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2年生エースで春夏連覇寸前 追悼・池永正明さん(その1)

楊順行スポーツライター
2001年に発足したマスターズリーグでは、ピッチングも披露した(撮影・筆者)

 高校からプロ入りし、5年で99勝とは……。小学生時代、驚いた記憶がある。5年で99勝といえば、年間ほぼ20勝ペース。近年の高卒ルーキーで比較しやすいところでは、松坂大輔(元西武ほか)が67勝で、過去99勝を上回るのは史上2人しかいない。

 池永正明さん。プロ野球・西鉄ライオンズ(現西武)の元エースだが、6年目の1970年、「黒い霧事件」に巻き込まれて永久失格処分となり、球界を去った。失格処分は2005年に解除されたが、25日、がんのため逝去。福岡市のご自宅にたずねて、高校時代の話を聞いたことがある。

「野口正明(元西鉄ほか)さん、小山正明(元阪神ほか)さんとで、"三マサ"といわれたもんですわ」

 1963年。池永さんは山口・下関商の2年生エースとしてセンバツに優勝し、春夏連覇のかかる夏も絶好調だった。山口大会では、柳井との準々決勝で完全試合など、5試合すべてを完封。決して大柄ではなく、強じんな上半身から投げ込む剛速球と、当時でいうドロップだけ。それでも、甲子園では富山商との1回戦を4安打15三振、続く松商学園(長野)も、6安打9三振でいずれも完封している。この時点で、7試合連続完封だ。

 故郷は、豊浦郡豊北町(現下関市)という小さな漁師町。小学校時代は三角ベースに親しみ、相撲大会があれば参加し、海や山での遊びに夢中になった。神玉中の野球部に入ると、遊びのなかでたくましく鍛えられた能力は傑出していた。ボールの伸びが明らかに違う。

 野球だけではなく、陸上の競技会にかり出されれば100メートルを12秒で走り、4キロの砲丸を15メートルも投げ、身長よりも高い170センチのバーを走り高跳びで超える。2年のときには、走り高跳び、砲丸投げ、80メートルハードルの三種競技で山口県中学記録を達成し、全国大会でも3位というから、運動神経のかたまりだ。野球部でも1年の夏からライトを守って五番。2年生からエースになると、神玉中は郡内では無敵となった。

「まあ、人よりちょっと速いタマを放ったというだけですよ。ピッチャーも自分でしたいと思うたわけじゃなく、適当なのをさがしたら私がおった、ちゅうことでしょう。公式戦では、いいところまで行きはするけど宇部や下関の強豪チームに負ける。そういう田舎のチームですから、下商という名門へ行こうなどとは考えておらんかったですね。だけど受験に通ったことで、野球せにゃいかんようになった(笑)。あとから聞いた話では、昭和38(1963)年には山口国体があって、そのために野球部を強化しようという計画があり、下関市内の中学からいい選手が集まったようですね」

都会の野球は「やねっこい」のう……

 池永さんが下関商に入学した62年といえば、作新学院(栃木)が甲子園で春夏連覇を果たしたのだが、「テレビすら、床屋など村に2、3台」(池永さん)という時代のことである。甲子園なんて、ほとんど知らない。それでも、池永さんは特別な存在だった。1年の夏から、それまでに春夏15回の甲子園出場がある名門のベンチ入りを果たし、マウンドにも上がった。新チームからは、池永さん中心のチームづくりとなり、エースとして秋を迎える。

「1年だから、いわれたことをやるだけで、大それたことはわからんですよ。ただ地区大会、県大会を勝っていくうちに、先輩たちが"次は県大会""次は中国大会""中国大会で決勝まで進めば甲子園"というので、少しずつは意識するようになりましたね。実際に中国大会では決勝まで行き、広島の呉港に1対2で負けたんですけど、野球が緻密なんで驚きましたね。やねっこい(=しつこい)のう、という感じ。ただ、翌年のセンバツに出られるのはうれしかったですね。たくさん取材に来るし、中学時代まで意識したこともないのに甲子園なんて、信じられんやったです」

 翌年の3月、甲子園。初戦は、大阪の明星が相手だった。のちに阪神入りする大型捕手・和田徹のいる優勝候補を池永さんは、3安打で完封する。まっすぐを外に投げて追い込んだら、ドロップ。「初めての甲子園は、まるで壺のなかでやっているような感じやったね。音が反響する。いい音がして"行かれたかな"と思っても、タマは意外と飛んでいない」。

 全国のレベルがどんなものかはわからないが、大阪のチームを破ったのは手応えになった。(続く)

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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