Yahoo!ニュース

松坂引退! 世代94人の最後の一人・和田毅もあの1998年夏の甲子園でベスト8

楊順行スポーツライター
2015年、カブス時代の和田毅(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)

「引退の報告を受けたときは、寂しいと同時に、それほど体の状態が悪くなってしまったんだなと感じていました。あこがれの同級生と過ごすことができた日々は、自分にとってかけがえのない宝物です。23年間お疲れさまでした」

 松坂大輔(西武)の引退に寄せて、和田毅(ソフトバンク)が寄せたコメントである。日本のプロ野球入りした松坂世代は94人いるが、40歳を超え、残るのは和田たった一人になった。

 松坂のいた横浜高(以下は「高」を省略)は、1998年の甲子園春夏連覇など、前年秋から公式戦無敗の44連勝で前人未踏の4冠を達成している。なかでも、準々決勝・PL学園(南大阪)との延長17回、終盤で6点差をひっくり返した明徳義塾(高知)との準決勝、そして松坂がノーヒット・ノーランで締めた京都成章との決勝とミラクル3連発の記憶が鮮烈だ。

 ではその98年夏、ベスト8はどんな顔ぶれだったでしょう? 答えられたらなかなかの高校野球通で、答えは前記4校と関大一(北大阪)、豊田大谷(東愛知)、常総学院(茨城)、そして……和田がエースだった浜田(島根)だ。当時の話を、本人に聞いたことがある。

 浜田は、前年夏も甲子園に出場していた。だが秋田商との1回戦。浜田は、石川雅規(ヤクルト)から3点を奪い、2点リードで9回の守りを迎えたが、和田が先頭から連打を浴び、バント処理で悪送球するなどミスの連鎖で同点に。さらに無死三塁からとった満塁策のあと、和田が石川にストレートの押し出し四球を与えて悪夢のサヨナラ負けを喫していた。

遠投77メートルの細腕が……

 和田が浜田に入学した96年、新田均監督は「左かいな……外野だな」と構想した。だから、と和田は回想する。

「最初に買った硬式のグラブは、外野用なんですよ」

 身長は170センチに届かず、体重も55キロそこそこで、遠投させれば77メートル。ただなにしろ、普通高の常として上級生は絶対数が不足している。さらに和田にはバネがあり、運動神経もよかった。試しにとブルペンで投げさせてみると、イキのいいタマを放るのだ。

 実際に練習試合で登板させると、スリーボールになっても思い切り腕を振る。ピッチャー向きだった。というわけで浜田は97年夏、2年生エース・和田で16年ぶりの甲子園出場を果たすのである。ただし、前述のような初戦負けだ。

 来年こそ……と思いを新たにし、秋の島根を制して中国大会に進んだが、岩国(山口)戦の3回途中で上腕三頭筋を断裂のアクシデント。エース・和田のアクシデントで翌年のセンバツは夢と消え、最後のチャンスをものにしての甲子園が98年の夏だった。

 初戦は富樫和大(元日本ハム)と加藤健(元巨人)のバッテリーを擁する新発田農(新潟)を、和田が5安打2点に抑えて快勝すると、続くは帝京(東東京)との一戦だ。全国優勝3回を誇り、大学生並みの分厚い体をした強豪である。だが、優勝候補を相手に浜田は善戦。2点をリードして、8回表の帝京の攻撃を迎えた。

 1死二塁、打席には三番の森本稀哲(元西武ほか)。甘く入ったストレートに、バットが一閃する。目の覚めるようなライナーがセンター方向へ飛ぶ。「抜かれた」と覚悟した打球は尋常じゃない伸びを見せ、抜かれるどころかそのままバックスクリーンに飛び込んだ。アッという間に同点だ。

「おおっ、やっぱすげえな、アイツ。さすがドラフト候補……打つなぁ」

 和田はあきれ、1万7000人のスタンドは「やはり帝京か、それでもよく頑張った」と、ナイン自らいう「田舎の県立校」浜田の健闘をたたえるムードだ。だけど、と和田はいう。

「ホームランでよかったんです。もし長打でランナーが残っていたらバタバタして、そこからたたみかけられていたはず。でもランナーがいなくなって、むしろリセットできました。だから、タイムを取ってマウンドに集まったときも、みんなで“すげえなぁ”と笑い合ってましたね。監督からの伝令が“ここは落ち着いていけよ”というので、“おいおい、監督のほうがテンパっているぞ”と、和んだくらいです」

 事実、リセットした和田は帝京の後続をぴしゃりと抑えると、その裏の浜田は和田の内野安打などをきっかけに勝ち越しの1点。和田は9回も帝京の攻撃を三者凡退に抑え、島根県勢10年ぶり、そして浜田としては初めてのベスト8進出を決めることになる。5安打5三振2失点で完投の和田はいう。

「当時僕のまっすぐは131キロがMaxで、それも1試合に1球か2球(笑)。だれがどう見ても浜田がコテンパンに負けると予想されるなかで、帝京戦に勝てたのはうれしいですね」

 そうして進んだベスト8。第1試合の横浜とPL学園は、いつ終わるとも知れない延長の名勝負を演じている。第3試合の出番を待つ和田は、アルプススタンドと外野席の切れ目から、松坂の投球を見た。そして、こう思った。

「ちょっと別次元の投球で、こういう人間がプロの一流になるんだろうな、と思いましたね」

 いやいや、高校入学時は遠投80メートルに満たなかった和田も、日米通算で現在148勝。プロ入りは大学4年間を経てからだから、高卒で170勝の松坂にも肩を並べる超一流じゃないか。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

楊順行の最近の記事