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センバツ高校野球 第8日のお気に入り/中京大中京、復刻ユニフォームで大会勝利数単独トップに!

楊順行スポーツライター
これが2019年までの中京大中京のユニフォーム(写真:岡沢克郎/アフロ)

「(校名が)中京商、中京だった時代の先輩方が築いた歴史の一時期を担う者として、OBの方々も喜んでくれるのが一番です」

 常総学院に大勝し、春夏通じて11年ぶりにベスト8進出を決めた中京大中京・高橋源一郎監督はそういった。甲子園通算勝利数歴代トップの強豪は、この日の勝利でセンバツは57勝目。1回戦勝利時点で56勝で並んでいた同じ愛知のライバル・東邦を抜き、センバツ勝利数でも単独トップに立った。それを踏まえてのコメントだ。

 高橋監督は、1997年のセンバツで準優勝したときの主将・遊撃手。ただしそのときは、いまのユニフォームとは違う。当時は、写真のようなスタイル。だが2019年の夏から、伝統の立て襟ユニフォームに回帰した。唯一の夏3連覇、史上初の春夏連覇を達成したときとほぼ同じスタイル。高橋監督によると、

「元号が令和に変わった時代の変わり目ですし、原点回帰の意味もあります」

 昨夏の交流試合で、すでに甲子園での復刻版のお披露目はすんでいたが、甲子園史に残る試合としては今センバツが初めて。復刻ユニフォームでの勝利としては、1988年のセンバツ以来ということになる。これには、OBも喜びひとしおのはずだ。かつて母校で09年の夏を制覇し、現在は同じ愛知の享栄を率いている大藤敏行監督にこんな話を聞いたことがある。

「中京といえば、立て襟のユニフォームが代名詞だったでしょう。OBやオールドファンは、あのシルエットに強い愛着があり、私も個人的にこだわりがありました。ですが、私の監督時代の96年春、当時の(学校法人梅村学園の)理事長先生が"これまでの中京のイメージを一新しよう"と、ユニフォームの変更を決断されたんです」

 文句があるなら理事長に……といいたい気分でした、と大藤は続けた。

「"お前じゃ勝てん。その上、ユニフォームまで変えるとは。辞めさせたるぞ!"なんて電話が、自宅にしょっちゅうかかってくるんです。女房にも気の毒で、一時は電話のコードを抜いていましたね」

杉浦藤文氏の孫が大活躍

 大藤が母校の監督になったのは、90年の8月。66年の春夏連覇を率いた杉浦藤文氏に招かれてのことだった。ただし当時、中京は大胆な学校改革に着手していた。理事長によると、「新校舎を建て、共学化し、偏差値も上げていく。その過程で運動部は、10年くらいは結果が残せなくても、長い目で見る」。案の定というか、チームは甲子園から遠ざかった。

「野球部は、私の就任以前からやや低迷期にありました。野中徹博(元オリックスなど)がいた82〜83年のあと、夏は87年、春は88年の甲子園出場があった程度です。監督になってからも、92年の夏こそ愛知の決勝までいきましたが、94年の夏などは超進学校の岡崎に初戦負け。春秋の東海大会には何度か進出しましたが、甲子園はなかなか見えてきません。例年のOB会は毎回、大藤のつるし上げ会と化していましたね(笑)」

 そういう時期を経て大藤が初めて甲子園に出るのは、高橋現監督が高校生だった97年春で、学校としても9年ぶりのこと。新ユニフォームも、全国デビューとなったわけだ。そのときの準優勝でアピールした新ユニフォーム期の中京大中京は、センバツで8勝を記録している。そういえばその97年、決勝の相手だった天理もベスト8に進出。再戦になったらおもしろいなぁ。さらにちなみに、常総学院戦で4打数4安打と大活躍だった杉浦泰文は、大藤の恩師・杉浦藤文の孫である。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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