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さあ、ドラフト。とっておきを探せ! その7 福永裕基[日本新薬]

楊順行スポーツライター
日本新薬が出場を決めた社会人の都市対抗野球大会は、11月22日開幕(写真:アフロ)

 9月23日、都市対抗の近畿地区2次予選・第4代表決定戦で日本生命に勝ち、7年連続37回目の本大会出場を決めた日本新薬。

「1死三塁をつくる、というのが今季のテーマで、よっぽどじゃないとバントはしません。現に、オープン戦からずっと打線がいいんですよ」

 予選開幕前にたずねたときの松村聡監督は、そう手応えを感じていた。さすがに、厳しい2次予選は大量得点ばかりとはいかなかったが、四番として打線を引っ張ったのが2年目の福永裕基である。

「四番を打たせてもらう以上、長打力でアピールしたいんですが、自分はもともとそういうタイプではないと考えています。警戒した相手から四球を得て、盗塁に成功すれば二塁打と同じ。盗塁、得意ですよ。オープン戦ではチーム1、2位だと思いますね」

 と福永はいう。

 自己を冷静に分析するタイプと見た。たとえば専修大4年だった2018年。「プロに行きたい気持ちが強すぎ、長打を求めてかえって崩れた」ためにスランプに陥ると、このままでは通じないと、はやる気持ちを抑えてプロ志望届の提出は断念した。天理高では1年の秋から三塁の定位置を獲得し、3年時はおもに三番を打ったが甲子園出場はなし。専修大では2年春からレギュラーになると、秋は3割超えで注目される。福永はいう。

「高校時代は全然でしたが、プロを意識したのはそのころ。自分が対戦したピッチャーがプロから指名されると、自分との比較でも可能性はあると感じたんです」

 自己を客観視する、ということだろう。

元プロ・吹石前監督が四番に指名

 話は先走るが、コロナ禍での全体練習自粛期間、福永はいろいろな本を読みあさった。野球関係で印象に残ったのが、『セイバーメトリクスの落とし穴』だった。

「自分は完璧を求めすぎる性格で、できるものなら10割を打ちたい。だけど、全コースを打とうとしても無理だし、完璧を求めすぎるとかえって失敗しますよね。この本は、たとえば1試合4打席をトータルで見るとか、そういう観点を与えてくれるんです」

 結局、大学ではプロ志望せずに社会人入りすると、吹石一徳前監督は、「福永が四番を打てるようになればおもしろいね」と早くから期待。福永もそれに応えて、「ピッチャーのレベルは高いと感じましたが、春先からやっていける手応えはありました」。現に、2019年開幕の東京スポニチ大会では、MHPS(現三菱パワー)の浜屋将太(現西武)、東芝の福本翼から2試合連続で代打本塁打という派手なデビューで優勝に貢献し、以後はほぼ四番に定着した。都市対抗本戦では、直前のケガもあり代打出場にとどまったが、日本選手権では二塁打を放つなど、通算で3割超の打率を残している。

 大学4年時、「ワンランク上げようとしたのは、スランプで裏目に出ましたが、結果的にそれがいまに生きています」と福永はいう。そのころから毎日打撃ノートをつけるようになり、技術やメンタルのちょっとした気づきを毎日記入し、読み返すことで自分のなかの引き出しが増えてきたからだ。

「さらにノートをヒントにして、好不調の波をなるべく小さくしたいですね」

 と話す福永。19年には、社会人代表として、日韓台湾の若手プロと対戦するアジア・ウインターベースボールにも参加した。同年齢でやはり代表だったHondaの吉田叡生(中央大出)は、東都時代から仲のいいライバル。互いに三拍子そろった大型内野手として、どちらも指名があっておかしくない。また福永と同じ日本新薬では、山上大輔と門前侑太という2年目投手2人も、候補として名前が挙がっている。

ふくなが・ゆうき/日本新薬/二塁手・三塁手/右投右打/1996年9月16日生まれ/滋賀県出身/180cm83kg/天理高→専修大

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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