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[社会人野球日本選手権]NTT東日本、殊勲の内山京祐は「牧秀悟がライバル!」

楊順行スポーツライター
(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

 第3打席。1、2打席の内山京祐は、ファーストストライクから積極的に打って出たが、いずれもミスショットで凡退している。その間NTT東日本は3回、2ランホームランで西部ガスに先制され、4回に1点を返して追撃態勢の5回。

 NTT東日本は無死二、三塁のチャンスをつかんだ。西部ガスはここで、先発・髙椋俊平から左腕・重田準之助にスイッチ。だが、伊東嵩基に四球を与え、内山の第3打席は無死満塁で回ってきた。

 西部ガス・香田誉士史監督が、たまらずに間を取った直後だ。左打席に入る内山のバットが初球、重田の変化球を鋭くとらえると、強い打球が右翼線を破る。そこまでのミスショットにこだわらず、初球から叩いた思いきりが逆転二塁打につながった。

 試合はその後、5回途中から登板した多田裕作が打者10人から5三振を奪うパーフェクト投球を見せるなどで、NTT東日本が5対2で快勝。これで両ドームの6大会連続初戦突破と、このところの安定した強さを見せている。

都市対抗に続き、2大会連続首位打者も

 ヒーローの内山は、ベスト4入りした今年の都市対抗でも4試合、18打数9安打で首位打者賞。そのあとに、じっくりと話を聞いたことがある。

 もともとバットコントロールには定評があり、今季は「ずっと調子がいい」のだとか。なるほど、春先の東京スポニチ大会から都市対抗東京2次予選まで、出場した大会はのきなみ打率3割5分以上なのだ。

「都市対抗でも日本新薬との2回戦、最初の打席でヒット。当たりはよくなかったんですが、それがショートの頭を越えてくれたのがきっかけでした。(中央)大学時代から、1打席目を打つと固め打ちできるので、このときもいける感じがした。同期の片山(楽生)君に"オレ、乗っちゃったよ"と宣言したくらいです」

 その通りになった。ヤマハとの1回戦でも1安打しているが、日本新薬戦は5打数4安打。さらにセガサミーとの準々決勝、ENEOSとの準決勝もマルチヒットを連ね、首位打者につなげたのだ。

 内山は、好調な2年目をこう分析する。

「1年目も春先はよかったんですが、だんだん下降線になり、9月の都市対抗2次予選はスタメンから外れました。東京ドームも代打の3打席だけでノーヒット。自分の持ち味は当てる技術なんですが、なまじ当てられるだけに、見きわめるべき低めにも手を出し、引っ掛けて内野ゴロというのが多かった。打ち損じるなら空振りのほうがまだいいのに、当てちゃうんです。追い込まれると、今度は三振をいやがってやっぱり当ててしまう」

 だから今季は、リセットした。

「コーチからも"もっと(強く)振れるはず"といわれましたし、長打力とOPS(長打率+出塁率)の向上がチーム方針なので、バットを強く振るように取り組みました。気をつけたのは、右肩の開きを抑えて、強く振れるポイントを見つけること。それが身についていくうちに、低めのボールに手を出さなくなったんです。というのも、低めのボールを強く振るのはむずかしいでしょう。強く振るという前提の波及効果で、結果的に低めを見きわめられるようになった。追い込まれても、見逃し三振でいいと割り切れるようにもなりました」

 なるほど、この日の逆転打までは凡退こそしたが、1、2打席とも強いスイングの結果だった。強く振れば、ピッチャーも警戒する。それで少しでもカウントが有利になれば、とらえられる確率も上がるわけだ。もっとも、積極的に打つスタイルだからか、内山は四死球が少なく、チームのテーマであるOPS自体は特筆すべきほどじゃないが。

 それはともかく、都市対抗で獲得した首位打者は、「人生のひとつの目標」だったという。

「大学2年のとき、途中まで争っていたんですが、残り2カードで1安打。すごく悔いが残っていて、あまり意識するとよくないのかもしれません」

 いまや横浜DeNAの堂々たる主軸・牧秀悟は、その中央大時代の同期。四番・牧のあとを打つケースの多かった内山によると、

「2年くらいまでは"牧より上かな"と思っていましたが、3、4年とむこうがグンと伸びた。4年秋(のリーグ)が始まるまでは、ヒットも打率もホームラン数も、ほとんど同じだったんです。それが最後の1シーズンで、全部抜かれました(笑)」

 内山は最後にこう付け加えた。

「日本選手権にも出て、2大会連続首位打者を取りたいですね」

 あれ? 「あまり意識するとよくない」んじゃなかったっけ。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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