソンヨンも分かる、といった程度だった。そういった面で我々が期待していた部分と乖離があり、代理人が提示した金額も話がまとめられないレベルだった」

「他のもうひとりの候補は『サッカーの中心であるヨーロッパにいる自分が東アジアの韓国に行くとなれば、大いなるモチベーションがなければならない』と口にした。何のことか。お金の話だ」

韓国メディアでは、キム委員長を家に招待した候補を「キケ・フローレス(スペイン。かつてバレンシアをチャンピオンズリーグに導いた)」ではないかとしている。

いっぽう、キム委員長はパウロ・ベントに決めた理由は「近年、中国などで失敗をし、韓国代表監督としてキャリアを立て直したいという意欲がある」、「4年間のプランも描いていた」、合わせて「本人およびスタッフが韓国在住を快諾した点」がプラスだったとしている。

交渉過程を晒した韓国、隠した日本。結果はどう出るか。

いわば、韓国は今回「先に丁寧に趣旨説明」をし、「後に交渉に入る」という手段を採った。結果、ヨーロッパサッカー界での韓国との評価と「正面衝突」。選任委員長自ら「ファンが望んだ監督ではないかもしれない」という断りを入れなければならなかった。折からの代表成績不振から大韓サッカー協会への風当たりも強くなるなか、丁寧にコミュニケーションを取ろうとしたが、このやり方が首を締めたという感は否めない。さらに時間をかけてしまったことで、選択肢の一つだった「シン・テヨン監督再任」が消えた。「担当者が2度も欧州に出張に行きながら、いまさら国内監督なのか?」という雰囲気が世論で造成されてしまった。

日本は「先に交渉」「後で説明」の方法を選んだ。ロシアW杯後にはクリンスマン、ベンゲルといった名前も浮上。7月27の会見で田嶋幸三日本サッカー協会会長は「外国人監督との交渉もあったが、名前を公表するのは差し控えたい」とした。少なくとも「外国人監督を望んだが、叶わず国内監督へ」というイメージが前に出ることはなかった。実際にそういう流れがあったにせよ、なかったにせよ。この点では短期勝負の勝ち、だった。

本場での自国サッカーの評価と正面衝突し、そのなかから外国人監督を選んだ韓国。いっぽう日本は国内監督へのバトンタッチを少なくとも上手く演出した。

 

交渉過程を伏せた日本と、さらけだした韓国。「どちらが正しかったのか」。この評価が、ここから先の日韓比較の論点になる。

(もう一点、「外国人監督の住居問題」という点が比較していて興味深いですが、長くなるので近日追ってレポートします)

吉崎エイジーニョ ニュースコラム&ノンフィクション。専門は「朝鮮半島地域研究」。よって時事問題からK-POP、スポーツまで幅広く書きます。大阪外大(現阪大外国語学部)地域文化学科朝鮮語専攻卒。20代より日韓両国の媒体で「日韓サッカーニュースコラム」を執筆。「どのジャンルよりも正面衝突する日韓関係」を見てきました。サッカー専門のつもりが人生ままならず。ペンネームはそのままでやっています。本名英治。「Yahoo! 個人」月間MVAを2度受賞。北九州市小倉北区出身。仕事ご依頼はXのDMまでお願いいたします。

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