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センバツ回顧 今村と雄星の投手戦! ……2009年の優勝は清峰

楊順行スポーツライター
2009年のセンバツ優勝投手・今村猛。5試合で防御率0.20と驚異的な投球だった(写真:岡沢克郎/アフロ)

 そりゃあ、高校生に打てというほうが無理なのだ。

 清峰(長崎)には今村猛(現広島)、花巻東(岩手)には菊池雄星(現マリナーズ)がいたのだから。かくして、2009年の第81回選抜高校野球大会の決勝は、1対0というスコアで清峰が制した。今村は5試合トータル44回を投げて防御率0.20、同じく菊池は40回で0.68だから、極上の投手戦だった。決勝が最少得点で決着したのは過去、春夏合計19回しかない。打力が飛躍的に向上した1974年の金属バット導入以降では、春夏3回ずつ。センバツの決勝では、これが平成唯一の1対0である。そして長崎県勢にとっての頂点は、春夏を通じて初めてのことだった。

 その試合、清峰のマスクをかぶっていたのが川本真也。花巻東の四番が、三塁手兼投手の猿川拓朗だ。川本は筑波大、猿川は東海大を経て、14年にともに日立製作所に入社。猿川は昨年限りで引退したが、かつて2人に高校時代の話を聞いたことがある。川本によると意外なことに、「あの試合の今村は、3年間で一番というくらい調子が悪かった」という。「なにしろ、真っ直ぐが140キロに届かないんですから」。

花巻東独特の守備シフト

 そして驚いたのは、花巻東の独特のシフトだ。初回、1死二塁で三番の川本の打席。三塁を守る猿川が極端に三遊間に寄っているのだ。三塁側に転がせば、楽勝でセーフだろう……とバントを転がした川本だが、一塁もセーフか、といういいバントにもかかわらず、猿川が矢のような送球でアウト。まあ猿川は、当時145キロをマークするほどの投手でもあったのだから、無理もないか。その猿川は、花巻東独特の守備位置についてこう話してくれた。

「投げるのが雄星ですから、まず引っ張られることはありません。だからたとえば先頭が右打者でも、長打警戒で三塁線を締めることはしませんでした。そもそも花巻東は、守備では極端なシフトを敷くんです」

 猿川の記憶にあるのはそれより、前日、利府(宮城)との準決勝が第2試合だったため、「清峰の研究をする時間がほとんどなかったんです。今村というのは小柄なピッチャーだと思っていたくらいで、実際に見たら"でかいやん"(笑)。投球自体は、疲れもあったのかそこまで速さは感じませんでしたが、威圧感があって"今日は打てねえな"と思いましたね」 

 0対0で淡々と進んだ試合、清峰が貴重な1点を挙げたのは7回表だ。2死から四球で走者が出て、打席には九番の橋本洋俊が入った。川本によると「吉田(洸二)監督は"橋本がカギを握る"といってオフに鍛えていましたけど、僕らから見たらまったく打てないので、あの場面も期待薄でした」。花巻東も、橋本には長打はないと分析している。だから、ふつう2死一塁なら内外野とも深めに守るはずが、「あの場面はポテン警戒で、外野が浅く守ったんです」(猿川)。これが球運を分けた。橋本の打球は、前に守っていたセンターの頭上を超えていくのだ。これで一塁走者が生還し、長崎県に初優勝をもたらすことになる。

清峰、盗塁を3回阻止!

 川本も猿川も、この決勝は無安打に終わっているが、川本は花巻東が試みた3度の盗塁をすべて刺した。ことに8回裏、1死一、二塁からの三盗を封じたのはビッグプレーだった。佐世保市内の東明中時代は投手。進路を決める際に清峰の練習を見学に行くと、選手は重さ10キロの丸太を抱えてランニングしている。06年のセンバツ準優勝などで知られるようになった名物メニューで、見ていると何人もリタイアする。だが川本はむしろ、「すごい。野球マンガの特訓みたい」と進学を決めた。その清峰では、今村の投球を目の当たりにし、「ピッチャーは無理やろ」と捕手に。2年の夏には、今村らとともに甲子園を経験し、この年のセンバツVの土台としている。

 猿川は南陽工高(山口)との準々決勝に先発し、5回を自責1とのちの投手としてのポテンシャルを示していた。それでも本人は、「あまり投げたくはなかった」のだとか。花巻東では、日常の練習が時間ごとにきっちり分けられている。野手兼任である猿川が、投球練習の時間をひねり出そうとしたら、「2時間かかる1000本ティーを、1時間で終えるしかないんです」。だからブルペンに入るのはごくたまにで、練習不足は明らか。それでも145キロをマークするのだから、投手に専念していたらいったいどうだったか。

 そもそも盛岡北シニア時代から、菊池と双璧といわれていたのだ。自宅から近い屈指の進学校・盛岡一と迷った末、花巻東へ。3年の夏には、その盛岡一との決勝を2対1で制して甲子園に行くのだから、もし猿川が盛岡一に進んでいたら、菊池と投げ合っていたかも……。一方、川本の清峰。3年夏は、大瀬良大地(現広島)のいた長崎日大に準々決勝で敗れて高校野球を終えている。そしてその長崎日大が甲子園まで進み、初戦で花巻東と対戦したのも、なかなかの球趣を感じるじゃないか。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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