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2020年の高校野球を回顧する(4) 白スパイクと球数制限

楊順行スポーツライター
(写真:アフロ)

 この夏開催された甲子園交流試合は原則無観客だったが、なにしろ高校野球に飢えているから、テレビ観戦を楽しんだ方も多いはず。でも、なんとはなしに違和感がありませんでしたか? そう、たとえば第1日に登場した明徳義塾(高知)。履いているスパイクが、白だったのだ。これまでは、日本高野連の「高校野球用具の使用制限」という規定により、高校生に認められていたスパイクは黒一色。それが2020年の3月20日から白、またライン入りのスパイクも使用が解禁されたのだ。もしセンバツが開催されていれば、夏ではなくそこがファンへのお披露目になっただろう。

 もともと「黒にそこまでこだわる必要もないのでは?」という懐疑的な見方もあり、また非公式ながら、黒のスパイクは熱を吸収し、足もとの温度が上がるという調査データもあった。近年、熱中症予防は高校野球の大きな課題である。実際、夏の甲子園ではことに投手が、足がつって思うような投球ができなかったり、降板を余儀なくされることが目立つ。たとえば18年の100回大会では、星稜(石川)の2年生エース・奥川恭伸(ヤクルト)の足がつって4回で降板し、あとを受けた竹谷理央も投球練習中に足がつり、星稜は結局タイブレークで済美(愛媛)に敗れていた。

熱中症予防に効果あり

 そこで、予防に効果があるならば……と、白スパイクの着用が認められたわけだ。そして、さながら「夏こそ白スパイクでしょ?」というように、交流試合初日の明徳義塾を皮切りに、白スパイクチームが続々と登場。出場32校中、半数近い14校が白スパイクだった。選手の反応も、「暑さをさほど感じず、集中してできる」と上々。それでも熱中症は完全には防げず、これは黒スパイク組だが、第3日には加藤学園(静岡)・勝又友則一塁手の両脚がつり、試合途中で交代している。

 もうひとつ、今年度から採用されたルールが球数制限だ。高校野球では、連戦での過度な負担が、ことに投手の故障につながるとかねて問題視されてきた。高野連は1990年代から、投手複数制の奨励、大会前の肩・ヒジ検査、休養日の導入など、障害予防に取り組んではきたが、抜本的な対策とはいいがたい。たとえば18年夏の甲子園では、決勝まで進出した金足農(秋田)の吉田輝星(日本ハム)が、地方大会から甲子園決勝で途中降板するまで93イニングを一人で投げ抜き、その球数は1517。いつ致命的な故障につながってもおかしくない。そういう背景から18年12月には、新潟県高野連が、1試合100球の投球数制限を独自に採用すると提言。富樫信浩県高野連会長は「ケガの防止とそれにともなう投手複数制の普及、少しでも多くの選手に出場機会を与えるため」と、その理由を説明した。

 結果的に新潟独自の導入は見送られたが、この提言を契機に日本高野連は、有識者会議を発足。20年度から、1週間500球以内とする投球数制限の導入を決めている。詳細を高校野球特別規則から引用すると……(一部略)

1 投手の投球制限(2022年まで3年間の試行期間)

(1) 以下の大会では投手の投球制限を実施する。

硬式.……春季・秋季都道府県大会、春季・秋季地区大会、選抜高等学校野球大会、全国高等学校野球選手権大会(地方大会含む)、明治神宮野球大会、国民体育大会

(2) 投手の投球制限に関する運用は以下の通りとする。

▽投球数、対象期間、試合について

・1人の投手が投球できる総数は1週間500 球以内とする。

・1週間とする対象期間は、都道府県大会等とそれに連続する大会日程の期間を含む。

・試合が降雨、暗黒などで続行不可能となりノーゲームとなった試合の投球数も500球の制限に投球数としてカウントする。

▽1週間で500球に到達した場合の取り扱い

・500球に到達した打者の打撃完了まで投球可能。(次打者で投手交代)

・降板した投手は、以降当該試合では投球できない。

もう生まれない? 大エース

 この球数制限、センバツを含む20年の春から導入されたが、公式戦が軒並み中止になったため、実際の適用は各地方の夏の独自大会から。もっとも現実的には、チームがよほど勝ち進まない限り、ある特定の投手が「1週間に500球」の対象とはならないし、甲子園交流試合は1試合ぽっきり。その甲子園でも、登板の可能性がある投手は、さかのぼった1週間の投球数が示されたが、地元で独自大会が継続中で、勝ち残っているチームを除いては、ほとんど球数制限に神経質になる必要はなかった。

「それ」が発生したのは、来年センバツ選考の参考資料となる秋季東北地区大会だ。準決勝までの4試合で、柴田(宮城)のエース・谷木亮太が投じたのは481球。これに要した日数は5日間だから、7日目にあたる決勝は、19球(プラスα)しか投げられないことになる。で、決勝では先発を避けたが救援で登板し、ちょうど通算500球目に二塁打を浴びるなど4失点で降板。チームも仙台育英(宮城)に大敗した。

 これまで東北地区では、1日の休養日をはさんで大会を運営してきたが、この秋から3連戦を回避するため準々決勝、決勝の前日に休養日を設けた。これは確かに英断なのだが、たとえば柴田の試合日程は1回戦が10月14日、以下2回戦が15日、準々決勝17日、準決勝18日、決勝20日。3連戦こそないが、1回戦から勝ち進めば、7日で5試合という過密日程を強いられる。ことに選手層に限りのある公立校は、それこそ吉田輝星のような大エースに頼るのもやむなしで、となると当然、勝ち進むほど球数制限に達しやすくなる。むろん、東北6県はエリアが広く、遠征の経済的負担などから制約があるのはわかる。それでも、北信越大会などと同様に、せめて隔週の週末開催という日程にすれば選手の負担も減るのだが……。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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