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香田誉士史監督が母校・駒沢大へ。2006年夏、伝説的決勝の裏話とは②

楊順行スポーツライター
(写真:岡沢克郎/アフロ)

 社会人・西部ガスの香田誉士史前監督が、母校の駒沢大監督に就任する。西部ガス監督時代、06年夏の伝説的な決勝引き分け再試合について聞いた話の第2回。

香田 大会の空気そのものも、過去2年とは違っていましたね。イケイケ、という感じではない。田中(将大)の調子がよければ別ですけど、入りの段階から体調がすぐれず……。1回戦のデキや他校との力関係では、「ああ、この大会は智弁(和歌山)対早稲田実の決勝だ」と思ったくらい、あの2チームは強さが違っていました。

 そして早稲田は、勝ち上がるたびに祐ちゃん(斎藤佑樹)が非常に注目されましたよね。汗をかいたら、青いハンカチでスマートにそれをぬぐって、投げればクレバーに、冷静に、それでいて全試合を1人で投げている。そういう存在が出てくると、見ているほうは「勝ったらいいな、勝ってくれ」という空気になっていくのは、実に甲子園的なんじゃないかと思います。

・「田中については「3年間で一番悪い」という状態。起用法については? この試合についても先発は別の投手で、田中は3回途中からのマウンドだった。

香田 決勝の前日、ふだんはそんなことはないんですが、将大を部屋に呼んだんです。2人きりでの部屋での会話では、「世の中は将大と佑ちゃんの投げ合いに大注目だぞ。(準決勝の)智弁和歌山に投げたあとできついとは思うけど、オレは2人の投げ合いだと思うんだよね。オマエの本当の気持ちを聞かせてくれ」といったら本人は、「いや、できれば後ろがいいです」。聞くと、先発では何時に寝てどうしてこうして……と、いまから自分を作りあげていくのがきつい。それよりも、先発じゃない、とリラックスして寝て、結果として初回からでも行くなら行きます、初回にすぐ交代するならそれでもいい、と。

 斎藤君からは、3点4点取れるとはとても思えません。大阪桐蔭戦の投球などを見ていたら、「これは打てんぞ」と感じましたし、しかも、手を抜くところとエンジンをかけるところを、憎らしいくらい使い分けます。取れるとしても1点か2点。そのイメージでしたから、3回一死一、二塁で先発(菊地翔太)からスパッと田中に代えました。

 継投については、常日ごろを見て把握している選手の黄色信号が根拠です。球が上ずる、汗のかき方、表情、足の動き……そういう信号をふだんから見つけておき、甲子園ではその黄色で代えていました。赤信号では遅い。過去にもいろんな人から「よくあんなところで代えたね」といわれることがありましたが、ここ、と思ったらスパッと代えていました。

■2006年8月21日(再試合)

駒大苫小牧 000 001 002=3

早 稲 田 実 110 001 10x=4

・延長に入っても1対1、斎藤と田中の投手戦は続く。お互いにチャンスはあるのだが……

香田 10回くらいから、再試合か、という感じはしました。一方では、引き分けだったら両者優勝でどうだろう、最高の終わり方じゃないか、という気持ちもあって(笑)。冷静に考えれば、翌日再試合をやることはわかりきっているんですが……。翌日は、またも田中は後ろからです。佐賀商のコーチをしていた94年夏には、2年生エースの峯謙介がすべて完投しました。その子に能力があれば、先発完投に越したことはありませんし、チーム事情からは連投もあり得ます。もし僕に縁があって、佑ちゃんがチームにいたとすれば、当然早実のようにすべて先発でいったでしょう。

 佐賀商ではコーチでしたから、監督として初めての甲子園は01年夏。選手として出るのとは、全然違いましたね。僕、開会式のときには監督もフィールドに並ぶものだと思っていましたもん。ですからユニフォームを着ていって、他校の監督さんから「今日、試合だったっけ?」「あれ? 監督は行進しないんですか」といったら笑われました。1回目はそんなレベルで、松山商(愛媛)との初采配もいつの間にか終わった感じです。

 あの大舞台でうまく試合に入るには、常日ごろから甲子園を意識しておくことも必要でしょうね。たとえば甲子園では、何かにつけてスピードアップが要求されます。ふだんやっていないことですから、「ほら急げ」といわれると、生徒はそれだけでペースが乱れる。ですから、急がされることを日常にし、たとえば練習試合もあえてスピード感を持ってやっておきました。ほかにも、甲子園で指摘されやすいことを日常から意識する。本番でいきなり注意を受けたら、真っ白になってしまいかねません。

・斎藤佑樹も、打たれると真っ白になるほうだった。実は本来、投手は中継に加わらないのに、なぜか外野からの返球をカットしたことがあった。

香田 あれは真っ白になっていたんですか? 僕らのなかでは「早稲田は斎藤がリレーに入るぞ、確かに一番強肩だろうけど、そこまで練習しているとは……」ということになっていたんです(笑)。

バント1本で1年が決まる社会人野球

香田 いまも、時間があれば高校野球を見ますが、よく打ちますねぇ。走者が出た、犠打で進めた、中軸が返す……というセオリーよりも、けっこうイケイケですよね。二番に足のある打者がいれば、バントをせずに打たせても、最悪ゲッツーはない。場合によっては、一塁に残った二番を走らせる……。走者が出たら送って、というこてこての高校野球は、少なくなっている気がします。

 むろんゼロではなくて、後半競っていればそういう展開も出てきますが、それにしてもバントをファウルしたら急にエンドランに変えたり、という作戦が多くなっていませんか? 逆に社会人のほうが、セオリーにきれいですね。社会人は、負けたらそこで1年が終わってしまうくらいの戦いです。いいピッチャーが出てくるとなかなか点が取れないので、バントで確実に送る。極端にいえば、1年の練習の成果がそのバント1本にかかってくることもありえます。またバント処理のサインプレーなども、社会人ではけっこうやりますね。

 それがいまの高校野球は、どちらかというと送らせてアウトをひとつもらい、あとを抑えればいい……という傾向じゃないですか。守備者も、バントに対してそれほど極端にチャージしない。昔ほど、サインプレーや細かいフォーメーションはないんじゃないか、という印象です。

・この取材のとき、雑談まじりに「いつかは高校野球に?」と話した記憶がある。香田氏の選択は、大学野球。戦国東都が今から楽しみだ。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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