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[社会人野球日本選手権]ENEOS8強。3ランの度会隆輝は福留孝介ばり、来年ドラフトの超目玉か?

楊順行スポーツライター
(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

 社会人野球の第47回日本選手権、第7日第1試合では、ENEOSが日本新薬に快勝して8強進出を決めた。結果的には8対2だが、4対2とされた直後の8回、1点を追加したあとの度会隆輝の3ランアーチが効いた。

 横浜高卒2年目の度会。今季は優勝した都市対抗でも4本塁打の活躍で橋戸賞と若獅子賞をダブル受賞。来年が高卒3年目で、やはりPL学園から日本生命経由でプロ入りし、メジャーでも活躍した福留孝介の再来という声がもっぱらだ。

 2021年に横浜から名門・ENEOS入りすると、1年目から非凡な才能が開花した。練習に合流したその日、ロングティーで放ったボールが何度もセンター後方のフェンスを越えていく。その時点で都市対抗11度優勝の強豪を率いる大久保秀昭監督でさえ、

「想像以上のバッティング。大きく育てたい」

 と目を見張るほどの能力だった。

 高校までの金属から木のバットに変わってもいっこうに苦にせず、「しなりを生かすのは自分に合っている」と、2月下旬にはすでに大学生相手の練習試合で3安打。

「チームで一番飛ばしていたし、スポニチ大会前には"四番もありますよ"と報道陣に売り込んだほど。実際に試合でも結果を出すんですから、大したもの」

 と大久保監督。当初は内野手だったが、出場機会を得るために途中から外野に転向し、5月から早くも定位置を獲得したのは、高校時代にだぶる。本人によると、

「高校1年のときにも、"外野はできるか?"と監督に聞かれて"はい"と答えて使ってもらいましたが、本当は未経験だったんです」

 その外野を無難にこなし、夏の西神奈川大会ではおもに代打で9打数7安打とレギュラー級の活躍を見せている。社会人での外野守備は「さすがに、打球の質が高校とは全然違います」といいながら、なんの違和感もなくこなすのは飛び抜けた野球センスがあるのだろう。

1年目から都市対抗で大暴れ

 高卒1年目では、予選に出場する選手さえめったにいないのに、度会は東京ドームの都市対抗本番でもスタメンに名を連ねる。するとJR東海との1回戦で、百戦錬磨の戸田公星のフォークを右翼席へ。高卒ルーキーが、何度も修羅場を経験した15年目の古強者の宝刀をへし折ったわけだ。

「戸田さんとは東京スポニチ大会でも対戦があり、フォークがすごいのは知っていました。初回はそのフォークで凡退しましたが、次はミスショットしない感触があった。ホームランは、真っ直ぐを待っていたところでフォークに反応できたので、自信になりました」

 ミスショットしない感覚、というのが尋常じゃない。かくして1年目ですっかり主軸となった度会に対し今季、大久保監督の要求は高かった。シーズン前、度会はこう語っていたものだ。

「練習試合を含めてシーズン打率4割、ホームランは15本がノルマです。3年でプロに行くには、ステップの年。1年目の収穫を生かしてチームを引っ張っていく気持ちです。度会の打席なら安心できる、という存在になりたい」

 都市対抗では、「安心できる」どころかそれ以上の活躍だった。21打数9安打、うち4本がホームランの11打点で、ENEOS9年ぶりの優勝に大貢献した無双ぶり。橋戸賞と若獅子賞の同時受賞は、野手としては史上初めてだ。優勝直後のインタビューでは、あまりのはしゃぎぶりに眉をひそめたムキもあったが、度会は「うれしすぎで、爆発させた感じ」と20歳の興奮を振り返りつつ、

「積極的に打ちに行く気持ちを持ち続け、最後まで自分を信じられた」

 とのちには冷静に振り返っている。

 21年には、父・博文さんが球団スタッフを務める東京ヤクルトが日本一となり、兄・基輝(現・JPアセット証券)が中軸を打った中央学院大も神宮大会で優勝している。「"あとはオマエだぞ"といわれていた(笑)」都市対抗では8強止まりも、1年遅れの今年、日本一に続いた。

 日本選手権初戦は無安打だったが、この日の1本も含めて、今季は主要大会ですでに7本塁打。チームの夏秋連覇、そして年間本塁打王も視野に入れるスラッガーは、23年ドラフトの超目玉になりそうだ。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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