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2020年の高校野球を回顧する(1) 消えた甲子園

楊順行スポーツライター
コロナ禍の影響を示す甲子園球場の案内板(撮影/筆者)

 第92回選抜高校野球の中止が決まったのは、3月11日の臨時運営委員会だった。いうまでもなく、新型コロナウィルス感染拡大のためだ。4日の時点では、無観客でもなんとか開催を、という方向性が示されたが、感染拡大の収束が見通せず、選手や関係者の健康を担保できないと、苦渋の中止決断に至った。1924年の第1回大会以来、42〜46年に戦争の影響で中断したことはあるが、開催決定後の中止は史上初めてのことだという。

 センバツは過去にも何度か、開催が危ぶまれたことはあった。27年には、大正天皇の崩御により、規模を縮小して例年の1カ月遅れで開催。戦後の47年には、「全国大会が春と夏の2回あるのはおかしい」(夏の選手権は、前年すでに再開)というGHQの意向を受けて、文部省から中止を勧告されたが、それまでの「全国選抜中等学校野球大会」という大会名から「全国」をはずすという方便で再開にこぎ着けた。

 また95年には阪神淡路大震災、2011年には東日本大震災の影響で開催の可否が検討されたが、いずれも開会式の簡素化などによってなんとか行われている。だが、ウィルスという目に見えない敵は3月上旬、大阪や兵庫にも拡大。プロ野球は開幕を延期し、全国高校体育連盟も3月に予定されていた25の全国大会をすべて中止にしたとあっては、高校野球だけ強行できるわけもなかった。

選手権中止までのプロセス

 ただこの時点では、感染拡大の影響を決して軽視はしないにしても、夏に向けて頑張ろうというムードだったのだ。だがパンデミックが日に日に深刻化していくと、夏の選手権開催すら現実的ではなくなっていく。経過をおさらいすると、

・3月中旬以降 各都道府県、各地区で春季大会の延期・中止が相次ぐ

・24日 東京オリンピックの1年程度の延期が決定

・25日 日本高野連・井元亘事務局次長が、選手権の開催について5月に方向性を示す考えを表明

 なおこの日には、春季沖縄大会が無観客で開幕していたが、4月上旬以降は各都道府県大会が軒並み中止を決定し、6日には沖縄大会も準々決勝で打ち切りとなった。

・4月7日 埼玉、千葉、東京、神奈川、大阪、兵庫、福岡の7都府県に緊急事態宣言発令

・13日 春季北信越大会が中止となり、全国の9地区大会はすべて中止

・15日 予定されていた選手権の第2回運営委が5月20日に延期となり、そこで開催の可否を話し合うことに

・16日 全国に緊急事態宣言発令

・20日 春季青森大会が中止となり、沖縄を含む47都道府県全てで春季大会中止

・26日 全国高校体育連盟、全国高校総合体育大会の中止を決定

・30日 沖縄大会は、5月6日までの予定だった休校期間が2週間程度延期されることで、6月20日の開幕予定を延期の方向に

・5月2日 東京都などが、かりに選手権大会が中止でも独自に大会を開催する意向を表明

・4日 緊急事態宣言の5月末までの延長決定

 その宣言は14日に39県で解除され、収束へ一歩踏み出したかと思えたが、15日には一転、一部で「(選手権の)中止が決定」との報道が。日本高野連が、地方大会も含めた第102回全国高校野球選手権大会の中止を正式に発表するのは、20日のことだった。感染防止対策として無観客での開催や、開会式を行わないことも検討されたが、「球児の安全安心に最大限配慮した。苦渋の決断だとわかっていただきたい」(ウェブでの記者会見で、八田英二・日本高野連会長)。夏の甲子園の中止は、米騒動による18年、戦局悪化による41年以来3度目で、選手権の地方大会が行われないのは75年ぶりのことだという。

 中止の主な理由をまとめると、以下のようになる。

 49代表を決定する地方大会については、

・約3800校が参加し、約250球場で開催予定の地方大会で、新型コロナウイルスの感染リスクを完全になくすことができない

・休校や部活動停止などが長期間に及び、練習が十分ではない選手のケガなどの増加が予想される

・授業時間確保のために夏休みを短縮し、登校日や授業日を増やす動きがあり、学業の支障になりかねない

・運営を担う役員や審判員を十分確保できない

・治療や感染防止などに傾注する医療スタッフに、例年どおりの球場への常駐を依頼できない

・公的施設の使用制限で使用球場が限られる可能性がある

 また、開催期間が2週間以上に及ぶ甲子園での全国大会は、

・代表校が全都道府県から長時間かけて移動する・集団で宿泊してまた地元に帰ることなどを考慮すると、感染と拡散のリスクが避けられない

甲子園交流試合の実現へ

 かくして20年は、ほとんどすべての都道府県で、春だけではなく夏の公式戦も行われないことになったわけだ。全国の高校には、5万人弱の3年生野球部員がいる。そのうち半分は初戦で、残りの半分ももう1試合で最後の夏を終えるのだが、たとえ何試合で終わろうと、最後の夏は特別なものだ。達成感、充実感、一体感、そして感傷……。帝京・前田三夫監督は「監督として50年になるけど、3カ月もグラウンドに立たないのは初めての経験です」と言い、「3年生の無念さを思うと、やりきれない。努力してきた日々は必ず今後に生きる、と励ますしかなかったよね」と続けた。

 だからこそ、である。各都道府県の高野連は、せめて3年生にとって最後の舞台を、と独自大会の開催に奔走した。また日本高野連の八田会長は、選抜大会が中止になったときに「なんらかの救済策」を示唆しており、それはのち、センバツに出場するはずだった全32校による「甲子園交流試合」というかたちで実現することになる。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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