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[甲子園]勝敗の分水嶺/第5日 ルールを知っていれば、聖望学園の「決勝点」は防げたか……

楊順行スポーツライター
(写真:アフロ)

「野球のルールは、裁判の判例集みたいなもの」

 とは、親しい審判の言葉である。

 ルールはそもそも、安全に、フェアに、そして野球をおもしろくするためにある。なんとかその網をかいくぐろうという悪知恵が考えられると、新たにルールをつくり、それを禁じてきた。公認野球規則は、長い野球の歴史のなかでそうやって禁じ手を増やしてきた積み重ねだから、判例集というわけだ。

 第5日第3試合は、聖望学園(埼玉)が能代松陽(秋田)を2点をリードして4回の攻撃を迎える。先頭の江口生馬がヒットで出ると、続く七番・荒江思優はバントを試みた。

 当然の策だ。まだ中盤だから、1点でも多く取っておきたい。打球は、投手前の小フライ。能代の投手・三浦凌輔は、これをショートバウンドで処理した。小フライだから、一塁ランナーはスタートを切れない。ショートバウンドで捕れば、併殺に仕留められるかも……。

 野球には、故意落球というルールがある。フォースプレーの状態で、ふつうにプレーすれば捕れるフライやライナーを、グラブに当ててわざと落としたと審判が判断すれば、打者がアウトになる。帰塁している走者との併殺を狙うずるいプレーを防ぐためだ。おそらくはるか昔、実際にそうやってゲッツーを成立させた知恵者がいた。それを認めては野球がつまらなくなるから、「故意落球」という判例ができたのだろう。

 だが、空中にあるうちにグラブにふれなければ、その限りではない。ましてやバントである。選択した作戦の失敗まで、ルールは保護しない。自己責任。つまりバントで小フライを上げたら、併殺のリスクが高いというわけだ。

 高校野球では確か、2018年夏の金足農(秋田)・吉田輝星(現日本ハム)が、見事なフィールディングで併殺を取った記憶がある。ただそれでも、まずアウトひとつ、という本能なのか、バントが小フライになっても、安全にダイレクトで捕るケースが多い。

併殺を狙った頭脳プレー……のはずが

 そこを、能代・三浦は併殺を狙った。問題はここからだ。送球を受けた一塁の椛沢心文はまずベースを踏み、そして一塁についていた走者の江口にタッチ。塁審がアウトのジェスチャーをしたため、併殺が成立したかに見えた。

 だが……一塁側の聖望ベンチは首を傾げる。え? なんで? という感じ。スタンドもそうだった。審判団はすかさず、集まって協議する。

 そして最終的には大上球審が「投手は(打球の)ワンバウンド後に捕球し、一塁に送球。その後、一塁手が一塁走者にタッチしましたが、ベースを踏んでいましたので一塁走者はセーフ」と場内アナウンスし、1死一塁で試合が続行された。

 その後聖望は、岡部大輝が今度はバントを成功させ、2死二塁から九番の園山賢生がショートの頭上を抜くタイムリー。3対0とした。

 聖望はその後も小刻みに加点し、結局7対2で勝利する。能代の工藤明監督は、

「打ち取った打球が落ちて得点につながった。しぶとさで上回られた。コロナ下で思うような練習ができない中、自分たちの力を発揮してくれた」

 と3年生をねぎらったが、能代は6回に2点を返しているから、4回の3点目が結果的に決勝点だったことになる。酷なようだが、荒江のバントで併殺を取っていれば、防げたかもしれない点だ。

 じゃあ、一塁手はどうすればよかったのだろう。

 送球を受けてキャンバスを踏んだから、打者走者はアウト。これはバントに限らず、ふつうの内野ゴロと同じだ。だがそうすると、もともといた一塁走者の江口には進塁義務がなくなる。フォースではなくなるのだ。だから、タッチされてもアウトではない。

 つまり……送球を受けた一塁手は、キャンバスを踏まずにまず江口にタッチすればよかったのだ。その時点の江口には進塁義務がある、つまり一塁にいる権利はないということ。そしてそのあとにベースを踏めば、打者走者もアウト。これで併殺が成立する。要するに、ベースを踏むのとタッチするのと順番が逆だったわけ。

 とっさの判断だし、レアケースだし、しかも甲子園の観衆が見ている。冷静なプレーをしていれば……というのは酷ですがね。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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