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「やっと京都と向き合える」。京都で会社を設立したタレント河島あみるが一周年を迎えて感じたこと

吉村智樹京都ライター/放送作家
京都に制作会社「ツキハナ」を起業し、一周年を迎えた河島あみるさん(筆者撮影)

■会社を設立した「京都ならではの事情」

「京都に会社を開いて一周年を迎えました。子育ても一段落し、『やっと京都と向き合えるかな』、今はそんな気持ちなんです」

タレント、ミュージシャンである河島あみるさん(44)は、そう語ります。

河島あみるさんが代表取締役社長を務める「株式会社ツキハナ」は、2021年8月27日に開業しました。

烏丸のオフィスにて(筆者撮影)
烏丸のオフィスにて(筆者撮影)

一周年を迎えたツキハナは、いわゆる芸能人の個人事務所ではありません。業態は、文化人やアーティストのマネジメントと、コンサートや展示会などのイベント事業、テレビやラジオ番組制作など多岐にわたります。タレントの河島さん自身が裏方にまわる場合も多々あるのです

ツキハナに所属や提携をしているのは、華道「未生流(みしょうりゅう)笹岡」家元である笹岡隆甫(りゅうほ)さん、大学教授の米澤泉さん、NHK京都局キャスターの石井美江さん、京料理「木乃婦(きのぶ)」三代目主人・高橋拓児さんなど、さまざまなジャンルの15人。香川県在住の三味線姉弟ユニット「JOKER」も在籍し、活動拠点さえも京都にこだわらない、自由なスタイルをとっています。

河島あみる(以下、河島)「集まってくださった方だけで特別番組ができるくらい豪華なメンバーです。とはいえ、実は恥ずかしながら会社を起ち上げた当初は、経営理念はゼロでした(苦笑)。無事に一周年を迎えられたのは、見守っていただいた皆さんのおかげです」

起業に欠かせぬはずの経営理念は「ゼロだった」という河島さん。そんな河島さんが会社を興した背景には、「京都には文化人やアーティストに出演交渉できる機関が少ない」という切迫した事情がありました。

河島「京都で暮らすうちに次第にフリーランスで活躍している人たちと知り合う機会が増えてきて、皆さん『マネジメントの窓口がほしいね』『マスコミ対応を個人でやるのはもう限界』とお困りの様子でした。『じゃあ、私が代表でやります』と手を挙げたんです」

「フリーランスの人たちの窓口になろうと思った」。それが起業の理由(筆者撮影)
「フリーランスの人たちの窓口になろうと思った」。それが起業の理由(筆者撮影)

「この指とまれ」とばかりに集まった15人のなかには、意外にも、すでに米朝事務所に所属している落語家、桂南光氏の名前もあります。

河島「南光さんの京都での活動をサポートしています。南光さんとは、私がまだ中学生だったときからのおつきあい。襲名前の“べかこ”時代から、父(シンガーソングライターの故・河島英五氏)とともに公民館で開催する地域落語会を手伝っていました。座布団を並べたり、南光さんがご自宅から持参した毛氈(もうせん)を敷いたり、手作り感が好きでした。イベント制作の仕事をし始めたのは、南光さんの影響が大きいですね。南光さんは私にとって、言わば“二人目のお父さん”なんです

十代の頃から桂南光氏と家族同然のつきあいをしていた河島さん。それにしても河島英五氏が落語会の裏方をやっていたとは驚きです。

■父・河島英五の展覧会を開く夢を見た

河島あみるさんは、「酒と泪と男と女」「野風増~お前が20才になったら」「時代おくれ」などの大ヒット曲を持つアーティスト、河島英五氏の長女。河島さんが制作会社を設立する決意ができたのは、48歳という若さで逝去した河島英五氏から「背中を押された部分もある」と言います。

河島「一昨年前の夏に、河島英五展を開く夢を見たんです。目がさめてもその夢が忘れられなくてね。『今この展覧会をやらなければ、きっと後悔する』という気持ちで胸がいっぱいになったんです。街は『コロナ禍でイベントなんてとんでもない』という雰囲気でしたが、展覧会ならソーシャルディスタンスを保ちながらであれば開催できるだろう、そう腹をくくりました」

2020の夏、河島英五展を開く夢を見た。目ざめても夢が忘れられず、「やり遂げなければならない気がした」という(筆者撮影)
2020の夏、河島英五展を開く夢を見た。目ざめても夢が忘れられず、「やり遂げなければならない気がした」という(筆者撮影)

ステージにあがることはあっても、展覧会の制作は未経験の河島さん。右も左もわからぬまま手さぐりで準備を開始。次第に、障壁に立ち向かう喜びがふつふつと湧きあがってきた、と言います。

河島「蘇ってきたんです。あのときの記憶が。私が高校生のときに阪神・淡路大震災があり、父は被災者を励ます“復興の詩(うた)”というチャリティーコンサートを開催しました。父は『10年続ける』と宣言していたのですが、6回目で亡くなってしまって……。そのため、7回目から10回目までは私と、私の家族と、ボランティアの皆さんでやり遂げたんです。ぜんぶ手作り。あの経験があるのだから、『展覧会だってやれるはずだ!』と。それで頑張れたんです」

河島英五氏が逝去した2001年開催の「復興の詩」では遺作『旧友再会』を、妹や弟、さらに桂南光氏とともに歌いました。あの日から20年、河島さんは、2021年4月16日から9日間、京都文化博物館にて「没後20年 河島英五展 〜人生旅的途上〜」を開催し、成功させたのです

ギターやバイクなどの愛用品、歌詞などを綴った創作ノート、旅先で描いた直筆絵画など故・河島英五氏ゆかりの品250点以上を展示。書斎の再現や、実際に着用した衣装も公開された(画像提供/河島あみる)
ギターやバイクなどの愛用品、歌詞などを綴った創作ノート、旅先で描いた直筆絵画など故・河島英五氏ゆかりの品250点以上を展示。書斎の再現や、実際に着用した衣装も公開された(画像提供/河島あみる)

河島「本当にたいへんでしたが、終わってみれば楽しかった想い出ばかり。『やっぱり、イベントを手作りするのは自分に合っている。私はこれからも何かを作りながら生きていきたい』、そう噛みしめていたんです。そんな矢先に、事務所を開く話が持ち上がりました。『私の人生は今きっと、新しいことを始めるタイミングなんだ』と感じたんです」

まさに「人生旅的途上」で京都に会社をつくる運びとなった河島さん。事務所の名前「ツキハナ」も、河島英五氏が遺した曲に由来するのだそうです。

河島「“ツキハナ”は、父の『月の花まつり』(1995)という曲から名付けました。もともとは父が八代亜紀さんに書きおろした曲だったのですが、父も気に入っていて、ライブでよく歌っていたんです。私は父の曲のなかで、この『月の花まつり』が一番好き。娘の名前を月花(つき)にするくらい愛している曲なんです」

会社名「ツキハナ」は河島英五氏が遺した曲「月の花まつり」にあやかって名付けた。「父の曲で一番好きなんです」(筆者撮影)
会社名「ツキハナ」は河島英五氏が遺した曲「月の花まつり」にあやかって名付けた。「父の曲で一番好きなんです」(筆者撮影)

■「緑が見たい」気持ちが抑えられず、嵯峨・嵐山へ移住

河島あみるさんが京都で暮らしはじめ、今年で14年。京都府の広報番組に出演した縁でディレクターの並川洋介さん(現・PR会社代表)と再婚し、大阪から移住しました。

河島「住んでいるのは嵯峨・嵐山です。徒歩圏内に渡月橋があって、竹林も散歩コース。子どもたちものんびりと過ごしていて、この場所を選んでよかったな~と、しみじみ思いますね。実は京都に転居して始めの一年は、都心部のマンション住まいでした。仕事の中心が大阪だったため、交通の便を考えて……なんですけれども、私には都会すぎて合わなくてね。疲れてしまって。どうしても『緑が見たい!』という気持ちが抑えられなくなり、嵯峨へ移りました

緑が豊かな場所が好き。山野を愛する気持ちは、幼少期に芽生えていたと言います。

河島「自然が好きなのも、父から受けた影響ですね。父は身長が高く(184cm)、身体が大きくて、どこへ行っても目立つんです。だから、繁華街は『しんどい』と言って行きたがりませんでした。お休みの日に父によく連れて行ってもらったのは奈良の明日香村。雄大な自然のなかでゆったり過ごすうちに、私も緑に囲まれた環境が好きになったんです」

河島英五氏は生前、幼い河島あみるさんを連れてよく自然が豊かな場所へおもむいたという(画像提供/河島あみる)
河島英五氏は生前、幼い河島あみるさんを連れてよく自然が豊かな場所へおもむいたという(画像提供/河島あみる)

現在も「休みの日はできるだけ郊外で過ごす」という河島さん。「京都の好きな場所は?」という質問に返ってきた答は、なかなかツウな場所でした。

河島「家の近くを京都縦貫自動車道が通っているので、お休みの日は子どもたちと京都の北部をドライブします。舞鶴だったり、和知の鮎ガーデンへ行ったり。ショッピングと言えば、うちでは道の駅(笑)。京都の北部は自然がたくさん残っていて、心が安らぐんです。京都に14年も住んでいるのに、正直に言って、市内に疎くて……。これから開拓していきます」

■京都では大阪の感覚は通用しない

京都在住14年目にして、人生初の「会社創設」という大きな節目に立った河島さん。「頭を抱えた経験も少なくはなかった」と言います。

河島「京都で暮らした14年間は仕事と子育てで精いっぱいでした。大阪で仕事をして、家事と育児をするために京都の家へ帰る。そんな慌ただしい日々を送っていたんです。京都という街と正面から向き合う時間や精神的な余裕が持てませんでした」

かつては「家がある場所」だった京都。会社を構え、ビジネスを始め、遂に京都と真っ向から対峙することとなった河島さん。先ず困惑したのが、大阪との感覚の違いでした。

河島「大阪では、企画の話をすると、答は『やる』か『やらへん』かのどちらかなんです。『今度○○しませんか』と声をかけて、『よろしいな!』と言ってくれたら、そのまま『ほんなら、いつしましょ』と駒を進められます。『やらん』と言われたら、そこで終わり。ところが京都の『いいですね』は、必ずしもOKの意味ではない。いろんなニュアンスが含まれるんです。本当にいいと思っているのか、はたまた社交辞令なのか。言葉をそのままの意味で受け取れない点は、当初はかなりオロオロしましたね」

京都の言葉は、たっぷり「含み」があると言われます。「いいですね」がOKだけではなく、「いいですね(私は関わりませんが)」と距離を置く場合にも使われる。ときには、「いいですね」(二ヤリ)と完全に皮肉である場合さえあるのです。

河島「どっちなのかがわからず、悩んでしまいましてね。先輩に相談したら、『京都のいいねは、いいねとちゃうから、ちゃんと確認せんとあかんで』と教えられました。それからは失礼にならないように、『OKか』『OKではないのか』を再度確かめるようになりましたね

「二段階認証」を必要とする京都独特のコミュニケーション。面倒に感じますが、河島さんは仕事をするうちに、じょじょに京都流のやりとりに理解を示すようになってきたのです。

河島大阪の『あかんかったら、あかんかったときやん』というノリは京都にはない。はじめはその点に戸惑ったのですが、今ではそれが京都のいいところだと感じています。みんなシビアだし、堅実。慎重なんです。だから保留にするときも相手を傷つけないように、ワンクッション置く。こちらも真に受けて、強引に企画を進めようとしてはダメ。やんわりと確認をしながら進めていく。それがお互いにとって、いいことなんです」

「はじめは戸惑った」という京都独特のコミュニケーションの取り方。現在は「それが京都のよい点なのだ」と理解できるようになってきたのだそうだ(筆者撮影)
「はじめは戸惑った」という京都独特のコミュニケーションの取り方。現在は「それが京都のよい点なのだ」と理解できるようになってきたのだそうだ(筆者撮影)

こうして、ひとたび京風システムを会得すると、「仕事はとてもやりやすくなった」、河島さんはそう言います。

河島京都はぜんぜん閉鎖的ではないです。人と人との距離の取り方さえ間違えなければ、基本、ウエルカムな街だと思います。業種間の隔たりもないですね。勉強会に出席すると、あっちにはお花の先生がいて、こちらには靴をつくっている人もいて。芸術家がいれば、会社の社長さんもいる。いろんな世代や職種の方と知りあえて、受け容れてくれるし、つながれる。『こういう人いませんか』と訊けば、必ず最適な人に辿りつける。京都という街のサイズが、ちょうどいいんです

間口は狭いが、扉の向こうは広々としてくつろげる。京都ならではの建築様式「うなぎの寝床」は、人間関係のなかにも根づいているのでしょう。

■京都で初めて大きなイベントをプロデュース

こうして京都で地盤を固めつつある「ツキハナ」。会社設立第1期を経て、河島さんは遂に、大きなイベント制作に取り掛かります。

河島「12月11日(日)に初めて、ホールクラスの大きな落語会をプロデュースします。京都府立京都学・歴彩館という文化施設で、桂南光さんと笑福亭晃瓶(こうへい)さんの二人会を開催するんです。落語会を自分で制作するなんて初めての経験ですし、文化庁京都移転記念事業の一環なので、責任重大。『大きなホールの出囃子って、どうやって鳴らしてるんですか?』って、そんな初歩的な段階から相談にのってもらっている状態なんですよ」

そう言って屈託なく笑う河島さん。落語だけではなく音楽や華道の要素も採り入れ、「落語を中心とした文化祭にしたい」と語ります。過去に幾度もの「初めて」を乗り越えてきた河島さんが、遂に“二人目のお父さん”の舞台づくりに挑む。これは彼女にとって、もうひとつの復興の詩なのかもしれません。

初めて大きな落語会をプロデュースする河島さん。「出囃子をどうやって鳴らすのか、という初歩的なところから手探りなんです」と笑う(筆者撮影)
初めて大きな落語会をプロデュースする河島さん。「出囃子をどうやって鳴らすのか、という初歩的なところから手探りなんです」と笑う(筆者撮影)

河島「現在のツキハナはマネジメントが主な業務ですが、ゆくゆくはイベント制作を中心にしていけたらなって考えています。京都の人たちと集まって、楽しいイベントを生みだす会社。そのため、勉強しているところです。やっぱり私、裏方の仕事が好き。イベントをつくるのが大好きなんですよ」

自ら花として人々を楽しませながら、月の光となって誰かを輝かせる。「ツキハナ」とは、まさに河島あみるさんそのものを表す言葉だと思いました。これからもツキとなりハナとなり、京都をますますおもしろくしてくれるでしょう。

(筆者撮影)
(筆者撮影)

株式会社ツキハナ

https://tsuki87.com/

京都ライター/放送作家

よしむら・ともき 京都在住。フリーライター&放送作家。近畿一円の取材に奔走する。著書に『VOWやねん』(宝島社)『ビックリ仰天! 食べ歩きの旅 西日本編』(鹿砦社)『吉村智樹の街がいさがし』(オークラ出版)『ジワジワ来る関西』(扶桑社)などがある。朝日放送のテレビ番組『LIFE 夢のカタチ』を構成。

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