【写真ルポ】東京パラと、その向こう側へーーあるトーゴ人と日本人義肢装具士の挑戦

日本人義肢装具士の指導で、トーゴ人選手がパラリンピックを目指す(写真:吉田直人)

この1週間、西アフリカのトーゴ共和国から、義足の陸上選手が来日していた。名前はクアクメンサ・コジョ・エデムさん(36)。日本に来るのは初めてだという。

クアクメンサ・コジョ・エデムさん(写真:吉田直人)
クアクメンサ・コジョ・エデムさん(写真:吉田直人)

6歳の時、交通事故で左足の膝から上を切断。「大腿義足」と呼ばれるタイプの義足を使用している。陸上を始めて1年弱だが、トーゴ代表として100m走での2020年東京パラリンピック出場を目指している。

自身で義足を付け替えるメンサさん(写真:吉田直人)
自身で義足を付け替えるメンサさん(写真:吉田直人)
(写真:吉田直人)
(写真:吉田直人)

2019年初から始まった、トーゴ人と日本人による障がい者スポーツにおける試みの端緒を、ここに記しておきたい。

日本とトーゴにスポーツの橋を架ける

一口に100mといっても、パラリンピックの陸上競技には、選手の障害の種類や程度に応じたクラス分けがあるため、100mだけで17種目ほどある。メンサさんは、その中の「T63クラス」に属する。つまり「片足の膝から下を切断していて義足を使用している」という意味だ。ひとまず「義足のクラス」と覚えておけばよいだろう。

11月にUAEのドバイで開催されたパラ陸上世界選手権「T63」100m決勝の模様(写真:吉田直人)
11月にUAEのドバイで開催されたパラ陸上世界選手権「T63」100m決勝の模様(写真:吉田直人)

※パラ陸上のクラス分けに関する詳細は、競技団体のウェブサイト参照

なぜ彼が来日しているのかというと、日本の義肢装具士や、スポーツメーカーのサポートを受けているためである。義肢装具は、先天的もしくは後天的に、手足を切断している人や、手足の不自由な人が装着する義肢(義足・義手)や、装具(サポート器具)のことを指す。義肢装具士は、それらをユーザーの身体に合わせて、製作や組み立てを行う国家資格者だ。今回のプロジェクトに携わる日本人義肢装具士は沖野敦郎さん(OSPO オキノスポーツ義肢装具)。短距離選手を中心に、これまで幾人ものパラリンピアンを支えてきた。

沖野敦郎さん(写真:吉田直人)
沖野敦郎さん(写真:吉田直人)

沖野さんからスポーツ用義肢装具製作のレクチャーを受けるのは、トーゴ人のAduayom-Ahego Akouetevi(アヘゴ)さんだ。アヘゴさんは、新潟医療福祉大学で義肢装具製作を学び、早稲田大学のスポーツ科学学術院で、バイオメカニクスの研究助手を務めた。日本語、英語、仏語が堪能で、今回のプロジェクトでは、通訳や、伝達されたスポーツ用義肢装具に関する技術を将来的にトーゴ国内で普及、継承していく立場として、日本とトーゴのブリッジとなる。

アヘゴさん(右/写真:吉田直人)
アヘゴさん(右/写真:吉田直人)

この試みの目的はトーゴ人に対する、スポーツ用義肢装具の「技術サポート」である。アヘゴさんによれば、トーゴには義肢装具士が100人弱(2017年時点)いるという。同国は、夏季パラリンピックには2016年のリオデジャネイロ大会にパワーリフティングで出場した選手がいるものの、障がい者スポーツの普及はまだ道半ば。したがって、スポーツ用義肢装具に関するノウハウは蓄積されていない。そして今回、これまでパラリンピックの陸上競技に選手を派遣したことのないトーゴから、代表候補としてメンサさんが選出されたというわけだ。「パラリンピック」と「義肢装具」というキーワードの下に、縁あって結成されたチームである。

義足調整の模様(写真:吉田直人)
義足調整の模様(写真:吉田直人)
(写真:吉田直人)
(写真:吉田直人)

100mで、東京パラ標準記録まで20秒

少し話を過去に戻す。

今年の4月3日から10日にかけて、沖野さんが25時間ほどかけてトーゴに出向き、メンサさんとファーストコンタクトをもった。使用を予定していた設備が使えなくなったり、代替で使用することになった作業場(=アヘゴさんの実家ガレージ)で、家族総出で工作機械を修理したり、さらに電気がなかなかこなかったりと、製作の準備を整えるだけでもいくつかの障壁があったようだ。紆余曲折を経て、現地で沖野さんがアヘゴさんにレクチャーをしつつ、メンサさんの身体に合わせたソケット(=切断部分を挿入する筒状のパーツ。義足で最も大切な部品)を製作。フィッティングまで行い、競技用の義足(板バネともいう)を装着。かつて陸上選手だった沖野さんの走行指導を受けて、100mを測定した。

結果は38秒71(手動計測)。

数字だけ見ると好タイムとは言えない。しかし、メンサさんのように、膝上から切断している選手の場合、膝下で切断している選手に比べて格段に義足の扱いが困難となる。むしろ、競技用義足を履いたばかりで「走行」ができただけでも成果といえるだろう。このあと、今秋に32秒まで縮めたものの、東京パラリンピックの参加標準記録は15秒60だから、この時点では20秒前後の大差があった。

大幅自己新の裏に“メダリスト”の指南

そして、今回の“日本合宿”である。

滞在最終日の12月16日。100mの測定が行われた。場所は北区十条にある東京都障害者総合スポーツセンター。ウォーミングアップの後、2本測定すると、それぞれ22秒32、21秒48(いずれも手動計測)。春の計測から、17秒ほど自己記録を更新したことになる。

100m測定の模様。沖野さん(左)はメンサさんの伴走をしながら動画を撮影する(写真:吉田直人)
100m測定の模様。沖野さん(左)はメンサさんの伴走をしながら動画を撮影する(写真:吉田直人)
100m測定の模様(写真:吉田直人)
100m測定の模様(写真:吉田直人)

“一般的”な感覚から言えば、100mなのに20秒弱の自己新など理解不能かもしれない。けれども、義足のフィッティングと身体コントロールが複雑にミックスされて成り立っている義足の陸上競技においては、決して珍しくない光景といえる。メンサさんは終始、朴訥とした表情で測定に挑んでいたが、こころなしか楽しんでいるように見えた。トーゴは公用語が仏語なので英語があまり通じない。コミュニケーションをとるにはアヘゴさんを介する必要がある。それでも思いは伝わってきた。

測定後、同行していたメディアのインタビューに、メンサさんは「トーゴに帰国してからも練習に励みたい」と口にしていた。テレビカメラに向けた意気込みであっても、彼の意志は、タイムの変遷からも分かる。

測定後、揃って映像を確認する(写真:吉田直人)
測定後、揃って映像を確認する(写真:吉田直人)
(写真:吉田直人)
(写真:吉田直人)

沖野さん曰く「義足を使った走り方が分かってきている」。計測前は「速く走れるか……」と不安げだった沖野さんだが、メンサさんは着実に成長曲線を描いている。他方で、沖野さんは「走り方はまだまだ改善点だらけ」ともいう。今はピッチは高速だが、接地時間が短く、義足に体重を乗せられていないため、義足の反力を効果的に得られていない状態。沖野さんの言葉を借りれば「(義足が)つっかえ棒のようになってしまっている」。

沖野さんはメンサさんの走りを冷静に分析している(写真:吉田直人)
沖野さんはメンサさんの走りを冷静に分析している(写真:吉田直人)

カーボンで形成されている競技用義足は、しっかり体重を乗せて「押しつぶす」ようなイメージで走ることで、反発を最大化し、推進力につながっていく。世界のトップ選手の中には、このスキルが飛び抜けているために、“健常者”に勝るとも劣らない記録を出す選手もいる。

筆者は同行できなかったが、今回の滞在中、メンサさんは世界の第一線で活躍する山本篤選手(=パラリンピック走り幅跳び銀メダリスト)の指導を仰いだ。短時間のレクチャーだったようだが、義足のランニングクリニックで講師も務める山本選手による助言は効いたという。沖野さんも、「山本篤の指導で、(メンサさんは)義足の使い方を向上させた」と話す。義足の走行スキルがアップしたことで、最終日の測定では「板バネ」をより硬い素材に変更して臨んだ。そのことも、タイムを更に縮める要因となったようだ。扱い方次第だが、硬い義足はより強い反発を得ることができる。

東京2020の向こう側を見据えて

東京パラリンピックを目指す場合、今後も課題は山積している。まず上述の標準記録(15秒60)を「WPA(=World Para Athletics/パラ陸上の国際統括団体)公認競技大会」で突破する必要がある。その差はおよそ6秒だ。メンサさんに残されたチャンスは多くて5試合ほど。しかしいずれも海外の競技会となる(タイ、UAE)ため、時間的・経済的余力を考慮すると、さらに絞られる可能性もある。もちろん、そこで確実にタイムを出すための身体的準備も必要になってくる。

今回の日本滞在での目標は、「20秒を切る」ことであったという。結果だけを見れば、目標は未達成に終わったわけだが、この日本人とトーゴ人によるチームにはポジティヴな空気が漂っている。それは、義足と身体のチューニングを反復することで、記録が着実に伸びていく高揚感であろうか。

(写真:吉田直人)
(写真:吉田直人)

とはいえこの試みは、東京パラリンピックが最終目的ではない。ゴールは、パラリンピックの向こう側にある。すなわち、一人でも多くの(例えばトーゴの)四肢切断者が、「スポーツを楽しむ」という選択肢を持つことができる状況だ。

東京オリンピック・パラリンピックに向けた機運が高まる中、「ポスト2020」を見据える取り組みにスポットライトがあたることはまだ少ない。日本とトーゴの間に架かったこの小さな橋は、大きな可能性を秘めているといえよう。今後も、動向を確認していきたい。