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バドミントン・桃田賢斗、2年連続6度目の優勝。「この大会に勝ってこそエース」に1票!

楊順行スポーツライター
全日本総合選手権優勝の桃田賢斗(撮影/筆者)

 第77回全日本総合バドミントン選手権大会。男子シングルスは、桃田賢斗の優勝で幕を閉じた。2019年のワールドツアー(WT)では、史上最多の11勝を挙げた絶対王者。だが20年1月には交通事故に遭い、21年の東京五輪も予選敗退。その後はスランプに故障も重なり、勝てない時期が続いた。それが11月、韓国OPで2年ぶりのツアー優勝を飾るなど復活気配だ。いま争われている五輪レースでは、最大2枠が与えられる日本でランキングは6番手と厳しい状況だが、もしかしたら今回の優勝が、奇跡的なメイクドラマの序章になるかもしれない。

 別メディアに書くため、桃田優勝の詳細はここでは触れないが、残念だったのは、準優勝で対決するはずだった奈良岡功大の棄権である。

「功大との試合も始めてなら、この大会で世界ランキング(WR)2位の選手と対戦するなんてもちろん初めてなので、楽しみです」

 準々決勝に勝ち、奈良岡との対戦が決まった桃田はそう語っていたものだ。奈良岡といえば今季、世界選手権で銀メダル、中国マスターズでWT初優勝を飾り、22年初頭の47位からWRを2位にまで急上昇させた日本のエースだ。順当にベスト4に進出したあと、まだ対戦相手は決まっていないながらこちらも「桃田さんが相手なら、初めてなので楽しみです」と語っていた。元WR1位の桃田と、現2位の対戦。ファンも楽しみにするゴールデンカードだった。それが……。「コンディション不良のため、奈良岡選手は棄権」のアナウンス。場内がため息に包まれるのは当然だ。

上位者続々棄権の大会、存在意義が問われる

 コーチを務める奈良岡の父・浩さんによると疲労の蓄積や、複数カ所の負傷などが棄権の原因。「本人は迷っていましたが『迷うなら出るな』と私が判断しました。私も残念。どんな試合になるのかと想像していました」というが、やや不可解なところもある。準々決勝後の奈良岡本人は、こう語っていたからだ。

「国際大会の蓄積疲労があるし、この大会では対戦相手が日に日に強くなるので、疲れないように心がけて試合をしています。今日は、ほとんど汗もかきませんでした。日本のエースと呼ばれることは光栄ですし、それに応えるようなプレーをしたいですね」

 やる気満々。この言葉から、翌日の棄権を想像する人はほとんどいないだろう。そして記者団から、「桃田さんは"この大会で勝ってこそ日本のエース"といっていますが」と問いかけられると、

「そんなことはないと思います。国際大会で勝つためにプレーしていますし、みんな強いのでだれが勝ってもおかしくない」と答えたから、なおさら新旧エース対決が楽しみだったのだ。それが棄権とは……。

 確かに大目標は、来年パリ五輪でのメダル獲得だろう。多少なりとも不安があれば、ここで無理をする必要はない。年明けからは代表争いが佳境を迎えるから、それに万全を期したい気持ちはわかる。

 五輪代表争いの日程は、確かに過酷だ。奈良岡なら11月中旬から12月中旬までの5週間のうち、基本的に5日間を要する3大会に出場している。勝ち上がれば勝ち上がるほど試合をこなし、日程も詰まるから、ランキング上位者の日程はかなりハードだ。現に、代表争いで2番手につけている西本拳太は最初から棄権しているし、他種目でも女子シングルスの山口茜、男女ダブルス、混合の上位もそう。日本一のタイトルは大切だが、優先順位はまずオリンピック。コンディションのためなら、全日本総合のタイトルには目をつぶる。それでも、桃田はいうのだ。

「みんな、どこかしら痛いところはある。それでも総合は、昔からあこがれの舞台でしたし、自分はこの大会にかける思いが強い」

 古い時代は、「この大会に勝てるなら、肩が壊れてもいい」と語る選手もいたし、それはオーバーにしても、ふだんのヘビースモーカーが「大会前1週間は禁煙したね」というほど獲りたいのが「全日本総合」というタイトルだ。その競技人生で何度も故障し、痛い目に遭っているはずの女子シングルス・奥原希望も、「昨日から右股関節が痛くて。今日も不安はありました。でも私が初めてこの大会で優勝したとき、決勝の相手が棄権。その無念さを目の当たりにしていましたし、なにより特別な大会なんです。棄権という選択肢は最初からありませんでした」と足を引きずりながら、決勝を戦っている(結果は2ゲーム終了時に棄権)。

 つまり……さまざまな事情はありましょうが、奈良岡もプレーできないほどではなかったのではないだろうか。日本のエースに「ふさわしく」、桃田と試合してほしかったというのが結論です。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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