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[高校野球]北陸がTBで北信越を制覇! 34年ぶりのセンバツ出場へ

楊順行スポーツライター
延長13回、1死満塁のピンチを切り抜けた友廣陸(撮影/筆者)

「失うものはない。思い切っていこう」

 同県対決となった北信越大会決勝。北陸は、敦賀気比に1点をリードされた7回、谷嵜朋史の適時三塁打で追いつくと、あとは両チームのしのぎ合い。どちらも決め手を欠いた延長も12回を終え、タイブレークに突入した。

 先攻の北陸は、2死一、三塁から小矢宙歌の渋い内野安打で1点をもぎ取ったが、3年連続秋の北信越制覇のかかる気比もしぶとい。

 バントで送った1死二、三塁から四球を得て1死満塁。ここではこの日3安打の西口友翔のスクイズがフライとなったが、依然2死満塁と一打逆転の場面だ。

 北陸・林孝臣監督はすかさずタイムを取り、伝令を送る。マウンドには、10回2死二塁でリリーフし、サヨナラのピンチをしのいだエース・友廣陸。林監督が伝令に託したのが、冒頭の言葉だった。

 だが、打席の桶谷司に対してノースリーとなる。あと1球ボールになれば同点で、林監督も内心、「同点、あるいは逆転も覚悟」した。

同県のライバルとして兄貴分と対戦!

 敦賀気比のスキのなさは、骨の髄まで知っている。なにしろ2019年夏まで、自身が10年間コーチを務めていたのだから。敦賀気比では、西武・内海哲也と同期。主将を務めた1999年の秋には北信越を制し、翌春のセンバツに出場するはずだった。

 だが……不祥事が発覚し、無念の出場辞退。立正大を経て民間企業で働いているとき、2学年上の敦賀気比・東哲平監督に「どうや、一緒に母校でやらんか」と声をかけられてコーチとなる。誘いのあった北陸の監督となったのは、19年夏の甲子園を終えてからだ。

 同県内のライバル校である。それでも東監督は、温かく送り出してくれた。そもそも東監督自身、01年から北陸の監督を務めた経歴があるのだから。

 監督となったその秋の北陸は、県の準決勝で、いきなり母校と対戦した。結果は3対7。福井県は加盟校が少ないから対戦する確率も高く、以後もさらに3回の対戦があるが、北陸はつごう4連敗。瞬間的に、リードを奪ったことさえない。だからこそ、スキのなさは十分承知しているわけだ。林監督はいう。

「母校との対戦は、むちゃくちゃ楽しみなんですよ。ですが、決勝で対戦したこの夏の負け(4対8)は、さすがに折れそうでした。そんなとき、支えになったのが内海の存在です」

 今季限りで現役を引退はしたが、"アイツも頑張っている、オレも……"ということだろう。そして、この北信越決勝の舞台。兄貴分たる東監督と5回目の対戦で、初めてリードを奪っての13回裏だ。北陸にとっても、あと一人で88年以来34年ぶりの秋の北信越制覇が見えている。

 だが、ノースリー。肚をくくった。

 すると友廣も開き直ったのか、思い切りよく腕を振り、まっすぐでツーストライクを取る。1点リード、2死満塁でフルカウント。ボールならまず同点、野手の間を抜ければサヨナラもある、そして最後の1球は……ストライク! 桶谷のバットはピクリとも動かず、北陸が秋の北信越を制覇した。林監督にとっては、母校からの初勝利だった。

「(気比は)スキがなく、ミスを待っていては勝てません。攻め続けよう、という姿勢が勝ちにつながったと思います」

 という林監督。こう続けた。

「いまの2年生は、私が監督になって入学してきた1期生。"親代わりだと思ってくれ"と接してきましたが、ここまできてくれたことが一番の親孝行です」

 そして、東監督への恩返しも。これで北陸は、来春のセンバツに、89年以来2回目の出場が確実。また、7年ぶりの福井勢決勝を戦った敦賀気比も、ほぼ当確だ。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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