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大阪桐蔭が史上初の連覇を果たした明治神宮大会のウンチク。もうひとつの意外な「史上初」とは?

楊順行スポーツライター
明治神宮大会は、大阪桐蔭が史上初の連覇を果たした(撮影/筆者)

 第53回明治神宮野球大会・高校の部は、横綱・大阪桐蔭が昨年に続く連覇を果たした。史上初めての快挙。実は今回の大会はほかにも「史上初」がいくつかあることを知っていますか? 

 まず、仙台育英(宮城)が、沖縄尚学との初戦9回、4点差をひっくり返してサヨナラ勝ちしたこと。これ、1973年に始まった高校の部では最大得点差のサヨナラ勝ちで、つまり史上初。大阪桐蔭と広陵(広島)という、2年続けて同じ顔合わせの決勝も史上初。そして……もうひとつ、史上初があるのですよ。

 そもそも明治神宮野球大会が始まったのは、明治神宮鎮座50年を記念した70年のこと。最初は大学野球のみで行われ、高校野球が加わったのは第4回大会からだ。

 もっとも、それ以前の51年には、その年の秋季地区大会で優勝したチームを招待し、単発で高等学校野球地区代表大会を開催している。優勝は東京の日大三(決勝・3対1函館西[北海道])。また創設2年前の68年には、明治維新100年記念明治神宮野球大会として、大学の部、高校の部、社会人の部が行われ、優勝は、東京の日体荏原(現日体大荏原)だった(決勝・6対5小倉[福岡])。付け加えれば、24年から43年にかけては、明治神宮競技大会の一競技として合計13回、中等学校野球が行われている。

 明治神宮大会は当初、北海道、東北、関東、東京、東海、北信越、近畿、中国、四国、九州から1校ずつの10校が出場したが、いまのように10校とも秋季地区大会優勝チームとは限らなかった。大会が早く終わる地区からは優勝校が出場しても、開催時期との兼ね合いで、地区によっては所属県の県大会3、4位チームが持ち回りで推薦出場したりしていたのだ。82年からは出場8校に縮小。北海道・東北、中国・四国からは隔年の出場となり、大会の位置づけは現在ほど重要ではなかった。

 だが96年、出場8校がすべて地区大会優勝校となり、97年は8校中7校(ちなみに、このとき優勝したのが松坂大輔[元西武など]のいた横浜[神奈川])。98年は再度、8校とも地区優勝校になると、99年には10校出場に戻り(うち9校が地区大会優勝校)、2000年からは秋季地区大会優勝10チームの出場と規定された。

 ややこしいがつまり、神宮大会は96年を契機に秋の日本一決定戦に近くなり、00年には名実ともそれにふさわしくなったわけだ。さらに02年からは、通称・神宮枠が設けられ、優勝校の所属地区には、翌年センバツの出場枠がひとつ増えた。

 今回が53回大会だったが、昭和天皇の病状悪化で開催が見送られた88年、また新型コロナウイルスの感染拡大で中止となった20年も、大会回数にはカウントされている。また、3回大会までは高校の部はなかったから、実際に高校野球が行われたのは48回ということになる。その48回のうち、今回のもうひとつの「史上初」とは……? 

春夏の甲子園優勝校がそろい踏み

 実は、その年の春夏の甲子園優勝校がそろって出場するというのも、史上初めてなのだ。ちょっと意外でしょう? 

 過去に、春夏どちらかの優勝校が出場したのは何度もある。89年夏に優勝した帝京(東京)、95年夏Vの帝京、01年夏Vの日大三(東京)、03年春Vの広陵、04、05年夏Vの駒大苫小牧(北海道)、07年春Vの常葉菊川(現常葉大菊川[静岡])、12年に春夏連覇した大阪桐蔭、15年春Vの東海大相模(神奈川)、16年夏Vの作新学院(栃木)、17年春Vの大阪桐蔭……。

 だが今回のように、センバツで優勝した大阪桐蔭と、夏の覇者・仙台育英がそろい踏みするというのは初めてなのだ。この両校は準決勝で対戦したから、春夏のチャンピオンが激突したのも当然初めてだったわけ。まあ、どちらも新チームで、優勝チームとは代替わりしているのだけどね。

 ついでに……春夏の優勝校が、その年の日本一決定戦を優勝メンバーで、つまりガチで行ったことが過去に一度だけある。中等学校野球時代の1927年。センバツで優勝したのは和歌山中(現桐蔭)で、メンバーはそのごほうびとしてアメリカ遠征を行った。7月に船で出発し、西海岸を転戦して帰国は9月。

 そのため和歌山中は、主力選手抜きで夏の紀和大会を戦ったが、なんとそこを勝ち抜いて甲子園まで進む。さすがに本大会では初戦負けし、優勝したのは高松商(香川)なのだが大会後、「もし和歌山中のレギュラーが参加していたら……」と話が盛り上がり、日本一決定戦が実現するのである。

 11月、寝屋川球場で行われた試合は、高松商の水原茂(元巨人)、和歌山中の剛腕・小川正太郎との投手戦かと思われたが、7対4で高松商が勝利。渡米後の和歌山中は、明らかに練習不足だったといわれている。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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